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黄色頭巾編・二十話――――――「孫夏討伐」

「YELLOW WARRIORS」と董卓討つべしだったら、どっちが好き?

「はー……………………」


焼けた吐息。見上げた蒼天は限りなく、どこまでも高く広がる。

その下には騎馬の海。

後漢最強を謳われた、草原と荒地の大陸からやってきた馬上の民。


「…………美味え」


その中で一際目立つ、スクッと伸びた脚を持った滑らかな黄金色の馬体の上で、人馬一体とはかくやと十人皆に云わしめるであろう雄姿は美酒に酔う。


「おうコラじゅっちー、お仕事中に飲酒とは感心せんなぁ」

「ん?」


同じ高さから、女の声が飛んでくる。地べたに足の着かぬ高さから。

つまりは彼らが、生まれた時から最もよく馴染んできた高さだ。


「罰として、そいつはお姐さんが没収や」

「嘗めさせて欲しいなら、そう言えよ」


袴に素肌に羽織りにサラシ。随分とエキセントリックな恰好で、キツネみたいな顔でくるくる笑う。

わざとらしく出した手に、じゃぼん、と重くて量のある音が鳴らしながら、山なりに水筒が飛んで行く。


「ん~ありがとう♪」


悪戯っぽい顔から、ホクホクした満足顔。お目当てが手の中に入ると、クルッと変わる。

笑顔は、笑顔のままだが。


「~~~~♪」


本当に愉快そうに笑うので、見ている方の頬も緩む。

わりと豪快に、がばっと大量に煽りに行った時は、少し眼が見開かれたが。


「んんっ……っくあぁぁぁ~~~~ぅっっっっ!!!! 良えな!! 効くわ!!!!」


顔をくしゃくしゃにして熱が点り、酒筒をぐっと突き上げて身を震わせる姿はさぞかし美味そうだ。

本当に陽気な娘だ。表情がコロコロ変わる。


「こんな良ェもんパカパカやっとったら潰れるんちゃうの? 戦場で、ばたんきゅ~されても何も出来ひんよ」

「その心配はいらねえな……何故かって? こいつが牛乳酒だからだよ」


柔らかな甘みと独特の香り、包む様なまろやかさ。

その後一瞬遅れて口と喉に広がる、燃えるような熱。

それこそが牛乳酒の真骨頂。


「聞いてへんし。アンタのその牛乳酒への信頼感は一体どっから出てくんねん」

「人間は乳酸菌とってりゃ、大体上手くいのさ」


幾許か、ちゃぽんと音が軽くなった水筒が持ち主の手に戻り、ぱしっと小気味の良い音がする。


「報告!」

「報告です!」


それを合図にするように二人の早馬が駆け込み、彼らの前で馬を止めた。


「潁川の郭汜軍が波才率いる三万を撃破! さらに友軍の曹操・朱儁が彭脱軍を駆逐、両敵将は戦死!!」

「徐栄隊が張曼成率いる一軍と交戦、先陣の将・韓忠を斬り、是を突破したとの由!!」

「おお~、やりよんなぁ」

「御苦労、下がれ」

「はっ」

「はっ!」

「…………」


騎馬の間を、自身も馬を駆って、まるで自分の脚の如く操って縫っていく。

男は酒筒に口を付けたまま、ぼうっ、となんとなしに見つめていると、伝令はすぐ群れの中に消えて行った。


「しっかしなぁ~ウチらがむっちゃ頑張っとんのに、良ェ目見んのはアホ何進のやっちゃろ?」

「派手にハネ回ってるってな。羽振りはいいわ宮女にまで手を出すわ。兵卒らも乱暴狼藉強盗凌辱、蛮行甚だしい……とは、士大夫どもの弁だが」

「ケッタクソ悪い話やんな。無理強いなんて女のテキやでー」

「全く」


コクン、と酒を一塊、呑む。


「女の柔肌と男の筋骨じゃ楽しみ方が違うのに。ごちゃ混ぜは醜いって簡単な事すら理解出来ない。つくづく、救えねえ」

「…………」


女は半眼の流し眼で、酒を転がす男を見遣る。

また始まったな、と、呆れ混じりで。


「女はヤる。男は殺る。そんでイかせる。わかるだろ?」

「ウチは仙術使いかなんかか?」


意味不明だ、というわかり易過ぎるくらいの揶揄だが。


「要はだ」


と、酒を一口煽ると、構わず喋り続ける。

男はまったく声調を変えない。


「女は抱くから綺麗だって事さ。女は愛でるもの、毀すのは男。鳴くから勃つんだ。泣いてると萎える」

「……アンタなあ、もうちょい解りやす~く言う努力とかしたらどうなん?」

「カッコ付けたら嘘になるだろ? それじゃあ、カッコ悪い」


もう一度、自慢の龍駒を煽って、唇だけで薄く笑った。


「高順将軍ーーーー!」


しばらく後、風向きがそろそろ変わり始めたかという時分に、再び伝令が駆け込んできて急停止する。

先ほどの兵のうち、少し甲高い声色の方の兵士だ。


「徐栄隊が敵中で孤立! 至急、応援を!!」

「はぁ? 押してたんちゃうの?」

「はっ、それが……」

「――――――張曼成は討ったか」


女が促した問いに彼が言葉を紡ごうとした矢先、男が被せるように問うた。


「はい、前陣を突破した徐栄隊はそのまま本陣まで突進、張曼成はその過程で戦死したとの由……」

「なんじゃそら! したらアレか、後ろほっぽって自分らだけで突っ込んでったっちゅう事か?」

「え、ええ……」

「なんでそういう事するかなあ、も~」

「いつもの徐栄だ。前だけ見て、進めるトコまで進む。いいんだよ、あいつはそれで」


左腰に履いた曲刀を器用に左の腕で抜く。

右手は酒を持ったまま煽り、バクン、と一息に飲み込む。

もう一つ、余った酒をすべて残らず口に含んで、露わになった刀身めがけて霧吹きのように噴き出した。


「張遼、後の指揮は任せた。俺は手綱を取ってくる」

「何や、まぁためんどくさい事は人任せにしくさってからに。あんま、お姐さんを泣かせんなや!」


すでに馬を駆けさせ始めた彼は、抗議する彼女を流し眼で見遣り、薄笑いを浮かべながら、カラになった水筒を伝令に放る。


「男の身体で遊んでくるわ!」


言葉を置き去りにして彼は疾走(はし)り、彼を中心にうねりだした兵の群れ、水流の様な兵の流れの中に消えて行く。


「……それはものすごーく誤解を招く発言やんなぁ」


ひと塊の馬蹄の轟音が分離し、姿を変えた一軍には、もはや当人には聞こえない呟きを落とす張遼が残った。




「……ったく、あいつに徐栄に恋ちんに、ウチの軍はどーしてこう……」

「張遼将軍! 左軍の華雄将軍が敵将・孫夏と……」

「おお、いっちゃん問題なヤツを忘れとったわこんチクショウ!!」


頭を掻いた張遼、悩みの種は減るどころか増えるばかりだ。




「はぁぁぁあああああああああ!!!!!!」

「がああああああああああァァ!!!!!!」


撃剣の唸り。

それは大気が軋る重低音と、胸を掻き毟るような金属音が混じって紡ぐ、独特のサウンド。

聞き苦しい不協和音でありながら、武道にあって常なる音。

何よりも耳障りでありながら、武人にとって最も慣れ親しんだ音。


「小娘! その細腕でわしと打ち合うとは見事ぞ!!」

「ふん! 南方の馬上術でいつまで私に付いて来られるか!!」


――――戦の大勢は、すでに決まっている。

黒鹿毛の暴威。

その疾さと凄まじさは常軌を逸していた。

この国を変えると誓い、百折不撓の鋼の意志で覚悟を固めた戦友が、悉くその破壊的な力に駆逐されて行く。

戦うために生まれ、奪い尽くして活き、戦いながら死ぬ。

生まれながらに命に刻みこまれたモノ、西の民との根源的な差だった。


「がぁッツ!!」

「ふんっ!!」


張咨が死んだ。

友であった。

殺したのは孫堅。江東の烈女。

賊討滅のための兵糧の支援を拒んだとの由。

――――――孫堅には近隣の賊徒、そして張咨を脅迫したように近隣の有力者から略奪した潤沢な資本があるにも関わらず、である。

彼女はそれ以前に自身の上役に当たる荊州刺史・王叡を討ち、その勢力を吸収した経緯があったが、ことについて謀殺の嫌疑を持たれていた。

密勅を受けて漢への反逆を企てる匪賊を討った、というのが彼女の言い分であったが、王叡は特に大規模な軍事行動を起こしておらず、むしろ軍備整備を活発に行っていたのは賊討伐のために各地を転戦していた孫堅の方で、長沙郡の太守でありながら隣領にも派兵するなど越権行為をたびたび起こし、また受けたと言う帝の勅も存在が確認出来ない事から、一連の行動の大義と、ややもすれば勅を偽装したのではないかという二重の疑いを持たれていたのである。

ともあれ張咨は彼女の要請に一旦待ったをかけ、


『我が方にも養うべき民がある。元来長沙の長である貴女の要請に応える義務はなく、何より荊州刺史殿殺害の件の是非を問うまでは、貴女を信用するわけには参りません』


張咨がこう返書を送ると、彼女は


『私は病になってしまったから、軍権を貴殿にお預けする故、印綬を受け取っていただきたい』


そう言って、会談を求めた。

当然、近しいものは「行けば殺される」と、こぞって張咨を諌めたが、


「請われて行かぬのは信に反する、孫堅を直に見ずして謀殺の風文のみを鵜呑みにし、無道の者であるとの偏見を持っていると言う事であるから。もし孫堅が真に漢のために賊徒と戦うものならば私を殺しはしないだろうし、私が死ねば彼女の正邪が天下に明らかになるであろう」と。


案の定、彼は殺された。

帰ってきたのは張咨ではなく、孫堅自ら率いる三千の武装兵であった。

彼女は張咨の首を掲げると同時に上述の旨をもって南陽に侵攻し、攻略。

しかる後、彼女は張咨の勢力を吸収、賊討伐の名目で自らにまつろわぬ有力者を次々に叩き潰し、それらの勢力もまた同じように奪い取った。


孫夏が賊に身をやつしたのは――――――張咨が言う所の正邪の証明による。

裁断は、彼らを“黒”と為した。

孫堅は自らに対する反発が公になり始めた所である一手を打った。

司空を歴任した大政治家・袁逢の遺児の一人であり、その中で最も若い袁基に、南陽を含む荊州で実質的な支配権を獲得した領地の大部分を譲渡したのである。

若年の袁基は中央ではなく、実家である汝南袁氏の元で養育されていたわけだが、南陽を急襲した際、孫堅はその卓越した指揮手腕で持って瞬く間にその近隣を掌握。

その軍事的圧力を強めた上で、袁基を推戴したのだ。

つまり絶妙な距離感で脅迫とまではいかぬ牽制を仕掛けた上で、地方への強力な支配力との同盟と言う旨味をチラつかせる。

いくら軍事的に精強とはいえあまり傍若無人に振舞っていると、今度は自分が朝敵と見なされ、天下を敵に回しかねない。

その不満が臨界に達するかと言う所で、中央に多大な影響力を持つ袁氏と癒着し、名分的な後ろ盾を得ようとしたわけである。


袁家も当然、孫堅の危険性は理解していたが、その軍事力を味方に出来るなら、と言う事で両者の利害が合致。

果たして袁家は朝廷にてその四世三公の実力と影響力を十二分に発揮、袁基を南陽郡太守に任免させると同時に孫堅に破慮将軍の位を与え、その後見人とした。

ちなみに、王叡誅殺の勅命が正式に発表されたのも【何故か】この時期になってから、である。

ともあれ、元は地方役所の仮の尉に過ぎなかった孫堅はこうして、荊州から広範囲に影響力を及ぼす有力軍閥にまで成りあがったわけだ。


なぜこのような事業が可能だったのか?

それは彼女自身の剛腕もさることながら、中央政権の貴重な「お得意様」であったからである。

つまりは、汚職を嫌った旧太守とは違い、太守の位を買い、破慮将軍の位を買い、逆賊誅滅の詔を買い、売官によって困窮する財政を賄おうとする中央政府に、豊かな南方の実りを落としてくれる。

海賊のような女。それが孫堅であった。

威光四海に轟く袁家の斡旋があれば、出自詳らかにせぬ孫堅とて、それらを買う事は難ではなかった。

――――――勅を金で買い、孫夏を含めた旧張咨一派を、不義逆賊の輩としてしまう事も、また。


「ッツ!!」

「はあッ!!」


白刃の火花が、熱戦の最中にあって追憶を呼び覚ます。

あれからすでに、十と余年。

彼らは賊のままであり、彼の友は汚れた名を被ったまま。

孫堅はある乱の遠征で横死し、その軍事力は逆に袁家に吸収され、今は袁基も若死にしてその妹が当主になっていると言う顛末らしいが――――――


もはやそれは彼にとって、あまりに意味を為さぬものだ。


信に応えるために行き、その報いとして、死と罪と消し難い汚名を賜ったともがら。

さぞや無念であったろう。

義を信じ、国に殉じた者にとって、その仕打ちは。

漱がねばならぬ。

例え天下が認めぬでも、国に裏切られても、自分だけは戦い、示さねばならぬ。

その魂の潔白を。握りつぶされてしまう真実を。

たった一つの願いだけを、一本の槍に懸けて。


覆し難い敗北の色を、染め尽くすギリギリの所で押し留めているのは。

矜持と侠と、義と誇り。

それらを全て圧縮して自身の内に収め切った、一人の人間の激烈な想いだった。




「――――――虎の蛮勇、狼の牙。それが如き、怒濤の暴力」

「ッ!?」

「む……?」

「その強大な圧力に、ただ一人で抗う勇者」


もう十数合は打ち合ったか。撃剣の音に互いの馬が耳を跳ねさせ、一定の距離が出来る。

そこで、熱るような攻防を繰り広げていた互いの手が止まった。


「それはとても勇気が湧き、胸躍るような詩になるかもしれん」


否、止められたのかも知れない。

それは立ち合いの流れで生まれた互いの手の届かない間合いにではなく、


「だが……………………いささか、長い」


恐らくはこの男の、海の底でさらさらと流れて往くような深い声。あるいは牡丹雪のようにしとやかな声。

静かだった。

だがそれは、血煙りが巻き、兵が周りを止まることなく流れてゆく戦場にあって、却って何よりも際立って耳に届いた。


「長すぎる英雄譚は誰も読まない。誰も聞かない。幼子に枕元で聴かせても、子守唄になってしまう。俺も然りだ」


恐らくはその声が、天上人のように美しかったから。

あるいは悪魔のように艶やかだったから。

だから、時間にすれば、ほんの刹那ではあるが――――――

戦うべき、今まさに立ち合っている相手から目を切り、その男に奪われたのだろう。

血の沸騰する戦場において、馬上にありながら未だ剣を鞘に納めたままのその男に。


「もう結末はここで、第二章は語らずに。あとは余韻を、挿入歌の調べに乗せて」


漆黒の束ね髪。

女ほどに長い長いその黒髪よりも、さらに長い背負い大太刀。それとは一転して対照的な、腰に履いた短い小太刀。

瞳はその髪と同じ。冬の夜空の虚空色。

深い、深い――――――黒。


「そろそろ、寝かせてくれないか」


まるで浮世と完全に切り離されたかのような空気を纏って、その男はそこにいた。


佐々木小次郎。

その男は、佇む様に静やかに、ただ、そこにいた。



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