黄色頭巾編・十九話
「――――――随分優秀な初陣だったらしいじゃない?」
「まあ、運は良かったな。全員生還ってのは」
上座にて優雅に華奢な象牙細工の脚を組み、軽く傾けた顎に頬杖をついたお決まりの格好で自身を見下ろす主を戴くが、跪きもせずに耳に小指を突っこんでいる眠たそうに受けこたえる態度には欠片も敬意が感じられない。
もっとも、最早咎める者もいないが。
すっかり、「こいつはこういう奴だ」と認識されてしまったようだ。
「あら、殊勝ね」
「素直にそう思ってるよ。ツイていた日らしい」
「その割には、さも当然、って顔だけど」
「……物事は期待の七分と三分も成果が出れば上等だ。十割は出来過ぎだよ」
謙虚な言葉を並べていたが、華琳に問われるとそんな台詞を吐く。
それを聞くと華琳は我が意を得たり、と言う風に、
「そう」
と、一つ頷くように武蔵を見て、にんまりと笑う。
随分、紅い唇だった。
「――――――やっぱり宮本は変な奴だな、秋蘭」
「それはまた、随分今さらな意見だな」
すでに武蔵が退室して、報告も終わってから、春蘭は腕組みして隣に侍る賢妹にしみじみ言った。
「大将首を挙げて華琳さまからお褒めのお言葉を頂いたのだから、もっと喜べばよかろうに」
「うむ……いや、あれが手放しではしゃぎ回っている方が返って不気味だと思うがな」
「むう、そうか?」
「あら、春蘭には武蔵はそんな風に見える?」
華琳が座に掛け、肘掛にヒジをついたままに問う。
「はあ……よく笑うし、よく喋るかと」
「それはあやつにとって姉者は、目に入れても痛くないからだろうよ」
秋蘭は老いた母親のように穏やかに笑い、
「違いないわね」
主はまた、面白そうに笑った。
「??」
その笑みの理由がわからなかったのは彼女だけである。
兵法とは、戦う法。
それ即ち、勝ちを得る法にしてそれに非ず、生を得る法なり。
勝つべくして勝つ。
武蔵の伝えたものは、ずばりそれ。
戦う術そのものであり、それは一に生き残る術であり、負けぬ術は、つまりは勝ちを得るための術。
理に則れば当然の帰結の如く勝ちを得よう。さながら戦う前から勝っているかの如し。
理に適うとはそういう事である。
なれば武蔵の心もまた、勝ちを得て弾け浮足立つものではなく。
巌のように鎮となれ、水のようにありのまま受け止めよう。
何故なら武蔵の得た剣の道理とはそう言うものであって。
それが何をもたらしてくれるかと言う事は、誰よりも知っていたからだ
「褒賞ウマー!!」
「なんだよデブ、いきなり叫ぶな」
兵舎に乱雑に集った彼らに、戦の臭いは無かった。
昨晩落とした血糊と垢に交じって落ちたのか、貰った休暇の一日で街の匂いに隠れたのか。
あるいはもはや染みついて、己が体臭とすっかり一体となっているか。
十人が十色である様に、六百が一人一人も様々であろう。
「すまないんだな、あまりのメシウマっぷりに一瞬我を忘れたんだな」
「二番槍ってやっぱ旨いのか?」
「夜鷹屋『病ン照れ』で“中に誰もいませんよ”プレイが四刻ポッキリ6回分」
「何と言うドM」
彼らの会話には、相も変わらず読解困難な若者言葉が混じっていた。
「やっぱ魁功ってのは旨え――――」
「大将首も旨えやな」
「――――うおっ!? ダンナ、いつの間に!」
不意に後ろから降ってきた声に大袈裟に反応する。
このひときわ目立つ風貌を全く誰にも憚ろうともしないのに、まるで幽霊のように音もなく現れるものだ。
「あ、隊長~」
「ああ、どうもです、ダンナ」
「おつかれさまです、隊長!」
ひょっこり顔を出した武蔵に口々に示す反応は、まこと一人一人の性格をよく映している。
「景気はどうだ、野郎共」
「聞いてくださいよォ、俺、3人も斬ったのに首級二つしか挙げた事になってねーんすよぉ」
「ほお、どういう事だ軍目付け」
「チビが斬ったうちの一人はノッポが止めを刺したものですので、そちらで数えました」
「このニキビ! ちったあ融通利かしやがれっ」
「公務だ、バカめが!」
論功の争いはともすればたびたび問題に発展する繊細な事項だが、特に武蔵は咎めることもない。
とりわけニキビは、時々、武蔵をして時折顔をしかめさせるほどに糞真面目な性分ゆえ、反面、こういう所の公平さでは隊内でも一目を置かれていた。
というかこの隊ではこういった軽口はたびたび飛び交うし、そもそも基本給与が高いので言葉ほどにあまり不満は出ていない。
特に初陣の任給を奮発したのは、優秀な新兵の心を掴む華琳の上手い手だ。
もっとも一兵卒から軍監を選んで繰り上げするあたりが、「適当集団」と揶揄される所以かもしれないが……
(……ありゃあ、すっかり忘れてて書類提出の直前に適当に決めたのが受理されちまったんなが)
それは言わない武蔵であった。
「お前は何処に行く?」
「そうっすねえ……『バカとテストと香辛料』でお馬鹿な狼さんとワカメ酒を一献……」
「アニキさん、女の子の前でそういう発言はどうかと思うのー。ぶっちゃけ、ドン引きなのー」
「ちゅうかにいさん、趣味が親父過ぎんで」
「……隊長、隊内の風紀の乱れはあまり好ましくないと思うのですが」
「然り、『恋慕の道思ひよるこころなし』の心得に反しているかと」
「あ~…………ありゃあ、必ずしも禁欲的な意味で言ったわけじゃあねえからなあ。
ま~……うん」
憐憫の目、と言う奴か。
凪とニキビには直接目を合わせずに遠くを眺めた。
後世にも広く伝わった言葉だが、つまり「女と恋愛する暇を稽古に使え」くらいの意味だろう。
いかにも剣に全てを捧げつくした求道者らしい言葉であるが、実像は、はてさて。
女性の香をマーラとして強きのために断ち切った事を自負し、至言として残したか、よく妻が居らぬ事を揶揄されたために対抗して作ったのか、それともなんとなく剣豪らしい重苦しい事を言ってみたかっただけか。
まあ実の所は当人にしかわからぬ。
「一生の間、欲心を思わず」とも語ったとされる武蔵だが、性分を考えると弟子に伝え、強く薦めるものと言うよりは、あくまで己への戒めである言う意味合いが強いのではないか。
とはいえ恋歌も詠んだことのある彼であるから、戒律の様な厳粛なものではなく、心得程度のものだったのだろう。
「ほんだら爺は、三人娘を飯にでも連れて行ってやるとしようか」
「おおっ、さすがは隊長! わかっとるや~ん」
「特に頑張った一番槍と別動隊指揮官殿を直々にもてなして申ぜよう」
「だから隊長好き~♪」
「せやなー、品行方正やとこんな良ぇ娘さんらとムッフンなお食事会が出来んどー、ってエエ昔話になんで」
良い娘さんにしては、語録がノッポの嗜好並に親父臭いが、どうか。
「二人とも、隊長に奢っていただくなど……」
図々しい、と行く気満々の二人に凪だけが難色を示すが、
「じゃあとりあえず辛味処巡りから行って、」
「謹んでお供いたします、隊長」
変わり身は滅法早かった。
穏やかな笑いが抜けて行く。
今は一人も欠けていない、次に戦い終えた時は何人残っているだろう。
彼らが剣を置いた時、いくらが生きているだろう?
今日、共に飲みに行く戦友は、明日も隣に居るだろうか?
解らぬ故に、生きるべし。
見えぬ故に、笑うべし。
「ふう……」
峻才、蛍光を持って筆を為す。
華琳の部屋は広くはあるが、華美ではない。
ゴテゴテの装飾などは無く、普段の華やかな彼女の姿に比べて極めて質素。
そのせいか、かなり大きく場所をとった寝台と机がより目立つ。
油も煌々と焚かずに、細い行燈の灯りが柔らかな橙色のコロナを帯びて、淡く彼女の眼が遊ぶ先の空間を照らしていた。
(まさか一兵も損なわないとね……)
机上に広がっているのは、竹簡ではなく紙だ。
片付けるのがおっくうになりそうなそれらの捺印はすべて【荀】
それらの殆どはゴチャゴチャと乱雑に重ねられて机の隅に固められ、華琳の前にあるのは二つの書状だけ。
その内の「今後推奨致す人的資源の運用の一案とそれに伴う農政制度について」と見出しを打たれた方の書状は、華琳の左手奥の方に分けられている。
華琳が筆を持ったままの利き腕で器用に頬杖を突きながら見ているのは、新たなる兵戸制度についての草案だった。
(試行としては懸念もあったけれど……これほどの強さとは)
桂花から上がってきた企画、その中でも特に目を引いた二つの案件を試すために、偶然に近い形で六千もの人員が手に入った事はまさに好都合だったと言える。
叩き台として選んだ何儀は有名でこそないものの、中央軍の劉岱を破ったと言うから手ごろと言うには少し不安はあった。
しかし結果として彼らは華琳の期待を超える強さを見せ――――同時に桂花の提唱する軍事体制の有効性を立証したことになる。
(農業……いえ、もっと言うなら土木・治安維持作業にも従事せず、完全に戦事のみを専門とする常備軍……従来の農兵・半兵とは一線を画すもの、いわば純兵……)
きっちりと乱れなく揃えられた文字が流れてゆく紙上で、空いているスペースにちょこちょこと名前が書き込まれ、その上に華琳が数字や図形のようなものを書き込んでいく。
春蘭、秋蘭、武蔵……当然、自身の名もあった。
名前の横に、各人の特徴を残して可愛らしくデフォルメされたイラストが添えられている。
脳からほとばしるように幾何学的な文字を書きこむ筆が一段落付くと、その合間に思い出したようにそれらに手直しを加える。
(もっと指揮系統を煮詰めて……組織化し各将、ゆくゆくは全軍に適用できれば)
少し眺めて、また小難しい数式を書き、落ち着くと今度はお遊びを描き、また眺めて……繰り返し。
(………………)
やがて硯に筆を置き、目線は机上に向けたまま背筋を伸ばすようにして、腕を組む格好から右手を軽く顎先に添えた。
(大規模に展開するには、まだまだ人も物も何もかも足りないわね……でも、)
思案が巡る。
(乱世の軍隊……………………)
そして何かに納得すると、青銅像のように凛とした眼が、ふっと緩んでまどろんだ。
資料はそのまま、筆と硯だけ片付けて灯りを一息で優しく消し、坐臥に入る。
(…………天下は……展…………新……に、回る………………)
才気煥発の残滓を頭の片隅に残しながら、彼女はゆっくりと、融けるように眠りに落ちていった。
超世の傑、未だ臥し地を這う。
天駆けるは、いつか。
一騎当千の新しいシリーズでは、馬超と南蛮姉妹がデザイン的に良い感じ。本編見てないけど、孟獲さんの声が豊口姉さんと聞けば嫌がおうにも期待は高まるというもの。
マキシマムザ亮君が、ロック番狂わせの頃に比べてだいぶ太ったなあとか思ったけど、冷静に考えたら前から太ってた。