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黄色頭巾編・二十二話

お気に入り数200突破更新。みなさんのおかげ。これからも宜しく。

斬り棄てられた身体の欠片、噴き上がった鮮朱の柱。

置き去りに捨てて行かれるように、一合結ぶ勢いのまますれ違って走り去って行った両者の間で舞っていた。

音が消えた。そんな感じだった。

いや、もっと言うなら――――――


――――――時が止まった。


猛り狂った華雄の熱を、たった一太刀で静めるほどの剣だった。

孫夏は右脇に戟を構えたまま突進、馬を蹴らせて一息に間合いを詰め、射程圏内に入ると同時に、自身の乗り馬の首をかわすようにして、左の引き手は身体の近くに残したまま大きく旋回、頭上まで振り上げ、そのまま一気に振り下ろした。

この時点で物干し竿の刀身は、未だ鞘の中にある。

佐々木小次郎独特の――――――背負い大太刀を安定させるためにこじりを手で固定する抜刀の体勢、柄に右手を掛けた時には、孫夏は戟を旋回させ、自身の頭上に構えていた。

すでに避けるも叶わぬ間合い、受けにも可変出来ぬ拍子で、互いの打ち込みが被さるしかない形、そうなれば、おのずと導き出される図式は必定。

先に手を出した孫夏が、小次郎の打ち始めを潰す形のカウンター……

つまりは「先の先」を取り、その眉間を一閃すると言う構図。

傍で見ていた華雄の頭には殆ど反射的に敗者と勝者の図が浮かび上がった。

それは孫夏も同じであるし、恐らく地上の如何な達人がこの瞬間を品評し、又、孫夏・小次郎の身に為り変ったとしても、鍛え、研磨された戦いの嗅覚が、その想像を意識するよりも速く、脳裏に思い起こさせたはずだ。


――――――たった一人を除いて。


常なる立ち合いであれば、到底間に合う筈の無い拍子。

一瞬よりも短い時間ではあるが、確実に早く、孫夏の戟が小次郎を捉えるはずだった。

だが、そう確信した次の瞬間、決した決着は、完全にその頭の像とは真逆だったのだ。

その長い刀身を一息で抜き、軌道に逆らわぬまま右から縦斜めに弧を描いた小次郎の剣は、まさに振り切られんとした孫夏の戟の軌道に被せ、交錯させるようにぶつけられ、その先に添えられた右腕を斬り落とした。

そして、まるで反射のように――――――さながら燕の急速旋回の如く翻された斬り上げの二の太刀が、先手を失った戟が制御を失って軌道を乱れさせるよりも速く、その喉笛をざっくりと切り裂いていった。

カラクリらしいカラクリは無かった。

馬がすれ違う間に、孫夏が小手を打たれた事に反応する間に、華雄が思わず瞬きした瞼を、再び開く間に。


ただただ、圧倒的な“速さ”。


まるで、さながら一振りののうちに、全く同時に二つの刀を繰り出したかのごとく。虎の双牙が噛み砕くようでもあった。

いや、後から見れば確かに、ギリギリまで刀を背後に隠してあったことで孫夏の把握しうる間合いに狂いが生じた事や、その物干し竿の長さが本来あるべき戟の距離的な有利を帳消しにしたことなど、要因が無いではなかったが、それはあくまで二次的なものに過ぎない。

傍で見ていた華雄が出所を見失う程、究極的な次元で完成されたフォーム、体重移動から最後の手の内を決めるまでに一毛の無駄も存在しない程に練られた打ち込みが、華雄の意識に認識し得ぬ欠落した刹那を創り出し、その間に、血と肉片を置き去りにした。

すべての挙動が、別物であった。納刀状態の不利など、全く関係が無かった。

後の先、否。いうなれば、「後から打った」先の先、とも言うべきか。

後から合わせ、悠々と。相手よりも速くそれを斬り伏せ、勝者と敗者を分かつ絶対の刻を、余裕綽綽と跨いで、斬って落とした。

それはまさに、止まった刻。

失われた時間。

華雄が見失い、孫夏が奪われた刹那を、泳ぐことが出来ていたのはただ一人、


「………………」


佐々木小次郎、その人のみである。




ピッ、と一度、中空で刀を払う。

一滴の雫も飛ばない。

馬をすっと返した、その立ち振る舞いは人を斬っていてなお、優雅。

或いは血化粧が、その艶を引き立たせているのかもしれない。

すれ違いに打ち捨てられていった勇者の頸。いまひとたび、今度はゆっくりとすれ違う。

刎ね上げられるまま仰向けになって倒れて行った。ぽっかり開いて、ビードロ玉のおもちゃのようになった目玉は、今はもうその美しさを、無機質に反射させるだけ。

若しくは斬られる瞬間から、その像を捉える事は出来なかったように思う。


「……………ふんっ」


しばらく華雄の眼は小次郎の立ち姿にあったが――――――

小次郎と視線がかち合った時、靄を払うように鼻息を荒くついた。


「貴様が茶々を入れんでも、勝負は私の勝ちだった」

「かも知れんな。だが長引くのは――――――ッ……」


まどろんだ瞳で喋り出す、と―――――――言い終わらない内に身体がぐらついた。

乗り馬が機敏に反応して、上手く拾うようにバランスを取る。


「………………いかん」


かぶりを振ると、黒髪が香った。

半開きの眼のまま、抜き身の愛刀をさっと鞘に納め、来た歩みのまま華雄の隣を通り過ぎようとする。


「ッ! おい、どこに行く!?」

「帰る」

「なに!? 何故!? まだ戦闘中だぞ!」

「寝る」


もう彼は華雄に視線を遣ろうとはしない。

否、未だ味方が戦っている戦場にも、であった。

彼の中では既に、戦いは終わっていた。


「…………これはッ!?」


ブォン、と風切り音と呼ぶには随分にごつい轟音を唸らせて、華雄は自らの得物で小次郎の落とした首を、指さすように示す。


「…………」


戦場で散った武士は、そのまま土に還るべきか。

否、手柄として首実験にかけ、市井に晒し、敗者の末路のかくある所を示すべきであろう。

それが戦の方策である。

――――――晒されるのか。

ならば、せめて。


「…………やるよ」


小次郎はもう一度、かつて勇士の魂を象っていた入れ物を見た。

すぐに踵を返すと、そのまま馬をゆったり進ませて、呟きを一つだけ戦場に置いていった。










「あー……気持ち悪い…………」


戦の匂い。

血の匂いに惹かれて、戦人はやって来るか。

この部隊の千里行は、鮫が見たら鼻で笑いそうな程にのろいが。


「……貧血とかじゃねえか、コレ?」

「馬鹿みたいにでかい図体してるくせに、何言ってんのよ」

「いや、これそうだって。昔、ぼっけえ血ィ出した時と同じだもんよ。ほれ、このへんとか」

「嫌嫌々!! 本当やめなさいよそういうの、馬鹿変態死ね!!」


武蔵が自分の着物を肌蹴させ、下にあった、鎖骨から鳩尾の辺りまで走る古傷を見せる。

みみず腫れのような裂傷の跡を見て、桂花は自分で自分の身体を抱くような仕草で、ぞわっと身を震わせた。

以前、武蔵が爪の間に針が刺さった話をしていた時も、似たような反応だった。


「あるいは馬酔いかァ……?」

「たいちょー、昨日まで普通に乗ってたのにそれは無いと思うの」


さて、この鈍行の原因――――

それは十中八九、この軍における指揮官たる桂花の護隊の隊長を仰せつかっている、この男である。


「酒と違う?」

「呑んどらんわ……いや、もしや出征る前に華琳に貰ったやつが10日越しに」

「ンなわけないじゃない、死ねば?」

「死にそうな奴に死ねって言うたら冗談にならんぜ、桂花よ」


此度の反乱軍討伐の戦役、曹操軍から荊州・南陽方面へは桂花を指揮官とし、軍監に武蔵を付けた一軍が派遣された。

八合目までは特に障害との接触もなく進軍――――――

が、もう一息で戦地にたどりつくと言う所、急に武蔵が体調不良を訴えたのである。

軍中、二番手が体調を崩したとあっては、さすがにお構いなしに駆けさせるわけにはいかず、予期せぬ足止めを強いられたわけである。


「しっかしまあ、こんな遠い所まで遠征ってのはタルいっすよね」

「なんだな。潁川の方か、アホ可愛い方の夏侯将軍と本拠守ってた方が近くてラクだったんだな」

「いや、頭悪いわけじゃねえんだぞ、春蘭は……」


余談だが、もう一方の夏侯将軍は、華琳に付いて潁川に出向いている。


「そういやこの辺は、ちっと前に散歩で来てな」

「へえ」


少し顔色が良くなったか、あるいは気分を上げようとしたか、三人衆に声をかける。


「……あんた、こないだの軍議すっぽかしたのはそれね!?」

「……あーやばいやばい、えれーえれー」


が、すぐさま緊急撤退せざるをえない事態に追い込まれた。

無論、自業自得である。こういう時に体調を盾にするのは良くないと思う。

あるいは不調故の自爆かもしれないが。


「…………ブルッ」


武蔵の跨る貴婦人も、呆れたように一つ嘶いた。


「隊長……逃げてはならない事もあります」

「凪……」

「左様です隊長! 隊長には我ら曹操軍最精鋭、武蔵隊の長としての……」

「黙れニキビ」

「あれ、隊長!? 私にだけ何か厳しい!?」


豆鉄砲を食らったニキビに、ゲラゲラと周りが笑った。

まあ、笑いにしてくれるだけまだいいのだと思う。

上官への口応え、もし華琳の親衛隊で披露すれば、実に肝の冷える無礼講ジョークだ。




「……そうこう言ってるうちに、着きましたぜ」

「ん……」


ノッポの声に応じて、頭を抱えていた武蔵が顔を上げた。

着いた、と言っても実際にはまだ、五里ばかりの距離がありそうだが、なるほど荒野の地平線上に、黒く固まっている一点がある。


「あれー? でもなんかぁ」

「もう終ってんのんとちゃう?」


障害物の無い、更地のここからなら聞こえてもおかしくない喚声が、腹を叩いて来ない。

それに戦っているにしては、舞う土埃が少ない。

なにより騎兵ばかりであるが、いやに陣が整っていた。


「旗印は黒地に『華』…………と、言うと?」

「あの旗は董卓軍ね。将軍は誰かわからないけど、とりあえず味方……か。凪」

「はい?」

「騎兵を50騎率いて接触して頂戴。私達は少し後から行くわ。何か変調があったらすぐに引き返して」

「承知」

「どうれ…………行くかい」

「あっ! いえ、隊長はこちらにいらしてください。お身体も優れないのですし……」

「む……?」


凪に諌められると、武蔵は確認を取る様に桂花に視線を移す。


「……そうね。隊の長が自ら先遣に出るのは好ましくないわ。代わりに沙和を連れて行って」

「わかったのー!」

「すまんな。気を付けろよ」

「はい。行って参ります」

「…………」

「…………」

「…………むゥ」

「……あんた、本当にちょっとヤバいんじゃない? 顔青いわよ?」

「いやいや……爺にはその気遣いが何よりの特効薬ってなもんでよ……」

「いや、今なら毒盛ってもバレないと思って」

「………………」







(………………ッ)


力は抜け、馬に揺られるまま。身体は正中線に置いてある。

体位に淀みはないが、心の中で、小次郎は一つだけ舌打ちした。

意識が覚醒したのはあの斬り結んだ一瞬だけで、あとはずっと気分が悪かった。

眠気に似ていると思ったが、どちらかと言うとこれはだるさか。それと、首の付け根からくるギシギシとした頭の痛み。

十四の、背が急激に伸びる年頃によく感じていた、あの気持ち悪さ。あれに近い。

もう数十年も昔になるが、人間、存外に覚えているものだ。悪い記憶は特に。

馬を返してからだいぶ楽にはなったが、まだ尾を引きずる様に続いている。

しかし――――――


(………………)


この、お世辞にも良いとは言えない調子でも、この身体の冴え、もっと言うなら、奥底から湧き出てくる力の塊とでも言おうか――――――そう言うものが、確実に意識として実感できるほどに満ち満ちていた。

身体が軽い。

彼の通り名である、燕という鳥の気持ちを思える程に。

そして何よりも、目。

あれほど斬る寸前の相手を鮮明に見留めたのは、初めてではないか。

否、かつては、あった。随分、久しぶりに味わった感覚だった。

それが何より良かった。俺は、あの烈しさだけを覚えていればいい。それだけで良い。

その先は、見たくはなかった。

まして俺の手で、など。

耐えがたいな。


――――――不意に、巨大な奔流が彼の横を駆け抜けて行った。


「んあ!?」


そのまま小次郎とすれ違って行った疾風の先頭が、不意に勢いを留める。

速度の余波が、大きく地面を削って、その走りを止めた。


「お前、こんなトコで何しとん?」

「……張遼、か」





「二人とも~こっちこっち~」


先見の楽進隊、それが彼の軍と接触してから一刻余を経て、桂花率いる本隊が到着。


「隊長、桂花様。こちら、この軍の指揮官である、華雄殿です」


整然と並び、すでに何時でも行動できる用意が完了している精騎兵。

その将たる華雄は楽進の取次に備え、武蔵らと向かい合わせの一番先頭に陣取っていた。


「ああ」

「ええ、宜しく」


馬上のまま、構えは解かずに拳を抱く。

さりげなくではあるが、三人衆が歩む様に彼らの半歩前に進んだ。


「うむ。私が華雄だ。遠路はるばる、かたじけない」

「華雄……」


武蔵ははた、と小首を傾げる。仕草には表さず、胸の内で。

彼が名前を反芻し、記憶の中に潜っている最中にも、話は進んでいく。


「あいにくだが、私もすぐ本軍と合流せねばならん。ばたばたしてすまんが……」

「ええ、戦時にかような気遣いは無用です。こちらももてなされに来ている客ではありませんし……」

「ほう? 中原の文士にしては、中々」

「……漢民族は分別と態度を弁えるものです。事に我らは曹操軍、不作法者はおりませぬ」

「ふん」


桂花は少し眼を伏せたが、それでも無機質な音声をつらつら口から綴っていく。

華雄はそのこまっしゃくれた言い方が少し気に障ったのか、眉間に筋を入れて鼻を鳴らす。


「では、な」

「ええ」


もう一度、軽く会釈にもならない程度の挨拶をして、華雄は自軍に馬を返し、人の密林の中を駆けて行く。

モーセの奇跡の様に、兵士たちが馬に乗ったままに彼女のために道を開ける。

そしてこちらから華雄の姿が見えなくなった、少し後、割かたれていた人の群れが全く元の通りに閉じて、ズズっと前に引き込まれて行くように、やがて一つのでかい騎馬の塊となって、速度を上げるに従い馬蹄の轟音を大きくしながら、走り去っていった。


「いやはや、見事な統率……さすがに騎馬民族ってのは違うわな」

「ふん。戦うだけが唯一能の民族なだけはあるじゃない」


桂花の尖った物言いに、武蔵が口角を斜めにしつつ、顔を上げた。


「嫌いか?」

「文字も書けない、人の物奪って生きるだけの野蛮人、あんたは好きなわけ?」


桂花が皮肉屋の様に肩を竦める。

武蔵は同じ気質の、それに少しひょうきんさを足した様なシニカルな笑いを浮かべたままだった。


「島国育ちにゃピンと来んな。異人はただ珍しいだけだった。それに、髪や瞳の色が突飛だって事じゃ、俺も変わらん」

「…………」


武蔵はあえて桂花を見ずに、すでに遠くなった華雄を見送る風にした。

風が抜けて行ったが、その間、と言っても数秒の間だが、そこに吹き飛ばされる言の葉はなかった。


「あ、そうだ」

「何?」


そして数拍待った後に、全く調子を変えた、やたらに人懐っこいポップな明るさの声色で、突然声を上げる。


「葉雄って名前似たのがいたな~と思って引っかかってたが、華雄って、あの華雄か」

「どの華雄?」

「俺の国のお伽話」

「ああ、三国志だっけ?」

「イヤ、『北郷天上人日記』って言う奴」

「……何それ?」


他の著名な文献にも、「華雄」の名は載っているのだが。


「中身は全部忘れちまった」


彼は特に与太話の類が好みらしい。


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