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黄色頭巾編・十四話

とりあえず生存報告。私は無事です。

皆さんは無事ですか? とりあえずいざって時の為に水は貯めておきましょう。

被害の軽い地域の方も、くれぐれも油断なさらずに。


「ふむ、美味し」

「香りが良いでしょう?」


朝飯にはやや遅く、昼食にはちと早い。そんな半端な時間帯。

つまりは朝と昼の境目。そんな微妙な時間帯、大抵彼はここに居る。

と言ってもここは客が食事し、注文がせわしなく飛び交う馴染みのホールフロアではない。

店の裏側に位置する、店主が口入れを行う場所から、もっと奥に入って行った所にある、ここの親爺の憩いの奥間だ。


「しかし、茶色とはあまり見ない色の茶だ」

「何言っとりますか旦那、茶の色だから茶色でしょうに。御茶はその色と相場が決まっておりますよ」


まあ、ちょうど仕事も無くなる時間、従業員にも暇を取らせるこの時間を潰すには、この奇妙な若年寄りとダラダラ過ごすのが、親爺にとって最適なのだ。


「俺の国では緑だった。異国では紅もあったぞ」

「へえー……それはまた、珍しいものですな」


色々な意味で。




「……ふむ、今日は夏侯淵様はお迎えには来られませんのかな?」

「ああ、あいつは来んだろう。最近忙しいからな……もうそんな刻か?」

「ええ、いつもの刻ですな」

「ふむ……なら、長居も宜しくねえ。そろそろ行こうか」


そう言って、武蔵はお茶請けの甘い菓子を二つくらい口に詰めると、残りのお茶をぐっと飲み干し、口をもぐもぐさせながら、右側に置いてあった太刀を取った。


「おや、もう行くのですか? 定刻をお守りになられるとは珍しい」

「まあ、一局打ってくくらいの余裕は持ちたいんだがなあ」


ごくりと口の中のものをいっぺんに飲み込むと、立ち上がって太刀を差し、親爺の軽口をとって、


「世の中ってのは、ままならんモンで。きっちり働かんにゃあ、おまんまの食い上げでごぜえます」


そうやって仰々しく、しみじみ手をあわせて合掌する。


「それはそれは……いやはや、天下の士たる旦那のお悩みが銭回し家業の手前と同じとは、なんとも世知辛いものですな」


それに乗る形で、親爺もまたその糸の様な目の尻を少し下げ、口の端は少し上げて、同じように手を合わせた。


「よく言うぜ。権現様なぞ、まるで敬ってねえだろうに」

「そりゃねえ。あの曹操様の美貌も眩いばかりではございますが、私のような俗物には、やはり黄金色の後光よりも神々しいものはございませんで、はい」


そうは言うが武蔵は別に咎めるでなく、洒落っ気を混ぜつつ呆れを孕んだ風に笑って、親爺は親爺で何ら憚るようでなく、薄ら笑いでしれっと答えて見せた。


「じゃあな。ごっそさん」

「ええ。道中お気をつけて」






(――――――ふうむ……)


さて、この男が道すがら思案するのは――――――


【――――――黄巾の首魁、一刻も早く突きとめるべし――――――】


正体不明、と目されていた黄巾党であるが。

件の三人組が投降してからは一気にそうではなくなった。

つまりはその全体像――――――桂花に言わせるなら

「おっかけやってるアホな男たちと、それを隠れ蓑に略奪を繰り返すバカな男たちの集団」

という大まかな見当が付いてきたのだ。

さらに、


『面白半分で便乗してる奴も居るんだろうな』


とは、武蔵の言だが。

要するに


『旅の歌い手である張三姉妹がこの乱の中心にある』


という結論に達した。


(……まー何とかすりゃどーにかはなるんだろうが)


が、事は簡単でも、単純でもなかった。

なぜなら、彼女らは「旅芸人」なのである。端的に言って、どこに居るかわからないのだ。

三人組の話でも彼女らは常に移動して講演を行っているようで、正確な所在かめなかった。

そして問題なのが、


『彼女らが乱を主導しているわけではない』


と言う事だ。

つまり、彼女らが兵を率いているわけではないので、いわゆる「黄巾賊」は彼女らの全く関係ない所からでも決起してくる。そして、その中には桂花の言う所の「バカな男たち」も含まれているであろう。

何より彼女らをどうこうしたとして、それで乱が鎮まると言う保証がない。

なんとなれば、彼女らは象徴であっても、指導者ではないからである。

つまり、華琳らが頻発する乱の討伐に絶えず出撃せねばならぬと言う事態は何ら変わってはいなかった。

もっとも、張三姉妹の存在がわかっただけ前進と言えるかもしれないが。

――――――とにかく、いずれにしろ張三姉妹が事態の行方を左右する重要なキーパーソンになるであろうとして、迅速に彼女らの所在を突き止める方針に至る。


(……面倒臭え事になった)


やっかいなのは―――――武蔵が引きいれた、新兵六千の処遇である。

そもそも曹操軍は出撃の頻度に対し、慢性的な兵数不足に悩まされていた。そこにまとまった兵力が加入してきたのは、旨い話ではある。

が、華琳らが手元に抱える直率部隊は絶えず戦闘を繰り返している状況にある。練度の問題で、彼らはそのまま組み入れるワケにはいかない。

なのでとりあえずは常駐兵として、一から纏めて練兵する事になったのだが、前述の問題と同じ理由で、主だった将や指揮官が彼らの訓練に集中する事はままならなかった。

そこで、白羽の矢が立ったのが武蔵である。

今回の役としては、彼がおあつらえ向きだった。

無論、彼にぽんと六千もの大軍を一任する事に対し、異議がないわけではなかったが、


(……だーれか任せられる奴おらんのかねえ?)


なんのことはない、本来、賓客として持て成さねばならぬ“客将”に仕事をさせなければならないほど、人手が足らなかったと言うだけの話である。





「…………あー、と言う事で、それがしが当面の稽古を指導させていただく、円明流改め二天一流宗家、宮本武蔵である。以後よしなに」


ゴンタクレと行儀のいいのが、水と油の様にハッキリ分かれているのが面白い。

武蔵は六千の兵が一様に整列する目の前で言葉をたむけていた。

場が場なので一応、フォーマルに決めてはいるが、いかんせん教官というには雰囲気はどうもゆるい。

大熊の様な体躯には似つかわしくない穏やかな声色のため、間違いなく後ろの方の兵には聞こえていないだろう。

それでもこの眠たそうな若い師範をからかう、チンピラ共の野次の声が飛ばないのは、やはり彼らも弁えているからである。

武蔵に、と言うよりはむしろ――――――あまり調子をこいて、自分らの兄貴分に目を付けられるのが如何にまずいか、よく知っているからだ。

その恐い恐い『兄貴分』の内の一人は、最前列にいる細い目をした三十路の男であったりするのだろう。


「門人は二天などと呼ぶが、諸君らは入門と言う形はとらぬから好きに呼んでくれて構わん。しかし、当流の兵法に触れる以上、朝鍛夕練の志で持って真剣に励んでくれることを望んでやまない……さて、何か質問は?」


通り一遍の挨拶だけ並べて、話もそこそこに、若士たちに目を向ける。

まあ彼らとて、途中で座り込みたくなるような長い話は聞きたくはないだろう。澄ましていても、若者だ。

もっとも、目の届かぬ後ろ側では、すでにダレている者が何人かいるようだが。


「待遇とかどうなってんスか?」


一番最初に手を挙げたのは、前歯の抜けた、薄い羽織をひっかけてあばらの浮いた素肌を晒している、若い猫背の青年だった。

黄色い頭巾をみなくとも、誰に付いてきてここに居るのかはわかる。


「食事は一日2食が支給される。居住区もこちらで用意させてもらう事になる……あと給金だが、普段の警備や労働の他に、出陣の日数や手柄によって出る手当に差が出る……まあ、働き如何によって変わると考えてくれていい。また所属する部隊によって細部に若干の差が出るが、基本的な待遇は同じ……と、言う事だそうだ」


武蔵の言葉に武蔵のすぐ手前の兵がどよっと沸き、隣や前後の人間と顔を合わせながら伝搬していく。

このご時世、食糧事情の悪い昨今で毎日2食の確約は破格だ。

特にそれの著しい中原に在っては――――――


「えー、ただし」


――――――と。

武蔵がざわめきが大きくなり始めた所で、釘を刺すように一言投じると、火が消えるように静けさが帰る。


「当然のことながら、隊規と法律に従ってもらう事になる。略奪行為、乱暴狼藉はご法度、除隊手続き無しの脱走も罪に問われる」


あまり、気着心地の良い話ではないだろう。ざわめかず、隊列を乱す者はいなかったが、やはり皆微妙な顔をしていたし、これ見よがしにイヤそうな表情を見せる者もいた。


「……特に、時間は厳守だそうだ」


まあこの男も、少々の悪態なら咎める事はしないだろう。

何故って、この男が一番うざったそうな顔だからである。




「さて、概要はこんなもんか。他には何か無いか?」


そう言って、武蔵はまた最初のように彼らに目を向ける。今度は手を挙げている者はいない。振り出しの風景だ。


「無いなら早速――――――」

「――――――失礼ですが」


稽古始めようか、という言葉は武蔵の喉仏で止まった。


「何だ?」


見落としてしまったか。

とりあえず一旦言葉は飲み込んで、改めて聞き返す。

背筋をピッと伸ばして、信心深い聖教の騎士の様な目でその琥珀色の瞳を見据えて来た。

短く刈り込んだ髪と、額に目立つ腫れたニキビに青臭さがある。


「我々は黄巾党と共に訓練を受けるのですか?」


どちら側かは説明させるまでもない。

何せ、行儀が良かった。


「そうだ」

「……我ら大梁義勇軍は国を憂い、曹操様を救国の英雄と見定めて集ったのです! 女子供を犯して無辜の民を嬲り殺すような輩と轡を並べる事は出来ませぬ!!」


恐いものなしの青年は空気を変えるのも全く気にせず、そう言ってのける。


「てめえ……」


当然、そのままでは済まない。

その言葉は、若さ特有の無秩序なエネルギーをこれ見よがしに刺激して、確実に彼らの眼を紅く染めた。


「やめ」


もっとも今回は、それに蓋の出来る大人達が混じっていたために、先の紛争の様に暴発する事は無かった。

ざわっとした熱気が、彼らの静止で冷めていく。

彼らはというと、特に表情乱れる事もなく、平静で、薄ら笑いを浮かべている者もいた。

大人であるから。

今更、後ろめたくも、腹立ちもしないのだろう。


「……うーん……あのな」


兵が静まったころ合いを見て、武蔵は右手の人差し指と親指で副耳をグリグリと掻きながら切り出す。


「俺の仕事はお前らを鍛える事なんだが」

「存じております。すべては国を憂う我らの大義のために……」

「そうでなくて」


我が意を得たり、という顔で堂々と続ける青年の言葉を、武蔵は渋顔で切る。


「俺が教えるのは、戦う術だ。お前の志や理念を説かれても困る」

「……は?」

「もっと言えば俺が今、見るのは強いか弱いかで、お前らが善玉か悪玉かじゃねえ。正味な話、どっちだろうと構わんわ」


懐を楽に広げ、左手を突っこんだ。


「……! 我らの大義をないがしろにすると言うのですか!!」

「そういうのを見るのは憲兵の仕事で、俺が詮索する事じゃねえ」

「な……!」


唖然、心外、青年が口を開けるが、武蔵は小指を耳の穴に突っ込んでかいているばかりだ。


「刀匠にとっちゃ、関心事は鍛えた刀が斬れるか否かさ。振るう奴の事まで知らんよ。それこそ人斬りだろうが追剥だろうが」

「あっ……! あなたには志というものが――――――」


武蔵は不意にグンッ、と顔を近づける。

青年はそれに圧されるようにして顔を仰け反らせた。


「まあ道徳に篤いってのは別に悪かない。寧ろ良いことだ」


引いた額に、硬くて冷たい金具の感触が、痛みを感じぬ程度に押し当てられた。

それが何で、いつ抜かれたかは定かではない。


「だけどなあ、喋ってる間に斬られてもつまらんな。いくら拵えが立派でもナマクラのままじゃあ何の役にも立たん、それに」


青年がその正体を見極められたのは、黒光りするやや厳つい印象の扇子が、ゆったりとさせた懐に仕舞われるのを見送った後である。


「ニキビ面の一兵卒に『気に入らんヤツが居るから何とかしろ』と指図されたって普通、聞きゃあしねえだろ。いくら俺が春蘭や秋蘭より緩いっつってもよ」

「う……」


武蔵は口元だけで浅く笑い、もう一度顔を青年の前ににじり寄らせた。


「しかし、もし隊規に背いて蛮行を働くような事があれば……」

「阿呆」


言葉に詰まるも、なおもぶすっと絞り出すように青年は言うが、武蔵にぺしりと額を軽く叩かれた。


「そんときゃあそん時で、奉行が取り締まる様に国ってのは出来てんだよ。別にお前がとやかく言う事じゃねえ」

「……」

「まあしがらみもあろうが、そこは団体行動の宿命として少しは妥協してくれ、若人よ」


『とりあえずは何事も、使える刀になってからだな』と言って武蔵はくるりと踵を返す。

そして後方にあらかじめ備えられてあった指揮台に昇ると、


「さて、しからばぼちぼち、やりますか」


と宣言して、訓練を始めるのだった。


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