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黄色頭巾編・十六話――――――「初陣」


空気が唸る。鎖が軋る。筋肉が躍動する。

浅黒の肌、長い腕がしなる。分銅が鈍い光沢の円を描いた。

皮膚に走る何本かの傷が肉体に呼応してうねるのは、まるで獲物を前にベロベロと舌を出しながら、鎌首を擡げて飛びかからんとする前運動のよう。

薄い唇が不敵に歪む。

細い眼に潜む大きな黒目の色は深く、ちらっと垣間見えた犬歯が、武蔵には毒牙に見える。

その男は何もかもが不気味だった。

左手に携える鎌の長く曲がった刃が、死神の手招きに似ていた。





「蛇野郎め」

「あ?」


両者の間にはかなり距離があったものの、ぼそりと呟いた武蔵の声は届いたらしい。

それは、二人の間に遮るものがないからか。

気まぐれに風が通り抜けて、さわさわと足下の草を揺らしていく。ただそれだけしかない。

あとは――――――骸だけだ。


「仇に燃えたりもすんのかい? 侠客らしく」

「ないな」


男はその得物の回転数を上げ、歩み足でするりと間合いを詰める姿勢を見せる。

武蔵は反射的に、一歩で大きく、バッと後ろに飛びのくように下がった。

背中が逆立った鳥肌のように泡立ったが、それも熱を持ったのは一瞬で、距離がまた一定のものとなり、じりじりとした睨み合いの均衡が戻ると、冷めるように戻っていく。

一つしかない分銅は無数の残像に分裂し、独特な円を描く。速さは変わり……長さが変わる。目にも止まらぬ速さで小さく高速回転したかと思うと、いきなりペースが変わって、ゆったりした大きな弧を作ったりもする。

空気を裂く轟々とした響音、鎖の擦れる甲高い金切り声。

二種類の威嚇音を発しながら、それは巧みに獲物を惑わす。


――――――やっぱり蛇だ。


武蔵はそう思った。

じっと見つめていると、その螺旋の中心に吸い込まれるような錯覚すら覚えそうだった。


「『伊賀の鎖鎌』だの『侠客・宍戸』だの、勝手に世間が呼んでるが。知ったこっちゃねェ。そいつらは、その名前の下に勝手に付いてきただけだ」


宍戸の目は斬り散らかされてはらわたの飛び出た骸には一瞥もくれず、ただ武蔵だけを射抜いていた。

歪んだ笑みは絶やさないままに。

自らに纏わりついた有象無象。

この男にとってはただそれだけでしかないのか。

――――――きっと、そうだ。

こいつは心からそう言っている。

こいつを象っているのは、近畿に轟くその勇名でも、頭目としてのプライドでもない。

まして手下に対する侠気や仁気や哀悼の意などでは決してない。

ただ、強いこと。


――――――こいつは。こいつの命は。

剣しか拠り所にしちゃいねえ――――――


そう言う眼をしていた。

武蔵には、それがわかった。目を合わせただけで。その瞳を覗いただけで。

この男の眼が、そう言う色をしていた事を。


――――――何故だろう? 

何故、武蔵には“それ”が理解できたのだろう?


「――――――正直もう、狩りって気分じゃねえがよォ」


グォン、と頭上で大きく鎖を回した。

同時に立ち足を整える。

腰は落とし気味の位置で、頭は覗き込む様な位置だ。


「やるだろ?」


その瞳は動かなかった。

相変わらず、不敵で。

そして――――――


「来いや」


武蔵は呼応するように――――と言っても、会話らしい会話など皆無だが。

すでに鮮血を受けてギラギラとぬめり光っている自分の得物に、左手を添えて脇に構えた。

口元は少し、笑っていたかもしれない。あるいはそう見えただけかもしれない。

ともかく、そんな風だった。

宍戸のそれと同じように。


「――――――死ねよ」


宍戸の呟きは静かに。

蛇が笑い、歪んで呻った。

一瞬の緩みのあと、突如として加速ずる。

たゆんだ鎖が急激に張りつめ、反動を生みだして、それは一閃した。

閃光もなく打ち出された黒い鉄の塊が、弾丸の如く武蔵の眉間を撃ち抜かんとしていた。





「………………んが」


日差しは穏やかだった。

さっき沸騰するほどに暴れる血が駆け巡っていた身体は、体温が低くてうすら寒さすら感じる。

臨戦体制の獣の如く鋭敏になっていたはずだったが、ギシギシと油の差さっていない真桜のカラクリみたいに動きが悪く、重い腕をのっそりと動かすと肘のあたりがポキリと軋んだ。

脳髄で弾けていたビリビリとした感覚は火が消えるように消滅していて、今はだらしなくて心地良いまどろみが蜘蛛の巣を張っていた。

目覚める前と目覚めた後の世界は、まるで違う。

まあ、だからこそ『夢』と呼ぶのだろうが。


「くぁ…………」


目ヤニが随分と気持ち悪い。顔を洗いたいが、起き上がるのは面倒臭い。

とりあえず上半身だけは起こそうか。

右手の掌で目の辺りを覆うようにして顔を掴み、グッと軽く力を入れてみる。

……余計眠くなった。

若い頃は油断し切って横になって熟睡するなど武芸者としてあるまじきと思っていたが、慣れてしまうと人間変わるものだ。

というか、ある時点から寝込みを襲われても対応できるように気を張るよりは、襲われないような寝床を確保しておく方が建設的だと気付いたためだが。

例えば敵の入りこまない護衛つきの宮城の一室で、しっかりたっぷり睡眠を取る様な。

寝不足でフラフラのまま敵に当たるよりははるかに良い。なによりラクだ。

人間を六十年もやっていると、必ずしも苦労と効率は比例しないと気が付くものである。

要領のいい人間の中には、十年や二十年足らずでそれに気が付くのも居るのだろうけれど。


「……」


髪をがしがしと掻き撫でる。

半強制的に結わされてからそれほど時間はたっていないが、手入れもしないので指通りはすこぶる悪い。

元々硬い毛であるし。


「…………」


――――――あいつの、眼。

三十年か、四十年か。

その歳まで生きられない人間も居るものだ。とりわけ、武蔵が見て来た男たちにはそういう奴らが多い

それくらいの昔に見たが、久しぶりに見たそれは殆ど変っていなかった。

伊賀に逗留した折、追剥に絡まれた際に思いがけぬ達人に出会った。


宍戸組――――――そんな風に呼ばれていた輩の噂を聞いてなお、その根城があると言う峠に、武蔵はひょっこり行ってみた。


『侠客・宍戸』あるいは『鎖鎌の宍戸』の異名を取る男が束ねているという武力集団。

「侠客」などと言っても、世を正そうという御堅い義賊の類ではなく、法に従わず、人里にも下りず、略奪・暴力・強盗行為で好き勝手に跳ね回るヤクザものらしい。

それも滅法厄介で、農民町民のみならず武家屋敷までも標的にし、門を閉ざすも容易く破られ、抵抗する者はまるで太刀打ちする事ができぬという。

山狩りも幾度となく行われたが、その度に名のある侍が討たれ、またいくら賊を検挙しても頭目の宍戸だけは全く捕らえる事が出来ず、ほとぼりが冷めるといつの間にか流賊の様にならず者が集って狼藉を繰り返すため、一向に被害が絶える事は無かった。

故に、いつの間にかそう呼ばれ、恐れられるようになったと言うが――――――

そんな輩の噂を聞いてなお、その根城があると言う峠にふらっと寄ったのは、いつもの気まぐれだけでなく、ひとつの好奇心にようなものがった。

例えるなら、そうだ――――――

都会に生まれ育った現代人が、熊出没注意の立札を旅行先で見て、ちらりと熊を見てみたいと思ってしまうような、そういう感覚。

性質の悪い事に、武蔵は遊び心で立ち入り禁止のロープをひょいとまたいでしまうような類の人間であったし、何よりこの頃の武蔵には、夜盗や山賊などにはその程度の危機意識しか抱いていなかった。

述べるまでもなかろうが、武蔵は我々、現代日本の都会育ちと違って『熊』を見たことが無いわけではないし、対峙したのも、一度や二度の経験ではない。


それでもなお、だ。


その程度だったのだ。強い、怖いと呼ばれる人間でも。

武蔵にとっては、その程度の存在でしかなかった。


(…………)


親指で、右の目の(ふち)に刻まれた古い傷をそっとなぞる。

あの時、武蔵は宍戸の放った分銅を上体をさっと左に逸らせながら、太刀で振り払うように受け……

鎖が刀に絡まる様に巻き付き、それを引っ張り合う鍔競りのような膠着状態が一瞬だけあった。

武蔵は瞬時に左手で脇差しを抜き、手裏剣に打ち――――――

放たれたそれは、間を詰めるべく一歩踏み出していた宍戸の胸に深々と刺さり、鎌を左手に取ったまま、前のめりに倒れて行った。


武蔵の勝利であった。


その後の宍戸組の顛末、そしてそれを世間がどう知ったのかは――――武蔵の知る所ではない。


(…………何とやらの差は紙一重、と言うが)


宍戸は若くて二十の末、行って三十の後半くらいか。四十は行っていなかったと思う。

三十年と六十年。およそ武蔵の人生の半分。

それが、二人を別った差。

だが――――――

もしあの時。

とっさに宍戸の分銅に反応出来ていなかったら。

脇差しを抜く一瞬の先を、宍戸の踏み込みに取られていたら。

鎖と刀とが合わさらず、鍔競りの態勢になっていなければどうだったか。


武蔵は勝った。

だが。


(……勝った、負けた)


埋められぬ天地ほどの差を隔てたモノの厚みは。

紙一重――――――ほんの、薄刃ほどの差でしかなかったのかもしれない。





「おい、朝だぞ! とっとと起きんか寝坊助!!」


ノックもせずにいきなりドカンと勢いよく部屋の扉が開いた。

……施錠はしてあったはずだが。何かがピン、と飛んで行ったが眠いので深くは気にしないでおこう。


「む――――――? なんだ、起きているではないか」


妙齢、というにはいくらか仕草に幼さが残る。

きょとんとした顔を少だけ傾けている美しい少女を見て、武蔵はただ穏やかに笑った。






「――――――なんだこれは?」

「ゲン担ぎだよ」

「それは聞いたが――――――」


のっそりうだうだしている武蔵を春蘭が連れ出して二、三歩も歩かず、彼は「忘れ物」と言って部屋を引き返した。

小さな首にぶら下げられるような小袋を机の上から持ってすぐに出てきたのだが、この無精者がわざわざ部屋に戻って取って帰るようなもの。

はたして中に何が――――――と、春蘭は武蔵の部屋から一番近い、一階の西側出口を目指しながらもちらちらと気にしていた。

さすがに、無理に引ったくって奪い取るような無体はしないが。

まあ結局は、その様子を見た武蔵が投げてよこしたので、晴れて開封される事と相成ったのであるが。

しかし――――――


「何でこれがお守りなのだ?」


口を解いた小袋を逆さに振って出てきたのは、小指くらいの大きさの赤錆びた鉄だった。

もっとも、元は別な金属だったのかもしれないが、全身が腐食してしまって、一見にしては“錆びた何か”でしかなくなっている。


「前に使ってた刀だ」

「お前のみたいな?」


春蘭は日の差し込む屋外通路をてくてくと歩きながら、覗き込むようにそれを見てみた。

むろん、武蔵の腰に帯びた刀のような刃紋や流曲線は見る影もない。かろうじて輪郭はそれらしいとわかるが、ガチャガチャとあちこちがこぼれて欠けている。

そっと人差し指でそれをなぞってみたが、当然切れるはずもなく、目の粗いヤスリのような感触が残った。


「さる名工の業物だったんだが、無茶な使い方して潰しちまってな。せっかくだから先っぽだけ折って取っといた」

「ふうん」


錆びた延べ棒の正体がわかると、一度だけくるりと手首を返して眺め、小袋にそれを納めてきっちり縛ると、武蔵の手にぽんと置いた。

そして手渡すとすぐに――――――すでに石畳でなく、草の生えた柔らかい土を踏んでいた足をたったっと駆けさせて、広場の隅に置かれた樽の中に立てられてある訓練刀を二つ引っ掴んだ


「まあ、よい。やるぞ!!」


彼女には果たして、爺の思い出の品よりはこっちの遊びの方がよほど興味があるらしい。

武蔵は軽く眉を下げた顔をしながら、鼻を鳴らすように笑って大儀そうに彼女の元へと歩み寄った。





「ふんっ!!」

「――――っとぉ」


春蘭の鋭い打ち下し。武蔵はそれを身体に近い所で受けた。

そのまま上体を寄せ、武蔵の胸元の辺りに、春蘭が左肩口を預けるような格好になる。体格を考えれば必然の態勢。


「ぬっ……」

「……むう」


ギチッ……と、竹細工の訓練刀が湿った音を出して食い込み合う。

やや力を込めてみるが、崩すことは出来ない。

無理矢理押してみるか。

――――――いや。否だ。

体重をかけようとしてこれ以上前にのめれば、この男は必ずやそれに合わせて身体を()かしてくるはず。

そうして身体の流れた私に、待ってましたとばかりに得意の片手打ちを打ち込む――――

お手本の様な後の先打ちの出来上がり。

格下ならともかくとして、こいつ相手に力ずくは禁物だ。


「ふッ!」


かといって膠着状態となれば、引き出しの差で私の方が絶対的に不利!

――――そう、春蘭は判断し、一足大きく後ろに退く。


「ハッ!!!!」


距離を作り、一気呵成、裂帛の気合とともに振り下ろした。





「……う……」

「…………」


――――――が。

炸裂音と手応えは、無い。

それ以前に彼女は、その渾身の一打を放つことが出来なかった。

今まさに打ち込まんと、わずかだけ身体の開いたそこ――――両腕の間を通して春蘭の胸のあたり、衣服にわずかに触れる程の所に、ピッタリと武蔵の切っ先が置かれていた。

打ち込んだ、いや……そう構えただけ?

いつもの右片手、そこから少しだけ腕をひょいと突き出したような形で、春蘭の動作にそれを割り込ませた武蔵は唇を三日月形に傾けている。

柔らかな日差しに当てられて。

優しげな微笑みの様に見えなくもないが――――――


――――――違う。


これは悪戯小僧がまんまと姦計を成功させた時に浮かべるほくそ笑みだ。


「………………ぐぬ」


しばらく静止。

そして春蘭が渋い顔で両手を下げると、武蔵は突き付けいた得物で自分の肩を軽く叩いて、ケラケラと短く笑った。





「うう…………くそぅ」

「まだまだ若い」


素直に参ったとは言わない所が春蘭らしい――――――

年相応な負けん気がある。

―――――可愛い盛りだな。


「うぅむ……何が悪い?」

「さあ……? 隙があるからじゃないかね?」

「私はそんなに遅いか?」

「いや、速えよ。技はかなり」

「じゃあ何故だ?」

「そりゃあお前、三つも動いてたらいくら速くたってしゃーねえだろ」

「は??」


きょとん、とする春蘭に武蔵は構え――――彼女にも構えるように目で促して、先ほどの密着状態まで歩み寄った。


「飛び下がって一つ、足決めて二つ、打ちこんで三つ」


そして喋りながら武蔵はさっきの春蘭とほぼ同じ動きをやってみせた。

春蘭は構えを作りながらも、武蔵の一挙手一投足を目で追っている。


「それじゃ入らん。俺がいくらボンクラでも、お前が三つの事をやる事は一つでいいんだからな」

「む……」


春蘭はあれこれと頭をひねるようにしながら、訓練刀を傾けたり、一歩下がってみたりしている。

ごく簡単な理屈だ。春蘭が三つの工程を踏む間に、武蔵は一つの動作を実行すればいい。

即ち、避けるか、受けるか、武蔵のやったように潰すか。

動きは多い分だけ隙も増える。

武蔵が相手ならば後の先を取られるし、位詰めにも追い込まれる。


「大きい動きはいらん。無駄をなくせ」


武蔵は先ほどと同じ、ほぼ密着に近い位置で構えて――――――

左足を引きながら重心を右にシフト、回転を利用して鎖骨の辺りにピッと小さく打ち出す。


「大足を使わなくても、たった一回、半歩入れ替えるだけでかなり間合いを操作できる。大きく飛び跳ねるよりも構えは崩れねえし、重心も安定しやすい」


人間、好きなものの事だとよく喋るらしい。


「足の間隔は崩さないように。そうすりゃ打つなりもう一歩動くなり、すぐに次の動作に移れる」


普段、眠たそうな眼でヘラヘラしながら、常に何を考えているかよくわからんこの男が

、流麗な足捌きを披露しながら理屈っぽく技を説いている。


「お前は飛び退った時に足が崩れてたからな。それじゃあ着地してから足を構え直す分だけ隙が出来る。もっと小さく丁寧に動いてみろ」

「ウーム……なかなか、奥が深いな」

「まあ、俺もお前くらいの歳の頃にゃあこんな風には出来なかったしな。要は慣れだ」

「ならば、もう一本!!」

「よっしゃ」


いくらか指導を受けて、再び二人は構える。

慣れるとは、つまりは鍛練。一にも二にも練習である。

――――――されど、言うは易し、するは難し。


「とうっ」

「――――――あうっ」


そう簡単にはいかないものだ。






「そこまで」

「ん?」

「おお、秋蘭!」


春蘭の肌にその健康美を加速させる瑞々しい汗がはじけ、武蔵も軽くこめかみに汗の筋を作る様になった頃合い。

日も中々に高くなった時分に、ひょいと秋蘭が顔を出した。


「準備運動か?」

「それじゃ済まん。元気すぎてかなわねえ」

「フッ」


得物を杖の様についてさも疲れた、という風に話す武蔵が、休日に娘に付き合わされた父親の様で面白かった。


「もしや、もう時間か?」

「ああ……宮本、お前はもう出陣()たほうがいいぞ。私達も準備に行く」

「そうか」


武蔵が得物を山なりに投げてよこすと、春蘭は右手でパシッとタイミングよく掴んだ。


「じゃあ、後詰はよろしく」

「うむ、任せろ!」

「気を付けろよ」

「……ふむ、我々も準備せねばな」

「うむ……ところで姉者」

「ぬ?」

「なぜ……額だけが赤いのだ?」






「隊長!」

「おう、凪」


城門。

境界なき空の下を、内と外に分けるそれ。

いつもより心持ち厳重な気がする警備と共に、楽進が馬を引いて彼を待っていた。


「皆、準備は万端です。お早く」

「ああ、行くか」


拳と掌を合わせながらゆっくりとした歩調で近づく自分を待つ彼女の肩を軽くたたき、隣に侍る事を促す。

一歩後ろにぴったりと付いた彼女を連れて、門番が鈍い音を立てそうなほどゆっくりと開く、大袈裟で重苦しい仕切りを潜った。

蜃気楼のように続く大地の上に―――――――ここ最近ですっかり見慣れてしまった、野郎共が屹立していた。




「――――――よう。早い時間から御苦労」


毅然として整列する彼らを、武蔵は右手を軽く上げて労ってやる。

見渡した中に沙和と真桜を見つけたので、そのままちらっと手を振ってやった。

沙和は気付いたらしく、背伸びをするようにしてぶんぶんと手を振ってくる。

まるで待ち合わせで友達を見つけた娘だ。

何とも緊張感に欠けるが――――――

否、これくらいの緩さがひょっとしたら、実に絶妙な塩梅なのかもしれない。

戦う前とは大抵――――――


「……どうかされましたか?」

「欠伸かますぐらいがちょうどいいぜ、凪」

「はい?」


思いつめた顔をしているものだ。


「気負うと力も出んぞ」

「……!」

「――――さて、皆の衆」


武蔵は凪を見遣って洒落た笑みを送ると、その顔のまま軍勢に向き直った。

斜め笑い? そういう風な微笑。


「あんだけ居たお前らも気付けば六百になっちまったな」


一歩、二歩……ゆるりと歩いて彼らを見回す。

左手は太刀の柄。右手はだらりとぶら下げた、お馴染みのスタンス。


「相手はなんつったか……何儀とか言ったかな、ちっとは有名らしい」

「……勝てるのでしょうか? 此の人数で……」

「なんだニキビ、さてはビビってんのか?」

「ビビってんな?」

「ビビってんだな?」

「ビビっとらんわ!! ただ私は兵法の常道から考えてこの寡兵で敵と当たる危険性をだな……」


ふと、一番前に居た額に大きな腫れニキビの青年が一言漏らすと、隣に居たノッポが右肩に肘を掛け、、左に居たチビが腹パンを見舞い、後ろに居たデクが上からグイッと顔を覗き込んだ。

ニキビは纏わりつく三人衆をバンザイするようにして振り払う。


「それでもニキビなら、きっと何とかしてくれる……そう信じている」


武蔵もすかさず合いの手を打ち、


「俺は逃げるけどね」


しっかり落として、皆をどっと笑わせた。

後ろの凪も、控え目ではあるが左手を口元に当てて噴き出している。


「――――まあ、確かに相手は俺たちよりはるかに多い。俺たちはわずか六百。だが」


しかし、武蔵がおもむろに左手を上げると、

ぱったりと笑い声がやんで、総員の背筋に鉄心が入った。


「臆するな。誇れ」


静かだ。

たまに凪の引いている、大柄な青毛馬が蹄を鳴らすだけ。

小隊ごとに区切られて出来た十字路に水が浸ってように、武蔵の落ち着いた声が全軍によく通った。


「この中に、半端な奴は一人もいねえ。お前らは皆、大方の道場に行けば必ずや高弟の一人として数えられるであろう一廉の遣い手」


ゆっくりと、前を向いたまま武蔵は左手を後ろに伸ばし、人差し指だけを、クンッと曲げる。


「この武蔵が、そう見定めた。自信を持ってくれい」


凪は一言も発さぬまま武蔵の傍へと馬を引く。

静けさの中、馬蹄だけが雫を落とす。


「数の不利なんざ、戦いが始まれば何の関係もない。やる事はひとつ。ただ目の前の敵を倒すだけ」


武蔵は目線は彼らから外さぬまま、鐙――――まだ軍用の正式採用は為されていないが――――それに足を引っ掛けると、ひらりと一息で跨った。


「――――――負ける気がしないだろう?」


凪が轡を離すと、青毛の彼女はやれやれと、窮屈そうに首を一つ振る。

引かれるのが苦しかったのか、巨体の武蔵がイヤなのかはわからぬが、面白い事に、その仕草はちょうど、武蔵が顔にかかった髪を振り払う仕草によく似ていた。


「さて、そいじゃあ初陣と初勝利。並べて華々しく飾ろうか」

「っしゃあッッッッ!!!!!!」


気負いもなく、思いつめた固さも抜けて。

どうやらいい塩梅に、彼らの気焔に火が点いたようだ.

しかしこれだけの大災害でコンビニや配給所で暴動が全く起きないってのはすごいよなあ。

ななわりさんぶの在住地は幸運にも大きな被害は免れましたが、東北の人の苦労を思うと本当に……いや、何も言えないです。何を言っても人ごとになってしまうでしょう。

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