黄色頭巾編・二十四話――――――「クズリ」
「ちっ……やくたいもない」
事が上手く運ばぬ時は誰しも歯がゆい物。
壁にぶち当たって跳ね返るのではなく、木を割った中に破片が残るようないづさだ。
「夏侯将軍! 敵はすでに広範囲に散開、恐れながら全ての囚人を動向を把握する事は不可能かと……」
「……よい! 無理に包囲しようとするな! 各個に当たって捕縛せい! やむをえぬなら、殺しても構わぬ!!」
「はっ!!」
慌ただしさの中でも、指示を受けた士官は力強く頷き、また持ち場へと走っていく。
「なんだか、こう……しっくりきませんね、春蘭さま」
「…………うむぅ、まったくだ」
――――正直、歯痒さは残る。
牢破りの報を受けて、即、緊急的に城門を閉鎖させたが、果たして幾許かの効果があるか。
脱出した囚人は、実に二百人を下らないと言う報告があった。官舎で捕えられた者は、その内十数人に過ぎぬ。大半が市中に放流されてしまった。
おかげでそのうち何人が逃げたのか、そして幾人が、この夏侯惇率いる鎮圧部隊とのゲリラ戦を展開しているのか、非常に把握しにくい状況となってしまっている。
何せ市街地での大捕り物、通常の陣形は敷けず、散発的な衝突が各地で全くランダムに起こっている、という具合だ。
なので、敵の全容がいかなものか、どのような行動を取って来るか、指揮官のような人間が居るのか、首謀者は誰か。
全て、暗中。予測が立たぬ。
それだけではない、もっと面倒なのは、面子――――――
この反乱に加わっている者たちの内わけ、恐らく大多数が戦争捕虜であろうが、いかなる類の罪人が蜂起に加わっているのか、全く判断が付かない、と言う事だ。
つまり、中には華琳の裁可を直接仰がねばならぬような重罪人、政治的な影響力の大きい要人も居る可能性がある、と言う事。
単なる犯罪者であれば春蘭の裁量で殺してしまっても構わないだろうが、そういうわけにもいかない、毛色の稀有なネズミが混じっているのだ。
「…………ええい、むず痒いっ!」
「面倒臭いですよねえ」
となると、事は単純な戦闘では無くなってくる。
通常の、対軍隊での野戦であれば、彼女の右に出るものはいない。
だがこの任務は脱走した囚人を再び捕え、元通りに収監し、速やかに治安を取り戻すというもの。
入り組んだ街に絡んで潜伏している相手を捕捉せねばならないのだ。
障害物の無い平野で、陣形を敷いて真正面から戦う合戦とは勝手が違うのである。
皆殺しもいかず、かと言ってゲリラである以上、包囲しての一網打尽も事実上不可能。
こちらも広範囲に展開する局地戦法で対応せねばならない。
しかし、一刻も早く事態の終息を図らねばならず――――――
「……あいつの好きそうな戦だな……」
「好きそうですねえ~……一箇所に固まってくれてれば、すぐ終わっちゃうのに」
季衣が影踏みをする子供の様に、とてとてと手持無沙汰に歩き回るのを目の端に捉えながら、春蘭は背筋からふっと力を抜いて鞍に身体を預けた。
――――――もし敵が決戦を望むなら、五千だろうが一万だろうが一撃砕破、立ちどころに粉砕せしめて見せよう。
しかし、今回の敵は姿が見えぬ。ぶんぶんと飛び回る蜂どもを見失いながらも察知し、召しとる。
草の根分けて探し、かと思えば全く予期せぬ所から別の敵が出でて、一刺しして、また逃げてゆく。
常に後手を取らされる、無軌道な戦。被害は少ないが、思い通りに進まない――――
しかも、ただ勝てばいい、というものだけでは無い。
追い散らしてはならない、逃がしてはならない。
例え走破、大破せしめても、その勝ちに価値は無い。確実に捕捉する、それが条件。
――――――実に、まどろっこしい。
つまり、彼女の気性に置いて、最も嫌いな所に位置する戦だと言えよう。
あの、よく飯を食いながら左手で絵を描いている行儀の悪い男の部隊なら、こういう形の定まらない戦は、まさに大好物なのであろうけども。
気持ちをスパッと綺麗に割る事が出来ない。下した判断にささくれと破片が残った。
常にしこりが付いて回る、煮え切らない展開。
本丸が感じ取れる刺激は鈍くなる。被害そのものは少ない、つまりは動きが少ないと言う、ある種の余裕と退屈さがそれをさらに顕著にした。
それはいずれ惰性となる。
そういう惰性は弛みを生む。
何を?
「――――――あれ? もしかしなくても、大物?」
「ッ!!」
「えっ……?」
それはピンと張りつめている、「緊張」という、危機察知能力を弛ませる。
乾いた炸裂音が、小気味よく空気を撃ち抜いていった。
「季衣ッ!! な――――――!!」
視界の端から滑り込んできた、「影」。季衣には見えていなかったかもしれない。
振り向こうとした側頭部とその何かが重なると同じくして、跳ねられたようにグワン、と一度振動し、薙ぎ倒されるように倒される、眼の隅でわずかに捉えた彼女の影を察知して、春蘭は身を翻した。
「ぐッ!? ――――――ちいっ!!」
しかし、すぐに季衣の元に駆け寄る事は出来なかった。
返そうとした手綱、一定方向への落ち着いた抵抗だったそれが、不意に暴れた。
反射的にそちらを見て――――すぐさま脱兎の如く、馬上から跳ね飛んだ。
舗装された市街路に身を転ばせた、肩口にわずかな熱。
一本目は、駿馬の頭から顎にかけてを真っ直ぐ射抜き――――二本目は、一瞬前の春蘭の顔の位置を、肩を掠めて射抜きながら、着地した春蘭の斜め後ろ一尺、二尺ばかりの所に突き刺さっていった。
(流れ矢! これは――――――っ!)
右耳が捉えた、そよ風。
遠くに聞こえた喚声。
(――――――奇襲!)
文章で理解する前に、イメージで把握した。
考える前に、彼女の右手は剣を抜かせた。
「―――――ったァく、まだあんなトコに居んの? とっれえよなあ、どーも」
鬨の声と同じ方向、距離はずっとすぐそば。気だるげな声が聞こえてきた。
ここから北側の大通り、中央通りに真っ直ぐ突き当たる大路。
張った非常線にまっすぐ突っ込んできたか――――――
中々、急に現れたくせに、大胆な事をしてくれる。
男は、目視できる距離、この軍勢の懐も懐に。
その声が、妙に憂鬱気で、男にしては透明な、やけに耳触りの良い、戦場に不似合いな柔和な音質でなければ、彼女の視線は何より先に、その男の傍らで昏倒した季衣に奪われていたはずだ。
「……貴様、どうやってここまで来た?」
「どう……? 言ってる意味わかんねえけど。普通に、走って?」
その笑い方は、男と言うにはまだ柔らかく、少年と言うには黒かろう。
小柄な男だった。
宮本が最近、好んで側に置いている……楽進と言ったか、あの娘より、少し高い程度。
春蘭と比べると、ちょうど彼女の目線あたりの身長だった。
ここで、季衣を気遣う前にまず、この男自身に意識を向けたのは、春蘭一代の精妙な判断だったと言っていいだろう。
いつもの彼女ならば真っ先に気を取られていたハズ。しかし、自分に懐く妹の様な部下の安否を認識する事、その優先順位を一時的に目先の事象の一つ下に置いた事によって、淀みなく戦闘態勢を取る事が出来た。
むろん、それ自体がとっさの判断ではあったが――――――
走って、とこの男は言った。そして、意味がわからないと。
カラクリなどはない、ただ、走ってここまで来た。
そしてこの男のはるか後方に、こいつの味方はいる。
――――――正面から、ここまで切り抜けてきたというのか。仲間達を置き去りにする程の疾さで。
否、正面通りに意識を引きつけている間に、路地や建物に紛れて斬り込んできたのかも知れないが――――どちらにせよ、差したる違いはなかった。
春蘭が、その思考まで至る時間も、必要も無い。
要は、この夏侯惇、そして本陣に構えたどの猛者達の対処より早く、この男は現れたと言う事。
恐らくは野性的とも言える闘争のカンが、殆ど意識するより以前に、本能的にスイッチを入れて最良の行動を促したのだ。
――――――“危険”と。
(季衣…………)
眉を寄せ、口の中で八重歯を軋らせた。
猫のように逆立っていた毛穴が落ち着いてくると、落ち着いてきた思考の余裕に、昏倒させられた季衣が入り込んでくる。
すぐ隣に、あの名も知らぬ敵が立っているのが歯がゆい。下手をすれば――――だからだ。
が、その危機感と焦燥を客観視出来るほどには、今の彼女は冷静だった。
着地し、あの男と見合い、その後に季衣が目に入った。一瞬の間。
爆発しかけた彼女の激情の最中、人の額を小突き、この短気者が、と、事あるごとにおちょくってくる、あの忌々しい含み笑いが脳裏を過った。
それに対しては、むかつかしたのではあるが――――そのワンクッションの、別ベクトルへの排熱によって、彼女の癇癖は一応の落ち着きを見たらしい。
つまり、思考の一端では、まだその火が燻ってはいるが、一方で冷えた理性が、対峙した男から目を離さず、もし季衣に追い打ちを加えるならば、その隙を突いて一気に斬り伏せてやろうと――――
その判断を粛々と行っていた。
「つーかさあ、お前ら、センス無いよ」
「は?」
「無地の青一色のツナギってさ。一歩間違ったら変態ファッションじゃん」
「……囚人服の事か?」
言葉の端々に、表情に怪訝さを点しながら応じた春蘭に、男は両腕を軽く広げて見せた。
「あんまダセェから、その辺でかっぱらって見繕ってみたんだけど。どう?」
上目遣いで、おどけた様に彼女を見遣る。
すらりと長い手足。タイトでシャープなシルエットは、淡白なネイビーブルーの囚人服では無く、黒が基調の、流行りをなぞった細めで纏めたスタイル。
取り立てて派手と言うわけでもないが、その細身と小さな頭は、特に洗練された印象を与える。
それだけに、そのやたらとごつい小さな手と、服の上からでもわかる肩幅の広さ、その組合せのちぐはぐさが、余計に不格好に写る。
襟元の大きく空いた肌着から覗く、首から下げたアクセントと、鎖骨のすぐ下まで這っている、極彩色の蛇。
それよりも、その隙間を跨ぐ発達した僧帽筋が、春蘭には事にぶ厚く見える。
影の如く速く現れて季衣を倒した、その速度。
一見、華奢でしなやかに見せるその服装の下に、そのバネの裏付けとなる、締め、鍛え上げられた肉体があることが想像できた。
「――――――随分と、肝が太いようだが」
ジャラン、と鋼のはじける音がした。
巨躯が動く。
ここは、本丸だ。
「虎の巣の懐に飛び込んで」
「五体満足で帰れると思うなよ」
将軍・夏侯惇の護衛を務める者たちに軟者、弱者は一人も無く。
虎の様な大きな身体をのっしと震わせ、牙たる白刃をいからせながら、その小男一人を標的に、春蘭を守護するべく立ちはだかる。
屈強な大男どもには、まるで迫りくる石壁の様な威圧感があった。
「……恐いね」
天から見下ろせば、まるで子供と大人の構図。
四面楚歌でその小柄な男は不敵に笑みを浮かべる。
鮮やかな臓物色の舌が、唇を這う。
その身に彫った蛇によく似ていた。
「ま、セリフは大して、ヨソと変わんねーけど、さ」
両手の中で棒を滑らせて、右手に持ち替えた。
それに構う事も無い。訓練された兵士は声もあげず、その男にかかっていく。
左右に数人、前には二人。ほぼ同じくして、示し合わせたように地を蹴る。
――――――ダン、と鋭い音がした。
一歩先頭を切っていた男の頭が一度激しく震え、ゆっくり倒れて行く。
一瞬、走りの勢いが衰え、それよりも短い刻、昏倒していく戦友に目を奪われた、その間。
誰よりも早くそこから目を離し、そしてこめかみに深々と付き立った矢の軌跡を辿る事が出来たのは、王将役の立ち位置で剣を構えた春蘭だけであった。
(斉射の矢では無い、これは――――――)
春蘭の大粒の黒真珠のような瞳が、猫のように、にわかに縮まったような気がした。
視線を投げた先、その先には地上よりも空に近い、二階建ての目立つ高層の建物。
最近、開発が進んでにわかに多くなってきたそれらの中、その一つに。
小路を一本挟んで向こう側、おあつらえ向きに頭一つ抜けた塔型の建物の、こちらを向いて口を開いた小さな窓。
それを見ながら反応的に脳の裏に過った、射られた自らの愛馬と、掠られた肩の傷。
流れ矢などでは無かった。
人影までは捉えきれなかったが、間違いなく――――――
(――――――狙撃か!!)
瞬間、一筋の影が動いた。
「ボヤっとすんねェ」
「ッツ!?」
そいつは低く、低く。
まばたき一つ程の間に、いきなり目の前に現れた。
大柄なつわものども、そして春蘭が目を切った僅か、ほんの、わずかの特区時間を活かす事が出来たのはその男だけだ。
屈強な護衛達には目もくれず、縫うように最短距離をすり抜け、一瞬にして本丸の喉元に詰め寄った。
その勢いのまま、先手となった左手は軽く添えて、動きの中で先端を春蘭の顎先に合わせて構えると、不意にひねる様にそれを引き、円運動の流れのままに、後手側の棒の先――――竜尾で持って、斜め上へと突きあげる。
腰、肩、体中のバネが連動し、弾かれたように走った。
いかな精兵も、一歩も動くことは叶わなかった。とっさに、圧倒的な速さで目の端を抜けて行った疾風の様な影の方に、首を振りむかせたのがせいぜいだ。
唯一反応出来たのは、その打ち込みに合わせるように剣を払った春蘭だけである。
「俺じゃねえの? 相手はさッ!!」
「ぐッ!!」
ガンッ、と鋭い音がした。
顎を狙って打たれた一打、受けた際の衝撃を伴った貫通力が、柄を通して春蘭の右腕に伝えられた。
「――――――あら、ずいぶん仲が良いのね、北のコ達は」
しとやかな声が、小次郎と張遼の間を、すっと抜けて行った。
「で、敵はどこ? せっかく遠い所から来たんだけど」
それはとてもたおやかで、濡れた唇のような美しさだった。
皆の初恋って誰? 僕? さあ、ラムちゃんだったような、綾波だったような……
そういえばうる星やつらよりもエヴァのが先に知った様な。でも考えて見たら春麗だった気もする。
そうやってたぐっていったら、結局18号だという結論に落ち着いた。