邂逅編・第三話
(………触られたか)
武蔵は、先ほどの立ち合いでほつれた羽織の先を指で遊ばせていた。
(さすがに趙雲の名を冠するだけの事はある。あの若さでよくあそこまで高めたもんだ。が……)
趙雲。三国志に出てくる登場人物の一人で、義に篤い槍の名手だ。
武蔵は昔、明の文化について学んだことがあった。幼少時に預けられていた正蓮庵というところで、学問を学んでいた折である。
ひょっとしたら聞きなれない名だったが、程立と戯志才も誰か昔の偉人の名でも名乗っていたのかもしれない。
(……女が斬り合いか。もの好きというか、何と言うか……)
女性が武芸を志すことそのものに、なんの問題もない。むしろ男ですらただの型剣法に終始し、実践剣から遠ざかっている昨今だ。
竹刀というものが普及し、市井にまで剣術が広く普及したという所までは良いが、層が広がった故の弊害か、服の端に当たっただけで勝った負けただのと論ずる、“敵を倒す”という兵法の基本原理から遥か、遠ざかった風潮が生まれつつある。
型もまた、実戦に際して身体が動く事を目的として、鍛錬されるべきであるという事も次第に忘れ去られ、形の美観のみを追求する華法化の道を辿ろうとしている。
その様な時代に、あのような烈女がいたことは非常に喜ばしい。
それはそれでいい。しかしまだ自分の息子の歳にも届かないような若い女が、かつての自分と同じような道を進もうとしていることが武蔵にとってはどうにもやるせなかった。
幾百の命を奪った末に手に入る、血まみれの強さを求める道を――――――
「……おい、貴様!聞いているのか!?」
長髪の女性の声に引っ張られて、上の空だった武蔵の意識が現実に戻された。
「おお、すまん……なんといったか?」
――――――今は、先ほどの三人組に連れられて街の飯店で尋問を受けている所である。話によると、彼らはこの「陳留」と呼ばれる一帯を統治する刺史―――政を司っている者らしい。
いきなり連行されたので牢屋行きかと思ったが、なかなかに扱いがよく飯まで出してもらっている。ただ、相変わらず話は通じない。しかも不可解なのは「陳留」に「刺史」という耳慣れない言葉。
………もしやここは、日ノ本ではないのだろうか?
「このっ……!!」
「落ちつけ、姉者。この男もどうやら困惑しているらしい」
長い髪の女性が激昂するのを、短髪の女性がたしなめる。
話し合いに冷静な人間がいてくれるのは、武蔵としてはありがたかった。
「…もう一度聞く。お前の名は?」
「宮本武蔵」
「生まれは?」
「日ノ本の播磨だ。いや………生まれてすぐ父の所に行ったから育ちは美作新免家か」
「どこから来た?」
「肥後熊本藩、細川家。まあ、どこに居ったかと問われれば、霊厳洞っつう穴ぐらだ」
「………ふぅ」
武蔵は短髪の女性の質問にできる限り丁寧に答える。が、またしても意図が通じなかったのかため息をつかれた。
「貴様!いい加減こちらの質問に真面目に答えんかっ!!」
「いやあ……大マジメに答えてるんだけれども」
確かに、武蔵の語った素性に嘘偽りはない。
またしても「宮本武蔵」の名前は通じないが、それはいい加減慣れてきていた。
しかし、播磨も美作も、細川家という大名家の名もわからぬとはどういう事なのか。
「続けるぞ。この国に来た目的は?」
「知らん。気が付いたらあの荒野で寝てた」
「…………ここまで、どうやって来た?」
「それも知らん。目を覚ましたらあそこにいたんだ」
短髪の女性は物言いこそまだ穏やかだがさすがにいらついてきたのか、眉間を指で押さえる。もっとも当の武蔵本人、まったく状況がわからぬのだ。無理もない。
「………春蘭」
「はっ!!拷問にでもかけましょうか?」
「いやいやいや……拷問にかけても鼻血も出んぞ。わからんもんはわからん」
真ん中の小柄な少女に請われ長髪の女性が提案をするが、武蔵はそれをさらりと流す。さすがにわけもわからず拷問にかけられるのは御免こうむりたい。
………うら若い女が迷いなく拷問を提案するのは、果たしてどうなのだろうか?
「………埒が明かないわね」
「俺にだって何がどうなってるのか見当がつかん。お前らはそもそも何なんだ。名前は? お前らが今呼び合っているのは、あれだ、真名というやつだろう?」
「貴様! 名を聞くならまず自分から名乗れ!!」
「それはさっきから言うとる」
「むっ……」
「……姉者、少し黙れ」
どうやら彼女は突っ込まれるのが仕事らしい。焦り過ぎて、言っている事が前につんのめっている。
三人で小芝居をしていたが、武蔵の言葉の端に目敏く反応した金髪の少女が問う。
「あら、知らない国から来た割には、真名の事は知っているのね?」
「さっきそれで一悶着あってな。ようは知らんが、呼んだらダメなんだろう?」
「あたりまえだ!!貴様などが華琳の真名を呼んでみろ!その瞬間、貴様の胴と頭が離れていると思え!!」
先に会ったのが趙雲、いや、星達で本当に良かった。
さしもの武蔵も名を呼んだだけでいきなり斬りつけられてはたまらない。仮に星ほどの使い手だったならば命にかかわる。
「何と呼べばいい? いつまでもお前、じゃ具合が悪かろう」
「そういえば、そうね。私の名前は曹孟徳。彼女達は夏侯惇と夏侯淵よ」
「ほう……曹魏の太祖、曹操か。また大物の名を名乗るもんだな」
「……曹魏?」
やや間が空いて、短髪の女性が武蔵の発した「曹魏」という言葉を聞き返す。
「三国志のだろ? 魏の武帝にあやかってるんじゃないのか? 歩出夏門行の作者の……」
曹操―――沛国?県の人。
古代中国の後漢末期に台頭した群雄であり、優れた軍政家でありながら、詩人、学者としても名を残す。中国史上において深刻な分裂期である魏晋南北朝期で随一の事績を残した人物であるが、その苛烈な政治政策から後世の評価は別れる。
武蔵の時代は、明の学問がまだ広く盛んな時期であった。当然、知識としてある。
「………どういうこと?」
「何が?」
夏侯惇、夏侯淵は武蔵の言葉の意味がよくわからなかったようだが、曹操だけは何かに気が付いたのか険しい顔をして、武蔵に尋ねた。
「……どうしてあなたが、その詩の名前を知っているの?」
「いや……曹操の歩出夏門行と言やあ、建安文学の逸作だろうが。志在千里の一節は、誰でも知っとる」
「貴様ぁ!華琳様の名を呼び捨てにするでない!!それに、何だ? しざいせんり? だのなんだの、意味不明な事ばかり言いおって……!」
「春蘭、少し黙ってなさい」
「う……は、はい……」
夏侯惇がたしなめられて黙る。曹操の顔は、相変わらず険しい。
「……信じられないわ」
「………華琳様?」
「その一節、少し前に浮かんで書き留めておいたもの。まだ詩にはしていないわ」
「……それは、どういう……」
夏侯淵、夏侯惇が怪訝な顔、あるいはぽかんとした表情で華琳の言葉を聞く。
曹操は口元に手をやりしばらく熟考していたが、やがて顔を上げて口を開いた。
「まだ誰にも発表していないわ。というか、その表題も正式に決めたものではない、なんとなく、私の頭の中に像としてはあったけれど……」
曹操は二人と二、三話すとまた武蔵の方に向きかえり、目を見据えて言う。
「なぜ私の頭の中だけの情報を、今、会ったばかりのあなたが知っているのか………説明なさい。曹孟徳と名乗った私の操の名を知っていたこと、そしてその、私の姓を冠した国家の事も含めてね」
「………うーむ………」
「…………」
「ぬう…………」
武蔵はがっぷりと腕を組み、しかめっ面で唸っていた。
「うーん……?」
先ほどの曹操達とは、まるっきり逆の格好である。
「じゃあ何か? 今話した事から考えるとだな、お前らは古の曹操、夏侯惇、夏侯淵まさにその人で、俺は正保の日ノ本から三国時代の明に来たと、そういうことか?」
「その三国志、というのはわからないけど、曹操は後にも先にも私だけよ」
「そういう事も、ありえるのか? うーむ、わからん」
「貴様! 華琳様のお言葉を疑うのか!」
「いや、しかしな。例えばお前さんが今、突然、楚漢の時代に行って、項羽と劉邦と会ってきたらどうさね?」
「……はあ? 項羽と劉邦と言えばはるか大昔の人物だぞ! そんな古の英傑に今の私が会えるものか」
夏侯惇の言い分は、全く正しい。だが……
「それが、今の俺だ。俺にとっては、曹操という名は項羽と劉邦と同じだ」
「………っ、なんと……!」
時代と国……文字通り時空を越えて過去の偉人と相対するなど、ありえぬ。
しかし、曹操の語るこの世界は、自分のよく知る三国志の歴史と酷似していた。後漢の力が弱まり各地で乱が勃発しているという流れまで違わず。
この状況、さらに死の淵にいた武蔵が甦ったことを鑑みれば、それぐらいのことでなければ説明が付かなかった。
「……南華老仙の話、知ってる?」
「うん?」
まかないのお冷を少し口に含んで一旦落ち着いてからまた考え込んでいた武蔵に、曹操がおもむろに口を開く。
「……荘周が夢を見て蝶となり大いに楽しんだ後、目が覚める。ただそれが果して荘周が夢で蝶になっていたのか、蝶が夢を見て荘周になっていたのかは……だれにも証明できないの」
「……ああ。『胡蝶の夢』、か」
「知っているのね」
「長生きだけが取り柄の男よ」
「な、ならば華琳さまは、我々はこやつの見ている夢の登場人物だと仰るのですか?」
「そうかもしれないわね。あるいは私達が武蔵の夢を見ているのか。けれど武蔵が私達の世界にいることだけは事実、ということよ」
「は、はあ……」
夏侯惇はいまいち要領を得ていないようで、曹操の言葉に首を傾げる。
もっとも、この状況を手放しで理解している方が特殊だが。
「武蔵が夢を介してこの世界に迷い込んだのか、こちらにいた武蔵が夢の中で未来で過ごしてきたのかはわからない。もちろん、私達にも」
「要するに……どういうことです?」
「華琳さまにもわからないが、ともかく宮本武蔵という人間は存在している、ということだ」
「……うむぅ?」
「それでわからないなら諦めろ。それ以上は華琳さまでもお分かりになられんことだ。姉者が無理をしても知恵熱が出るだけだぞ」
夏侯惇はまだ納得してはいないが、とにかく武蔵が三国の世にいる、ということで決着がついた。
……にわかに信じられぬことではあるが。そうなのだから仕方がない。
わからぬものは、わからぬままにしておこう。
「春蘭。いろいろ難しい事を言ったけれど、この武蔵は天の国からやってきた遣いなのだそうよ」
またもや武蔵の耳慣れない言葉が出てきた。
五胡の方士だの未来の人間だのという話は先ほどの尋問で出てきたが、天の遣いとはまた初めて聞く。
「なんと……! この山猿のような男が、件の天の遣いなのですか?」
「だれが山猿じゃい」
懐かしいあだ名に思わず突っ込む。武蔵は小さい頃、山の峠でよく遊んでいたのでそう呼ばれていた。
……初対面で山猿と呼んだ人間はかつていないが。
「ふむ…確かに五胡の方士や、未来から来ただのというよりは、そちらの方が説明が付きますな」
なぜか、武蔵以外すべてそれで納得している模様。
当の武蔵は置いてけぼりにされている。
「なんだ? その天の遣いっていうのは」
「最近巷で有名な噂よ。『天より流星とともに現れたる御遣いが、天下に安寧をもたらす』っていうね」
「俺は、そんな霊験あらたかな代物じゃあないぞ?」
「どっちだっていいのよ。あなたが天の国から来たと名乗ればいいだけ」
「……俺はそういう神仙の類だとかのもんは好かんのだがな」
「あら、妖術使いと言われて槍で突き殺されるよりはマシでしょ?」
そう言われると武蔵も黙るしかない。
確かに事態をややこしくするよりそう名乗るだけで済むのならそっちの方が都合がいいのだろうが。
仏神を尊んでも、それに頼まぬ事を信条とする彼にとっては、いささか複雑なようである。
「さて。ひとまず疑問が解決したところで、もっと現実的な話をしていいか? 宮本よ」
とりあえず話が纏まったところで、夏侯淵が次の話題に移る。
聞けば近隣に出没する賊が、あるいわくつきの古書を盗んだ、とのこと。
曹操達はそれと思しき連中を捜索している最中、たまたま武蔵と遭遇したらしい。
「そうよ。あなた、そいつらの顔を見たのね」
「俺が見たのはノッポとデクとチビの三人組だ。そいつらでそうならそうだろう」
彼らが下手人なのかはまだ定かではないが、武蔵の心あたりがある盗賊と言えばかの三人組しかいない。
「……少なくとも聞いている情報と外見は一致するわね。顔を見れば見分けはつくかしら?」
「多分な。見たら一発だろうよ」
かなり特徴的な三人組であったし、全員黄色い布を頭に巻いていたから発見すればすぐにわかるであろう。
「そう……なら私達の捜査に協力しなさい」
「なぬ?」
「あら?白米を大盛りで三杯も奢らせておいて恩に報いることが出来ないのかしら?天の住人は随分薄情なのね」
「む……」
確かに、しばらく寝たきりだった故久しぶりにまともな食事を摂ったもので、つい勢いに任せて食ってしまった。そしてそれ以前に拾ってもらって重要な情報をいくつか教えてもらったというところがある。
そこを突かれると武蔵は従うしかない。放浪好きの武蔵とて、わざわざ持ち金で出してまで恩人との関わりを無下に断とうとは思わぬ。
………もっとも、武蔵が持っている金がこの世界で使えるかの保障がないというのが本当の所であるが。下手をすれば虎の子の金銀まで出さねばならぬかもしれないが、それはなるべく避けたい。
「しゃーないわな。じゃあしばらく厄介になろうか」
「決まりね」
「いいのですか華琳さま?そんなに簡単に迎え入れて」
「いいのよ。どの道賊の目撃者なわけだし、武蔵もそれほど悪くは思っていないでしょう?」
夏侯惇は武蔵を迎え入れることにいささか躊躇しているようだが、曹操がそれをやんわりと避ける。
もっとも、普通はこんな拾って来た素性のわからぬ男をそうほいほいと容れるというのは躊躇するもので、夏侯惇の感覚はまともではあるのだが、
「まあ往きずりだしな。それに……曹操殿は、俺のおいしい使い方って言うのも心得ておられるのでしょうよ」
「あら、外見に似合わず中々に聡明ね」
「華琳さま!?なりません!!こんな男、煮て食っても焼いて食ってもお腹を壊してしまわれますよ!?」
「…………」
夏侯惇の発言にしばし一同が沈黙する。前言撤回。彼女はやはり……
いや、みなまでは言うまい。彼女の名誉のためである。
「……宮本の持っている未来の知識は上手く使えば我らの大きな助けとなる。おいしい使い方とはそういうことだ。……何も本当に取って食うわけではない」
「む?………おお!!そういうことか!そんな所に気がつくとはさすがだな、秋蘭!!」
……彼女は……やはり……
「と、とにかく。しばらくは私の所に身を置きなさい、武蔵」
「……ああ、世話になる」
「……そういえば、武蔵の真名をまだ聞いてなかったわね。教えてくれるかしら?」
「ああ、無いぞ」
「は?……どういうことだ?」
武蔵が短く「無い」といったことに対して夏侯淵は一瞬あっけにとられて、聞き返す。
だが武蔵の中に真名という概念がないので、答えようは一つしかない。
「俺のいた日ノ本では真名という風習が存在せん。あえてどうだというなら、武蔵と答える」
「………っ!」
「なっ、なんと………」
「むう…………」
武蔵の云い様に三人は一様、眼を見開いて驚く。
こういう表情を見たのは今日で一体何度目だろうか。
「………なんか変なこと言ったか?」
「いや………少々、予想外だったものでな」
「ならば貴様は初対面の我々にいきなり真名を呼ばせることを許していたと?」
「……郷に入ればなんとやらの精神でいけば、そういう事になる」
「むむむ……」
「そうなのか……」
夏侯淵と夏侯惇が唸る。やはり、彼女らにとって真名は容易には呼ばせぬものらしい
それにしては、武蔵に対して簡単に聞いたものだが。
「そう………なら、私達もあなたに真名を預けないと不公平でしょうね」
「む?」
「武蔵。私の事は、これから華琳と呼んでいいわ」
「いいのか?」
彼女らの反応や星達の件を考えれば、真名がどれほど大切なものかは想像がつく。
それこそ無礼討ちにしても構わぬというほどにだ。
武蔵にしてみれば、その辺りの価値観にあまり実感がわかぬのが正味の所ではあるが、なるべく悶着は避けたい。
「私がいいと言っているのだから構わないわ……あなた達もいいわね?」
「うーむ……いちいち夏侯惇に首を狙われるのは、御免こうむりたいが」
「ちょっと待てい!!なんで私を引合いに出す!!」
「真名を呼んだら頸を刎ねてやると」
「あたりま……い、いや、うーん……まあ、蹴りくらいで勘弁してやらんこともない」
あたりまえだ、と言おうとした矢先曹操に目線で釘を刺され、言い直す。
「手討ちから蹴りになった分破格の譲歩だけどな……そんなしょっちゅう蹴られてはこの爺は変な趣味にでも目覚めるやも知らんな?」
「っっ!! ば、馬鹿者!! やっぱり貴様のような変態が華琳さまの真名を呼ぶなど許さん!! そこになおれ!!」
武蔵が薄笑いを浮かべて言うと、夏侯惇は顔を真っ赤にして身を乗り出してくる。相当、曹操への信服は強いらしい。
――――――なるほど、まさに『夏侯惇』である。
「恐えなあ。冗談だよ」
「むうっ………」
ケラケラと、わらった。
「春蘭。そう息巻くのは止しなさい」
「で、ですが華琳さま……っ!こんなどこの馬の骨とも知れぬヤツに、神聖なる華琳さまの真名をお許しになるなど……」
冗談とは抜きに、夏侯惇は曹操の真名が呼ばれる事を拒む。やはり、つくづく大事なものなのだろう。真名か、あるいは曹操かが。
(……忠犬)
武蔵が当事者であるにもかかわらずどこか遠い所にいるかのように目を細めている間にも、彼女らの問答は続く。
「ならどうするの?春蘭が武蔵を呼びたいとき、ずっと貴様で通すつもり?」
「アレとか猿とか変態でよいでしょうに!」
「猿はやめい! つうかさっきの冗談根に持つなお前!?」
……否、この翁でも、古の英傑の前で傍観者たるのは不可能なようである。
「秋蘭はどう?」
「ふむ………承知いたしましたとお応えしましょう」
「秋蘭っ!お前まで……!」
粘る夏侯惇だが、どうやら相方には裏切られてしまったようだ。
「私は華琳さまの言う事に従うまでさ。姉者は違うのか?」
「ぐっ…い、いや、私だって、だな………!そうだ、、こいつの名前が本当に真名かどうかなど、まだわからぬだろう!!」
夏侯淵の造反によって陥落するかと思われたが、なおも夏侯惇は食い下がる。
……やはり、史実において幾度も曹操の危機を救ったその粘りは伊達ではないか。もっともここは戦場ではないが。
「そんなつまらない嘘をついているのなら、即刻頸を刎ねるまでよ」
「………真名は重い、か?」
しれっと言った曹操に、武蔵が口をはさむ。
「あら、理解が早くて助かるわ」
「歳取ったら、場の空気でなんとなくわかるようになるもんさ」
「………さっきからその年寄りだの爺だのって言うのは、どうも信じられないのだけどね………」
「人は見かけにゃあよらん。まあ……俺は何度か名前を変えたが、武蔵の名は貰ったその時から最後まで使い続けたよ」
―――――文字通りの、最後まで、である。
「嘘は無い?」
「ああ。『武蔵』は俺の二番目の父がくれた形見だ」
「結構。なら、私の事はこれから華琳と呼びなさい。いいわね? 春蘭も」
「は、はあ………」
主の命で、ついに難攻不落の夏侯惇も折れた。
「じゃあよろしくな。華琳よ」
「よろしく。じゃあさっそく、連中の捜索に向かいましょう。まだこの辺りをうろついてるかも知れないわ」
こうして、宮本武蔵は曹操の元に抱えられることとなった。
もっともこの世界において、いまだ武蔵には知らぬ事は多い。前途は多難だ。
――――――だが、確かな事が一つだけある。
(胡蝶の夢……か)
これは、俺の死に際に見ている末期の夢か。それとも、あの奇怪な男の見せた夢か。
いずれにしても、俺は俺――――――
たとえ一睡の夢であろうが、俺は確かに生きている。
もうほとんど諦めはついていた。だが俺がまだ生き事を許してくれるなら。
もう少しだけ、迷ってみようか。
道の答えを、探しに。
なろう使いやすくてビックリ。