黄色頭巾編・十三話―――――「燕」
「むーがー!!」
「おおっ、死ぬ! 死ぬぞ春蘭!」
剛腕が空気を切り裂いて唸る。
「得物だら、死ぬわな」と武蔵が訓練刀に藁をくくって被せたが、大気と木刀が軋りあう、その迫力では、それは気休め程度の意味もないように思えた。
「避けるなー!!」
「だから死ぬぞ。比喩でなく」
しかし、当たらない。
至近距離から振り回す豪打を、風に吹かれる柳のように、あるいは宙を舞う紙のように、ひらりひらりとかわしていく。
その様は、まるで舞いつづる花びらを斬ろうとして、逆に自らの打ち込みが生み出す風圧によって捉え損ねてしまう。
そんな光景を人身に写して表していたようだった。
「とうっ」
「ふわッ!!?」
しだいに連打が惰性の味を帯びてきて、雑になり、身体が振られた。
春蘭がまずいと思ったのと、武蔵が歩み足で懐にすっと入りこんだのと。
額に電光の如き衝撃が走って目がくらんだのが、一瞬のうちに交差していった。
――――――まあ、
もらったのはただの左のデコピンで、そんな大層な話でもないのだが。
「あ~あ、赤くなっちまっとるわ……痛たかったろう?」
「貴様のせいだろうがぁ!!」
右肩に木刀を担いで、空いている左手で春蘭の広い額をしげしげと撫でるが、春蘭はそんな武蔵に対し、どの口がほざくと、がるると噛みつかんがばかりである。
何度も同じ場所を打たれたらしく、ちょうど真ん中のやや上の一点がわかりやすいくらいに赤くなっていた。
――――――そもそも、何故に彼らが木刀片手に立ち会っているかと言うと。
「秋蘭ッ!! 無事かッッ!!!!」
「遅い」
「おおっ! 居たのか宮本!!」
「……俺、オマケか?」
――――――客将ですから。
「……」
意気は万丈、後は当たるが幸いと、狩人か餓狼よろしく、華琳の本隊から切り離されて、火の玉の如く突撃してきた先鋒の春蘭であったが。
身の程知らずの客将が余計な事をしたせいで、すでに戦は終わっており、残念ながら、というと適切ではないだろうが、あいにく獲物は一匹も残っていなかった。
「春蘭、御苦労さま。あとは戦後処理だけだから、下がっていてちょうだい」
――――――と。
戦が終われば後は専ら、桂花と華琳の領分というわけで、
何も働かぬままお役御免と相成ったわけだ。
全身を総毛立たせた猫の如き気性に達していた春蘭は、見事に肩透かしを食らったわけである。
こうなるともう、春蘭の漲らせてきた気焔と言うものが、そっくりそのままフラストレーションに変換されてしまって、手持ち無沙汰で陣中をウロウロと歩き回り、さながら檻に入れられた猛獣の如し。
あまりに「ひまだ~ひまだ~」と呻るので、白湯を供に、ぼぅっ、と絵なぞ描いていた若年寄りが、
「貴様も暇だろう。付き合え! な!」
と、哀れ、餓え虎の餌食になってしまったわけである。
まあ、所詮客分なので仕方がない。
――――――本来的な意味での、客をもてなす必要性を問う発想は、この際、隅に置いておこう。
どうせ、考えるだけ無駄である。
もっとも、
「大体なんでデコピンなんだ! 普通に打て普通に!」
「そのおでこを見て、そこを避けろと言うのか? そいつは、無理な相談だな……」
「またわけのわからん事を!!」
武蔵の戦い方は、某浪速の虎のような、互いの全力を尽くしてどつき合うなぞという、若さとスピリッツファイトに溢れた爽やかなものでなく、
手を出させては空かして外し、足の入れ替え一つでもって間合いを狂わし惑わせる、まさに円熟した老剣士らしく非常に老獪な、姑息にしていやらしい戦法。
なので春蘭の苛立ちを発散させると言う意味で効果を上げているかという点では、相当に微妙ではある。
「付き合わされてんのにそんなトコまで責任持てるか」
と、彼ならばそう言いそうだが。
「もうお前はそこを動くな! 受けるな! 息するな!」
「……お前は俺に死ねと申すか?」
「やかましい!! 絶対当てる!!」
「遠慮は?」
「無いッ!!」
「若いねえ」
――――――なんだかんだで、仲の良い二人であった。
風は、運ぶ。
何を?
それは、実にさまざまだ。
季節の色、故郷の香り、言葉の足跡。
暖かな陽気、鼻に差し込む鋭い冷気。潮の匂い、山の香り。嘘か実かもわからぬ童話。伝説、言い伝え。
それは、力漲る春を。辛く凍えた冬を。心を休める庇の場所を。人の紡いだ噂話を。
――――――そして、物語を。
長い長い、束ねられた黒髪が、気ままに風に踊っている。
それは実になめらかで、男のものとは思えない。
――――――否。それはアドーニスのように美しい、天の聖旨の如き顔にあつらえて、神が拵えた贈り物か。
あまりに完璧で、ぞっとするほど。
「しかし、都の場所を知らんというんも珍しい。兄さん、どっから来た人だい?」
団子の竹串を咥えた、いかにも人の良さそうな顔をした男が、荷を引かせた数頭の馬の轡を取りながら、隣を往く男を見上げる。
彼らは同郷の友人と言うわけでもなく、ただの行きずりだ。
商いではるばる河南まで足をのばして来た彼に、道すがら出会った男は問うた。
「この国の中心は?」
と。
唐突な出会いにして抽象的な問いだったが、ちょうど都に寄る予定だった彼が男を道連れとしたのは、特になにがしかの打算があったわけではない。普遍的な人間なら誰しも幾許かは持っている、良心と親切心というヤツからだった。
――――――見上げた男の顔は、極めて高い位置にある。
その肉体は決して華奢では無いのだが、その長い、スラリと伸びた手足と、しなやかな体躯、そして非常に均整のとれた美貌の顔が、その影をかなり細身に見せている。
例えるなら、水辺を鮮やかに舞う優美な鶴。
そこに、夜に映える蝶の艶やかさが一雫落とされた、華麗で、少しの妖しさが香る。
そういう印象の男だった。
「……………………さあ、な」
象牙と薔薇が混じり合って出来たような唇が、そう紡いだ。
さあな、と―――――――
――――――何処から来たのかは、よくわからない。
気が付いて瞼を開いたら、凍るような高い漆黒の空の下に立っていた。
それが、今から数えて何時くらい前の事であったかも、よくはわからない。
とても寒い空だった。彼の生まれ故郷と同じように。地には雪が被り、月がむらくもの影から覗いていた。
彼の背には、剣があった。長い長い、片刃の刀。それと共に、しばらく各地を流れた。
胸に期する何かがあったわけではなかった。ただ、剣の赴くまま。
あの、凍るような夜空の下に立つ前は、果たしてどこに居たのか。それすら、定かにもならぬ。
ただ。
視界のはっきりしない、明暗の混濁したような不可思議な空間。
そこで、一心不乱に剣を振っていたような気がする。
永遠だった気もする……一瞬だった気もする。
温度も、触感も、時の感覚すら曖昧になって。
それでも、かつて何千万度と繰り返してきた、あれの感覚だけは克明にわかる。それだけは覚えていた。
もしや。
――――――あれが、黄泉と言う奴か?
瞼を閉じる。自らの記憶の糸を辿ってみる。
幼少の日、初めて木刀を手にした。
少年の頃、師の元で過ごした、稽古。修行の日々。
青年の夏、ある時から始まり、以来ずっと繰り返してきた、飽くなき決闘。その追憶。
壮年の冬、光りを失った時。
そして――――――
そこまで来て、ひと繋がりだった糸はぶつりと切れる。
グニャリと歪んで、色を失う。無になって、消えてゆく。
俺の存在は、虚ろになる。
――――――代わりに、かすれて殆ど、なくなりかけた記憶の場所に残っているのは。
身を躍動させ、飛びあがり、翻った燕と交錯するように剣を掲げた。
日輪を背負って、視える筈の無い眼の奥の裏側に焼きついた。
あの男―――――――
「はっ……はっ……はっ……」
全速力、なのに汗はかかない。
代わりに、頭の裏側がチリチリする。息つく暇もないが。
とにかく、足は動く。
特別、小さくもでかくもない、ガラの悪い、と言う大まかな印象以外に別段、特徴の無い男と、十人ばかりがそれに付いて一緒になり、怯えと死ぬ気と命がけを、全身から立ち昇らせて走る。
追い詰められていた。
ヤキが回ったか――――――欲に駆られて、危険度と言うモノを読み違えた。
まさかあんな大物まで、市外警備なんて下っ端がやるようなチャチな仕事に出向いてやがるとは。
黄巾賊とかいう、得体のしれない連中が大陸中を引っ掻き回しているおかげで、中央でも盗みが出来るようになったが、引き際を誤ったらしい。
盗みが増えれば、警備も増える。子供の算術だが、まだ大丈夫だろう、どうせ大した動きは無い、と、タカを括っていた。
完全にナメ切っていた。向こう八年は絶対に同じ轍は踏まないであろう大失敗だ。
――――――生き残れたら、の話だが。
「…………ッツ! あれは……」
もはや後ろを振り返るのも放棄して、一目散に前だけ向いていた、地に足が着かない慌てまくった両目がそれを確認できたのは、全くの偶然だと思う。
曲がりくねった軍人道路を横切って、目を紛らわす林を抜けて出てきた、開けた墾地の向こう側。遠くの方に認める事が出来た、小さな人影。
いや、それはどうでもいい。重要なのは――――――
「馬だッ!!」
仲間の一人が叫んだ。
このまま走っても、恐らくは逃げ切れん。
だがアレを奪えば。おあつらえ向きに何頭かそろってる、アレを目一杯駆けさせれば。
先頭を走っていた男が声も上げず、息は潜めて、すでに限界を超えていた両足に力を与え、その速さを増す。
仲間たちも何をするかはわかっていて、満身創痍の身体を今一度、叩き起こした。
希望があれば気力が生まれる。気力があれば身体が動く。だから人間は怖い。
――――しめたっ! まだ運は尽きちゃいねえ――――
そう思えた。
そういう、絶好の好機を得た時、その時だけ身体を縦に割って往く独特の爽快感の訪れに、彼らは何の疑いも感じてはいなかった。
「…………」
「……?」
両腕を袂にしまい、瞑想するように目を閉じていた男が、その双眼をすっと開き、立ち止まった。
「どうした、兄さん」
道連れの男の、不意の不可解な動作を彼は訝しがる。
だが、男はそれに応える事は無く。
またしても声を発さず、湖底のような表情を一切変えぬまま、静かに後ろを向いて振り返った。
「なんだってんだよ、おい――――――」
怪訝に顔をしかめた彼が釣られるようにして、同じように今来た道を、背後を振り返ってみる。
そこには、先程通った時には出会わなかった、
「最も会いたくない奴ら」が迫っていた。
「チィッ!!」
気付かれた、と――――――
不覚にも似た感情からの舌打ちだろう。
「なっ、何だっ、あんたらはっ!!」
ひきつらせた表情と、全く同じような声色で、彼は後ずさりながら、ぶっきらぼうに言葉をぶつける。
「……へっ。それよ、言わなきゃわかんねえほど、頭ン中ボケてねえだろ?」
息を荒くつく男は、トントンと人差し指と中指で自らの頭を軽く叩くように見せ、反対の手に抜き身をぶら下げ、冷笑するのみ。
恐らくは不意打ちを狙っていた――――――背後からそろそろと近づいていた十かそこら、その集団は、獲物がこちらに気付くや否や、それまで音を立てずに進めていた歩みを猛然と駆けさせ、一気に彼らを扇形に囲むように詰め寄った。
言われなくてもわかっている。
心の底から、違うと言って欲しかったが――――――
――――――夜盗だ。
こいつらは間違いなく、積み荷を狙って群がって来た、夜盗だ。
何としたこと。そんな言葉が、彼の頭をよぎる。
タカを括っていた。
よもやこんな首都に近い場所で、追剥に出くわすとは――――――
否。昨今の政治事情、きな臭い黄色い頭巾の輩達が暴れまわっている今の時勢を考えれば、十分に予見はできたはずだった。
それを、漢帝国の御膝元、なれば見晴らしの良い整備された道を選べば大丈夫だと。
用心棒すら付けず、危機感に欠けてのほほんと積み荷を輸送。
商人として悔いても悔い切れぬ、取り返しのつかない大失態。
「命は取らねェ!! その馬だけ寄こせば、お前ら二人と積み荷は見逃してやる!!」
「うぅっ……」
男たちの顔には火の様に血がたち巡り、額に玉のような汗を滴らせて、切っ先と一緒に要求を突きつける。
「そこのお前!!」
しばらく間合いを保って、ぐるりと一通り仲間に指示を飛ばした後、彼の敵視の対象はその――――――
行商人の横に侍る、長身の男へと向いた。
「その長物……背中の剣を捨ててもらおうか」
「……兄さん、ここは――――――」
追われる者の焦燥は圧力に変わり、彼らを追い詰めてゆく。
長剣を背負った男は、ふと、小刻みに震える相方に手をやり――――――
「…………強いとは」
その手に握られていた、三寸ほどの竹串を手に取る。
「――――――強いとは、何だ」
「…………あ?」
いきなり男の発した奇怪な問いに、答えられる者は無い。
当然、横に立つ商人も、彼と目を合わせた夜盗も、等しく目を丸めていた。
「愚昧な問いだ。そして、この上もなく、その答えに意味は無い」
だが彼はそれを意に介さず。
そもそも答を期待していたわけでもないのか、独り言のように、言葉を連ねてゆく。
「……! 止まれッ!!」
そのまま、二歩、三歩と、ゆらりと歩を進めてきた男に対し、夜盗はキッと剣を構え直して、激高する。
「力。技。強さ。剣」
尚も歩みは止まらず。
そして――――――
「……ッ!! この野郎ッ!!」
一瞬。
と言っても、体のこなし一つ。
夜盗の踏み込みざまの一太刀は空を斬り、それに合わせて、軸をずらしつつ一足大きく踏み込んだ男は、身体を密着させるように、半身の形で懐に入り込み、
「ぎゃあああッッッ!!!!??」
押し付けた、左肩の高さに位置していた左目に、竹串が根元まで突き刺さっていた。
「~~~ッッッッ!!!っっ!?!!」
恐らく傷は眼球を貫いて、脳にまで達している。
激痛は、見たまま――――剣を手放し、膝をついて、両手で自分の左目の傷口を押さえて苦しみ、叫び、のた打って転げ回るそれを見れば、容易に想像できた。
「それを語るに術は無く、また語るに及ばない」
眼を奪われていた。その、絶叫にではなく。
そこにあるすべての者が、その男の立ち振る舞い、何より、その眼光に。
怖い。
それは、目を背けたくて仕方がないほど怖いのに、何故だか釘づけになって、反らすことは出来ず。
「これが、強いと言うことなのだから」
その瞳は、美しかった。
まるで闇夜の虚空。
その流れてゆく髪の色と同じ。
深い、深い――――――――黒。
「答えはある。言葉になど、するまでもなく」
長い指が覆っていく。それは頼りない串ではなく、音に聞く兼光の柄。
鯉口を切り、その刃が、鮮やかな漆塗りの鞘から姿を現す。
「ここに」
陽の煌めきを受けた波紋が、ぬらりと光った。
「…………っ」
何故だか汗は止まり。そして言葉も絶え。
代わりにあの――――――――頭の裏がチリチリと泡立つ感覚が、また波返し、戻ってきた。
先ほどよりも、強烈に。
彼らは天など、信じてはいない。だが、思わず悟った。
運は尽きていたと。
報いと言うものは、実は追い迫ってくる恐怖でなく、一見救いの様な形を真似て、突然、覚悟の出来ない所からやってくるのだ。
思わず、悟った。
ああ―――――俺達は、やりすぎたんだ。
だからこいつに、魅入られた。
「…………」
荘麗なる鎧に身を包んだ兵士が、あるいは上官を護身し、あるいは物見に走る。
その中心で、兵を巧みに操りながら、その両手は手綱から離れず。
馬上に鎮座する重々しい威厳は、まさに将軍と呼ぶに相応しかろう。
すこし歳は進んでいるが、まだまだ妙齢と言ってよい女性だ。
「皇甫左中郎!!」
「うむ、掴んだか」
「はっ。それが……」
疾風の騎士が大地を捲く。
件の賊、武装した民間人と、武力衝突――――――
斥候からもたらされた一報の元、迅速に兵をまとめ、精衛のみ先発し、その現場へと駆けつけた。
先ほど敗走させ、捕縛を免れた賊の何名かが、民間人へと襲いかかったらしい。
彼女の心にあるのは、国士としての義憤である。
神聖なる漢帝国将軍の名のもとに、この無法の徒を許すことは出来ぬ、その無道の刃に無辜の民を晒す事は出来ぬ。
この烈将を颯の如く運んだのは、その確固たる忠心と、それに見合う卓越した指揮能力が為せたものである。
「ッ! これは……」
が、早く、早くと気持ちを逸らせ、辿りついて目の当たりにしたのは、想像とはずいぶん隔たった惨劇であった。
「…………」
思わず、言葉を失った。
腕や、肩、あるいは首、それらが綺麗に切り取られているか、あるいは一様に、真っ直ぐな一筋の斬り口が刻まれていた。
中には水平に顔を二分の一にされたものや、顎から額にかけて真っ二つに割られたものもある。
それらはすべて、およそ一太刀で仕留められており、身体の一部分をどこかに持って行かれたように、無造作に飛ばされていながら、断面は真っ赤な肉とそこからポツポツと覗く白い脂身、骨が述べ全て平らに揃えられていて、部位と本体、斬り口同士をもう一度くっつけたらまた元の形に戻りそうな、ちょうど分解された人形のパーツのように、綺麗な対称になっていた。
――――――しかし。
首のあるものの目はぽっかりと開かれていて、刎ねられたものの肌は青白く。切断面から噴き上がったのであろう血飛沫が、本来はその宿主に通わせていた水気を惜しげなく、大地に与えている。
そこからは生気や、命の息吹と言うものが全く抜け落ちていて、一目で死んでいる事がわかった。
惨劇――――――そう、心臓を掴まれたような感覚を覚えるほど、それは惨たらしい。だが。
人としての形を残しながら、今の今まで生きていた事を一切と感じさせない「それ」は
何か、不完全さを求めて創り上げられた像のようで。
粘ついて、湿っぽくて、薄ら暗い。
見たくはない。禍々しい。
なのに。
そこにあるのは、美。
死体から発せられた、そういう形容しがたい感覚と――――――
それを瞬間的に美しいと感知してしまった自らの感性に、勇壮なる女将軍は、怖気と寒気が混ざり合った、アレルギーのような嫌悪感を感じていた。
そうして築かれていた、屍の森。その中心。
命の破片を、不要なものとして斬り捨てて完成させたような、おぞましげな耽美。
それを孕んだ芸術のつくり手は。
その得物の持つ、特異なほど長大な刀身の、刃先一尺ほどの所だけを血で染めて、着付けも崩さず、返り血も浴びず。
ただ、静かに佇んでいた。
「……むう」
奇妙な光景だった。
斬り裂かれた肉片の山、死体から噴き出した鮮血の河。
積み上げられたそれらが何故か途中でぱったりと、結界か何かのしきりに阻まれたかのように途絶えていた。
そして、穢れていないまっさらな大地を辿って行くと、生きものを二つ、人間を二人、足を暴れさせて、鼻息を荒くした馬を数頭、認める事が出来た。
一人は、顔を真っ青にして激しい動悸の様な息使いをしている、まるで夜叉を見たかのように瞳孔をカッと開いて、へたれるように座り込んだ男。
もう一人は――――――
まどろむ様な眼を抜き身の刀に落とした、長身の美しい男だった。
(まさか――――――)
十数人をたった一人で、そんな事が――――と、考えが頭をよぎったのと同時に、その逆が無い事に気が付いた。
この斬られた骸を見れば、その太刀の主の力量がいかほどかはわかる。ただ斃されただけではない、その、斬られ様。
『これほどの達人が、天下に二人とあるものか――――――』
あるいはこの、不気味で近寄りがたい美しさは、この絶妙の斬り口がもたらしているのかもしれない。
「そこの」
彼女が声をかけると、「ひっ」としゃっくりの様な声を漏らし、尻餅をつき固まっていた男の、引きつった顔が向けられる。
すると、怯えと驚愕のみに塗りつぶされていたその眼にだんだんと色が戻り、彼らの出で立ちに気づくや否や今度は一転、身を転せるようにして、一目散に平伏した。
「これを討ったは、此方か」
が、問われた方の男――――――この長身の美青年は、それを意に介する事もなく、懐紙で丁寧に刃先に付いた血糊を拭っていく。
否、意に介さないどころか、眼にすら入っていないのではないか。
そう疑ってしまうほど、表情はピクリとも変わらず、手入れの所作に淀みはなかった。
「貴様、なぜ跪かぬ! 将軍の御前であるぞ!!」
痺れを切らして、護衛の一人が声に威圧感を込めて、その態度を咎める。
が、馬上の将軍はあくまで冷静に、それを片手で制しつつ言葉を続けた。
「さぞ、名のある達人と見受る。名は?」
相も変わらず、まるでその場が己の私室であるかのように、刀の手入れをやめない。
「……俺の国では」
そうして、脂が切っ先に残っていないかを陽に照らして確認し始めたところまで来て、ようやくその声に応じた。
「名は聞く方から名乗るものだ。それに、馬から見下ろされるのは気分が悪い」
「きさま……ッ! 身の程をわきまえよ!! 此方にある御方を何方と心得るか!!」
「畏れ多くも先の漢帝国雁門太守が長子、皇甫左中郎将殿に在らせられるぞ!!」
「知らん」
「なっ……」
「初対面だ。名も初めて聞く」
その尊大も甚だしい態度に、兵たちを怒気も露わにするが、返る言葉は輪を掛けて不遜。
絶句する彼らに男は全く憚ることなく、言葉は片手間に、丹念に刀の切っ先を眺めていた。
「御人」
一通り作業が終わると、左手で鞘尻を掴み、器用に鞘口の角度を調節しながら、刀を納める。
そして鍔と鐺が手を打つと、磨き上げられた上等な鎧を纏った兵でなく、自らの三歩後で平伏する商人に声をかけた。
「案内、かたじけない。あとは一人で行ける」
そうして再び両手を袂にゆったりと仕舞うと、踵を返して、うっすら地平線に浮かび上がる山間の関へと向く。
「このっ……」
「待たれよ」
下知をくれ。
この無礼者を手討ちにする許可を――――――と、一人の兵士の、履いた剣を抜きかけた手が言っていた。
しかしそれを律する女将軍は、決してその命を下さず、
逞しく筋肉の隆起した馬体を誇る愛馬の背中を空にして、彼らと同じ目線へと立つ。
「我が名は皇甫嵩。偉大なる漢帝国に仕える軍人である。改めて窺おう。貴殿の名は?」
男は、一足踏みだした歩みを止め。
今まで一度も彼らには遣らなかった、冬の高い夜空を思わす双眸で、その大地に屹立する威厳を見据えた。
「――――――――――厳流」
美しく、海の底をさらさらと流れる様な声で。
「佐々木小次郎」
「武蔵。華琳さまがお呼びだ。そろそろ切り上げて、こちらに来てくれ」
「おー。春蘭が寂しがるから連れてってもいいかー」
「だれが寂しんぼだっ!」
喰ってかかり、武蔵の大きな手で額を掴まれ「へうっ」となる。
秋蘭はそんな姉を見ながら「構わんぞ」と、微笑ましそうに笑った。
「ん?」
「うわッ! …………おぉ」
遊んでいた二人の顔を、不意に、旋風を巻いて掠めた。
それはそのまま、疾風と同じ速さで高く舞い、空を翔けて行く。
「あれは…………」
燕――――――――
「どうした?」
「いや…………」
「二人とも、行くぞ」
「おお! ほら、呆けてないで、行くぞ」
「…………ああ。行くか」
武蔵は遥かに飛び立っていった燕の影が見えなくなるまで、じっと見ていた。
――――――――――風が、少し強くなった。
そんな気がした。
若干設定を変えました。
関羽ってどの女体化でも可愛いよね。一騎当千も恋姫も。
まあ最強はヤスイリオスケ先生のしょっきんぐぴんく! だけど。




