黄色頭巾編・二十三話
「ったく、さしずめ祭の後のゴミ拾い、って感じだよなぁ」
「まあ、コレはコレで、楽で良かったんじゃね」
鉄血風紀で知られる曹操軍、出兵の最中に無駄口を叩く肝の太い兵士が所属する隊は、一つしかない。
そして戦が既に終わっていて、任務が実地検分だけになった事を退屈だ、とのたまう能天気も、精鋭揃いの曹操軍と言えど、一隊しかないだろう。
「しっかしまあ、派手にやったなあ、オイ」
「本当に、専門技は大したものね。南陽兵は精兵とは聞かないけれど、それを統べていた孫夏は十年あまり反旗を翻していた古豪だった筈よ」
そこらに赤い塊が転がっていた。
顔面の半分がべロっとはがれて、挽肉の様な色の中身が見えているのや、足がおかしな方向に千切れているもの。腹が潰れて『わた』がはみ出ているもの。
死んでいる人間の顔は、美しいものでは無い。
寝顔とは違う。表情の無いまま目や口をぽっかり開けている顔は得も言われず、ただただ怖ろしい。
――――――その不気味さに慣れてしまう事こそが、ひょっとすると一番の「怖さ」、か。
原型の留めていないものは、逆にその怖さもないが。
しかしいずれにせよ、眼に良いものではない、と言う意味では変わらぬ。
それらの夥しい死骸は、彼らが決戦に臨んだこと、そしてその数の多さがそのまま、華雄らの騎馬軍の破壊力を示していた。
「どいつもこいつも、鎧や刀持ったまま、か。良い仕事してんねえ」
「何進は金だけはあるんでしょうよ。完全に朝廷を私物化してるもの」
「だが、末端まで神経が行き届いてる証拠だ。こういうのは、中々お目にかかれん」
骸にはほとんど、略奪された形跡がなかった。こういう時、勝利した軍の雑兵がどさくさや実地検分の時に金目の物を持って行こうとする事はザラにあるし、ともすればそのまま軍を抜けて逃げてしまう――――という事も無くはないのだが。
彼らは純粋に、何にも目もくれず敵を殺していった。そして、カタが付いたら余計な事は一切せずに、さっ、と華雄について去って行った。
彼らの戦った後を見聞するだけで、彼らの練度と統制……つまりは軍隊としての完成度を、ありありと窺い知ることが出来た。
「おっ…………」
「どうしたの?」
無数の散乱する肉の塊から、武蔵が何かを見止めた。
そのまま馬を蹴らせ、桂花が追従する。
「こいつだろう、孫夏」
武蔵が駆け寄った骸。すぐにそれとわかった。
その亡骸がこの集団において高位の者である事は身に付けた鎧から判別できたが、それにも増して目立ったのは、その死に様だった。
首こそないものの、大地に横たわったそれは土埃が多少汚している以外は非常に小奇麗で、他の潰れたり叩きつけられたりした兵卒に比べて、外傷らしい外傷が見当たらなかった。
両手は胸の前で重なり、得物であろう戟を握った右手の上に、そっと左の掌が乗せられていた。
「骸はそのまま土に……か」
恐らくは自害する間もなく捕えられ、斬首されたのだろう。
或いは頭目として、その首と引き換えに戦を終わらせたのか。結末はわからないが。
首の断面の荒れが無く、一直線に落とされていた。据え物斬りの切り口である。損傷の少なさから見るに、相当慣れた首切り役がやったのだろうと思えた。斧か何かで斬ったようにも思える。
隣の桂花が、どうせなら骸は家族に帰してやれば良かったのに、と言った。
――――――やはり、死ぬ時は故郷に帰りたいと願うのかな。
だが、恐らく彼にそれは無理だったのだろう。
そもそも親や家族が居なかったかもしれないし、居たとしても帰れまい。彼は反逆者だ。
戦うと言う事は、そういうことなのだ。多大な物を捨てなければならない。
それよりも自らの信念――――プライドに重きを置けるか。つまりはそこ。
だからこそ戦うものは美しい。誇り高いからだ。その誇りは戦いを重ねるごとに、耐えるごとに純度を増してゆく。
さながら打たれ、鍛えられ、使い込まれる程に艶を深めていく、日本刀の様に。
彼を捕え、その首を討った将も、それを解っていたに違いない。
美を解していたのだ。そう言うものに、敬意を払える人間だった筈だ。
美しいものがめちゃめちゃに壊されて、高潔な権威が汚されてしまった時の、あのどうしようもないやるせなさを知っていた。
だからこそ、その肉体は生きて戦っていた時のまま、八つ裂きにすることも無く、戦いの中のままに結末を置いて行ったのだ。
揺らがぬ誇りを、美しいままに。
「…………む……!?」
「何よ?」
すっと屈もうとした武蔵の腰が、途中で止まった。
「……おい、兄ちゃん」
桂花の問いに答えるより先に改めて腰を落とし、亡骸に指を添える。
同時に目線は落としたまま、適当な兵を人差し指で呼び付けた。
「はっ!!」
「凪呼んで来い」
「はっ……」
「楽進」
「あっ、はい! ただいま!!」
一瞬判断の遅れた若者だが、武蔵に諭されるとすぐに駆け足で駆けて行く。
上官に対するきちっとした所作と態度を見るに、桂花の兵だったのだろう。
しかし、武蔵の眼にそれは映っていない。ずっと下に向けられていた。
「ねえ、どうしたのよ?」
「……こいつ、捕虜になったんじゃねえな」
ようやく返事を返した武蔵は、亡骸の剣を抱いている右手首を掴んだ。
ズル……と、上に被さっていた左手が、重力に従うまま除けられる。
そして、右腕は、戟を握ったまま――――――
「……え?」
「戦死したんだ。戦って斬られたんだよ」
ちょうど鎧の無い肘辺りの部分から、輪切りになった腕だけが持ちあがった。
四肢全て傷無しと思われていた身体は、右腕が斬り落とされていた。
「…………」
握りこまれた拳――――――腕だけになっても、未だ得物を離さぬその指に手を掛けるのは一瞬戸惑った。
体温を失って尚、執念の火が未だに宿っているようだった。
すこし圧されるような感覚を受けながら、すでに冷たく固まっている掌を、親指から一つ一つ開いて行き、ようやく外した戟を、そっと胸の上に戻す。
そして身軽になった右腕を、改めて掲げ、眺めてみる。
「うげっ」
断面を見てみる。
桂花があからさまに嫌な顔をしたが、武蔵は構わなかった。
パッと見では、気づくことすら危うかった。まだ生きているかのようだった。
拷問によって斬り落とされたのか。いや、そういう事は、本拠地でじっくりやるものだ。それであるならば、こんな風に、わざわざ武者姿で戦場に骸を置いていくなど。
据え物斬りだとしても、よほどの達人とて、ここまで上手く斬れるかは知れない。
あの首は、この腕が斬られた後に捕えられ、ひっ立てられて斬られたのか。それとも既に倒された後、御首級として改めて斬られたのか、あるいは、介錯か。
「どっちでもいいじゃない、そんなの」
「…………」
いずれにせよ、この腕が戦闘の最中に落とされたものであるのは、間違いなさそうだった。
この男は立ち向かったのだ。この腕で得物を操り、この太刀筋の主に。
――――何者なのだ?
「隊長! いかがされましたか!!」
「……凪か」
喉の下の方から出た声は、自分でも思いもよらぬ低い声だった。
「こいつを斬ったのは誰だ? あの華雄か」
「こいつ……? その、亡骸ですか?」
「恐らくは孫夏だ。敵将のな。こいつの最後はどうだった? 華雄から聞いてないか?」
「あ、はい。それでしたら、先頭を切って斬り込んできた孫夏と数合打ち合った後、華雄殿の護衛がそれを斬ったと……」
「ふん……」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……ねえ、ちょっと」
「………」
「……ったく……」
返事も無いまま、骸に再び目を移す。獣並の眼が、ぐっと見つめた。
斬られながらにして生きている――――――否。
生きながらにして、殺されていた。
もしこの腕が、生け造りの魚の如く今まさに動きだし、自分の腕と握手を求めて来たとしても武蔵は驚かないと思う。
けれどその骸に温さは無く、確実に命は無いのだ。
その骸は、血の通っていた時と同じ、生きたままの形をしながら、完全に死んでいた。
その所以は、元からこの形であったのだと錯覚させるほどに、骨も肉も血管も、表皮にすらも一切の損ないも無い、完璧なまでの絶妙な斬り口が為しているのか。
―――――まるで、作品ではないか。
ぞっとするほどの美しさ。
凝視してみてわかるほどの、わずかに残った着物の断面の微妙なほつれだけが、これが人間の技だと言う事を示している。
ただの肉の塊、ただの物言わぬ死体でありながら、打ち捨てられたそれにはかすかに残る、至高の技のみが作り出せる美の残り香。
如何な速さ、如何な上手さ、そして如何な強さであったか。
武蔵の脳裏に、今まで見た達人達の冴えた剣がアトランダムに流れていく。
吉岡、高田、夢想、柳生、小野、そして――――――と。
しかし、それらが網膜の裏をよぎって、なお。
可能か? この、鮮やかさが。
「…………」
彼の知る剣、その中で最高の印象を持つものが、フラッシュの様に呼び覚まされた。
しかし。
この剣の主は、さらにその技を一層深めた深淵さが――――――
「けい――――――」
「ええ。じゃあもう兵を纏めて頂戴。指示が追い付かない所は沙和と真桜で手分けして」
「わかりました」
振り返った時、既に周りは武蔵を置いて動いていた。
桂花の指揮の下、武蔵以外の全員がせかせかと慌ただしく動いている。
「何よ?」
「いや…………」
言い淀んだ武蔵を見て、桂花はわざとらしく腰に手を当てる。
「いつまでも死体とにらめっこしてたって、その将が討取られたって以上の事はわからないじゃない。それよりも、やるべき課題は山積みなのよ」
時間がもったいないわ、とだけ言うと、桂花はぷんと武蔵から背を向けて、再び部下に指示を飛ばし始めた。
「…………」
――――――死人と会話?
再び見遣る。
美と言うにはうすら寒い、グロテスクな芸術があった。
絶人の剣に立ち向かった、高潔な魂の亡骸。
だが、それだけだった。
ここにはこの腕の持ち主も、それを屠り去った達人もいない。
あるのは名残だけだ。
所詮、俺は彼らに触れることは出来ない。
だと言うのに、答えは出ぬと判りきっているものにいつまでも心、囚われるとは。
――――――それは全く、この武蔵の拍子では無いではないか。
「…………」
傍らの聡明な少女に目を移した。
此処に彼らはいない。答えも無い。実を持たぬ空気がここに残っているだけだ。
ただ戦場の土に還るだけの残り香が。
そんな事、当の昔にわかっていた、考えなくてもわかるだろうとでも言う風に、すでにその亡骸と、いつまでもそれに構っている武蔵から完全に背を向けて、今、前を向いてやるべき事に従事していた。
武蔵の鳩尾程の背丈で、武蔵の半分ともう四半の歳にも満たぬ、この少女。
――――――小癪な。
敏腕を駆使して指示を飛ばす桂花。
何かをふと思い、音も無く背後に、ふっと一足で忍び寄った。
「きゃああああ!?」
そのまま生首ならぬ生腕を、そっと小さな頭の上に乗せてみた。
「佐々木ィ……」
「…………」
屈強な兵士の群れ、従えた若い女は振り返りもせず。
「華雄っち、まだ戦っとんちゃうん? お前何しとんねん、こんなとこで」
「言ったろう。帰るんだ」
優駿の様な貴公子にのみ、その意を向けた。
「一刻も早く眠りたい」
「……あんたなあ、どんだけ寝んの好きか知らんけど」
張遼が頭の裏をがしがしと掻く。結わえてあった髪が少し乱れた。
声は荒げない。熱は横隔膜の裏側に隠したまま、ニ間弱ほど離れた小次郎の鼻先に偃月刀の刃を向ける。
「中央正規軍・車騎将軍はんの客分かなんか知らんがな、寝過ぎて寝ボケんのも大概にしいや」
冷静に、しかし甘からず糾弾してくる代議士の指先に似ていた。
「ウチのもアホばっかやけどな、味方が戦ってるのんに勝手に帰るワガママは、一人も居らんで。それともあれか、外様の田舎モンは小間使いみたいなもんやから、何しょうが構わん、ってか?」
されど、滲み出る余熱を隠しきれぬのは、若さゆえか。
或いは彼女の大人びた部分が、若さを露わにさせなかった、とも言えたか。
「…………」
もっとも、この場で、それをすっぽり臓腑の中に仕舞った故の燻りが、その心にさざ波が立せている事を読みとれているのは、その双眸の奥側の底をじっと見つめるようにする、この男だけであろうが。
「女子供、と言う一繋ぎの慣用句があるが、この二つはかなり違うな」
「……?」
身体をスッと立たせて、一歩、馬を進めさす。
「女を抱いている時にはふと、首筋を噛み千切られる予感がよぎるが。赤子は違う。ただ、愛らしい」
カツ、カツ、と、実にゆっくり近づいてきた、切っ先の先は微笑。
「女が殺してやると喚く様は怖いが、童が怒って組みついて来るのは微笑ましい」
なにか、じっとりとしたものを視線に含ませていた。
「男は見ただけでわかるものだがな。もっとも、心、許したいとも思わんが」
並の男がやると、粘着質な嫌悪の色になるそれは、
この男がやると、ほろ酔い始めた妖艶な、美女の濡れた瞳のそれ。
「この刃に触れられるほど近づいても――――はて」
指が伸ばされる。細く長く、白い指。
切っ先に、触れられるほど近くに。
「果たして女の毒かな? それとも、子供の無垢さかな」
美しすぎてぞっとした。
笑み。
「――――――……ッツ!!」
それが気にくわなかった。
褥で囁くような、やたらに色っぽいその声と合わせて。
勇ましい愛刀が、飛び跳ねるような身震いをした。
――――――所詮は、女子供のそれ。
お前に斬られる気はしない――――――
酷く官能的に、そう哂われたような気がして。
「――――――あんたバッカじゃないの!? もう本当っ……バッカじゃないの!?」
「ハハハ、こやつめ」
「常識で考えて、やっていい範囲と超えたらダメな線ってあるでしょ!? わかってるのよね!? わかってるんでしょ! わかっててやってるんでしょ!? そうだと言いなさいよ!! 毎回毎回毎回毎回アンタは~!!」
激昂して、特徴的な金切り声が荒野に響いた。
もっとも、本人にしては烈火の如きつもりなのであろうが、眼に涙をいっぱいに溜めて遥か頭上の男を睨むさまは、可愛らしいと言う以上のものはない。
桂花にとって、それは甚だ不本意だろうが。
――――そりゃあ、輪切りの腕を頭に乗せられたら、悪戯と言うにも怒るに決まっていよう。
ケタケタと、実に面白そうにしているのが、なおタチが悪い。
「どれだけ腕が立つんだか知らないけどねえ、無駄に歳食ってるわけじゃないでしょ!? 少しは人としての最低限度の良識ってモノを……」
「―――――報告、申し上げます!!」
「どうした?」
「――――――んむっ……」
きぃきぃと、何やら叫びながら、背伸びして胸を辺りを拳の底でぽかぽか叩いてじゃれてくる桂花を、武蔵はしばらくそのままにしておいたが、一人の伝令が駆けこんでくるのと同じくして、桂花の口を掌で塞いだ。
すると武蔵の手が大きく、桂花の顔は小さいので、殆ど鷲掴みにするような格好になり、如何にも落ち着かない年少の補佐官を、さっといなす年長の上司といった風で。
伝令もすっかり桂花では無く武蔵の方を責任者だと思っているようで、彼女にしては踏んだり蹴ったりと言うか、扱いがぞんざいと言うか、何と言うか。
じろり、と睨んで見るものの、声なき訴えは聞こえず。
「本拠で罪人が牢を破り、反乱! 暴徒鎮圧のため、夏侯惇軍が戦闘を開始したとの事!!」
「――――――ああ?」
結局、抗議の機会も失ってしまうのだった。
「うろたえるな!! 所詮は賊!! 各個、複数で当たって斬り棄てい!!」
敵味方我入り乱れる、白兵戦の最前線。
戦場の怒号でも埋もれない、野太い声。味方を鼓舞し、常にその位置を把握しながら、敵に当たる。
屈強な兵士。死線もいくつか越えてきたか。血の生臭さも、馴染んだか。
鬼将・夏侯惇が精兵。安くはあるまい。
「――――――俺を、斬る?」
はっとして、振りむいた。
――――――が、そこにはもういない。
「そりゃあ無理って奴だよ、だってさ……」
「――――――ッツ!!」
不意に、いきなり、
目の前、視界の一番下に現れた。
予断なく周囲に気を配っていたハズだった。
が、ヒトに許された視界、約120度、その限界からくるわずかな隙、その死角に入った一瞬の間に、密着する程に間を詰めて来た。
自分の胸の辺りほどまで、腰を沈めた小柄な男。ちらっと見えた、鎧も付けぬ、普段着姿。手には、短く丈を詰めた棒。
やっと目視出来た、その時には既に遅すぎた。
――――――目から火花が噴いた。
ガッと強い衝撃が頭に走り、そのまま世界は真っ白に染まって、身体を手放した。
顎をまっすぐに下から上にかち上げた、突き上げの猿臂によく似た形から放たれた、手元側の先端。
それを視認する事は叶わず。
「あんたじゃ、俺には触れねー」
一本の棒の様になり、ばったりと倒れて後頭部を強く打ち付けた彼が――――――
脳震盪でブラックアウトした事に気がついたのは、味方に救助されてこの戦が終わってから。
衛生兵に下顎骨骨折、真っ二つに入った亀裂で向こう一ヶ月、流動食生活である事を宣告された、その時であった。
「――――――ハ」
道は開けた。
倒れた敵に残身を取る事も無く、自らの体躯に合わせた杖棒を手の中で滑らし、翻す。
そして、弾けるように奥を目指して斬り込んでいった。
さながら、身軽な猿の様に。
「万億、一番乗りっ! …………ってか?」
ニコニコ見てたら無双6がすげー面白いゲームに思えて来た。魏ルートの完成度高えな。