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第百話「王たるもの」


 英雄の価値とは?

 いや、もっと端的に言うならば−−−−英雄とはなんであろうか?


 ある作家は「どれほどの数の民衆を食わせて行けるかで英雄の価値が決まる」と言った。

 ある奏者は「100万人の殺人を犯した時、英雄が出現する」と答えた。

 英雄とはなんであろう。

 古今東西、数多の英雄が登場し、また後世の百万言によってその肯否が論じられてきたが。

 支配せしめた版図の広大さや戦争の白星の数を持って英雄を語る者もいる。

 英雄の、英雄たる理由とはなんであろうか。


「金亥といったな」


 曹操が見下ろす刑場の中央には、縄打たれた叛逆者が、その碧色の瞳を睨み返している。


「問おう。此度の乱は貴様が首謀か」


既に命運の決まった男は叫んだ。


「天に仇なす逆賊・曹操!!」


 からりとした刑場に、その声はよく通った。


「我が名を冠さずとも、貴様と同じ陽を頂かぬという声なき声は天下に満ち満ちておるわ!! 我が首を落とそうとも、貴様を除くために立ち昇る義憤の焔は一向に止まらぬぞ!!」


 英雄とは何か。


「自ら口を開いて天下の意志を語ろうというのに。自らの戦いにおいて己の名を最期まで冠さぬのか」


 問いを出すより前に、少女の肢体はひらりと踊るように刑場に舞い、一瞬ののち、頸は飛んだ。


「下らぬ敗者だ。お前の名は百日と残るまい」


 曹操の剣が、柄まで真っ赤に染まった。血振りがビシャリと鋭い音を立てて、刑場の土を赤黒く染めた。

 人間史における千年の問いは、本日は答えが出ぬままだが。

 ひとつ、曹操の悪名は確実に重ねられたらしい。


◇◇◇◇


「お前にとって、天下とは何か−−?」


 木鋼を擦る音越しに、武蔵と呂布の言葉は交錯していた。


「華琳がお前にそう言ったのか?」


 互いに合わせた槍の先、3m先で、呂布の小さな顎がコクリとうなづいた。


「なんと答えた?」

「……おなかすいたからかえっていい? って」

「面白いな」


 かしゅり、かしゅり、と、二人は延々と突きの受け返しを行なっている。

 槍における訓練の基礎であるが、慣れたものが続ければ、鎖で繋いでいるかのように、それは半永久的に続く。


「華琳はなんと言っていた」

「笑ってた」

「そうか」

「……となりで春蘭と桂花がさけんでた」

「面白いな」


 単純動作の繰り返しに見えて、槍の操作に必要な皮膚感覚が必然と練られる。最も、本来、稽古とすればそれなりに集中して行うものであって、雑談交じりにだらだらと行うようなものでもあるまいが。


「……天下なんて、かんがえたことがない。そらのしたから、にんげんがひとりもいなくなるのなら、それがいちばんいい」

「……ふむ。それも”天下”だな」

「……むさしは?」

「ん?」

「てんか」

「俺にもわからんね。わからんままこの歳になっちまった」


 シュカンッ、と、突きが滑った。勢いよく波が返る。


「ただ、漢王朝は400年も続いたんだとよ。これから先、千年までは人間は増え続ける。少なくともな。そこから先の500年は俺も知らんが……たぶん、人間ってのはずっーと地の上にいるんだろう」


 シュカンッ、と、鋭い突きが返ってくる。波は勢いよく返っていく。


「ただひとつはっきりしてるのは−−−−俺たちは天地の間からは逃れられんということだな」


◇◇◇◇


「おーい、むさしゃん! 恋ちん! はようこっち来て呑みなあ、もう始まっとんねんで!!」


 一汗かいて武蔵と恋が兵舎に戻ってくると、飯場ですでに虎となっている張遼がいた。向かいは誰であろう、陣営きってのろくでなしブルース、趙雲である。

 決して出会ってしまってはいけなかったのらくら者同士。補足すれば太陽は中天、真昼間である。


「ふむ。師よ、私の隣にお座りくだされ。此度の肴は是非に師のご意見を拝聴したき議題」

「今な、英雄と王様とどっちがすごいかって話しとんねん」

「なんだその戦士と魔法使いどっちが強えみたいな意味の無い話題」


 昼酒がこれほど似合うツーショットは天下に二つとしてなかろう。恐らく、中華に住まう民がおしなべてこいつらのような国民性なら戦争など起こりはしない。

 その百歩くらい手前で国が崩壊しそうだが。


「そんなもん勇者王が一番強えに決まっとろうが。はい議題終わり。おばちゃん、今日の定食はなんだい」

「師よ。強さではなく偉さの話をしておりまする。強さのみをとってすればあまねく天下に流派・東方不敗の右に出るものはおらぬと」

「勇者王、英雄王、諸王の王、って字面並べたら一目瞭然やん。こらもー王様がいちばんやろ。なんたって王サマに王サマが掛かっとるからね。倍掛けやから」

「愚かなり、霞。王など所詮、序列に過ぎぬ。伝説という爪痕を自らの力で歴史に刻んだ英雄こそが尊い。古の賢者もこう言っているでは無いか、”一放送期間における固定出演より一回の伝説が尊い”と……」


 酔っ払いが訳のわからない話を進めている横では、恋が骨つき肉の丸焼きをもっちゃもっちゃと食べ進めていた。


「まあその話題は死ぬほどどうでもいいが……大変な商売なのは王様の方だろうな」


 恋のベッタベタの口元を拭き取ってやりながら、武蔵がボソリと言った。


「英雄気取るのに必要なのは思い切りだが、王様を全うするのに必要なのは、覚悟だ……その性質上、やってるうちにだいたい後悔することになるし、真っ当にやろうとすればするほど報われない」


 骨つき肉の軟骨をもむもむとしゃぶりながら、じーっと次なる獲物、焼いた秋刀魚を見つめる恋。


「英雄になりたいならここぞって時に勇気出したら上手く行けば一晩でなれるからね。下手打っても死ぬだけだし……けど、王様というのは良きにしろ悪きにしろ地味な事業をコツコツ継続せなあかんからね。そらしんどいのは王様稼業だよ」


 武蔵は身を食べやすいようにほぐし、秋刀魚の骨を取りながら、言葉を続ける。


「俺は神君・家康公を間近で見たことがある。疲れた顔をしていた。なんと、疲れ切った顔をしている事かと思ったものだよ。傑物の傑物たる、残滓すらも感じられぬほどに」


 そして一つ、つまんでは恋の口へ運び、咀嚼と嚥下を待って次を運ぶ。

 こぼれ落ちぬよう、時折、手皿を添えるようにしていた。

 さらに、三回に一度は白米を挟む気の遣いようであった。


「鬼の左近、真田幸村、摩利支天基次……数多の英雄と戦場で相対した。しかし、羅刹も竦ます奴らの武威より、あの家康公の何もかも疲れ切ったようなしわがれた顔が、記憶に残って離れぬ。応仁の戦より百五十余年続いた乱世をついに終わらせ、天下統一という史上例のない大業を成した偉大な王を、織田信長の時代より実に七十年も戦い続けた扶桑に比類無き天下の士を、ああも擦り減らし使い切ってしまうほどに、覇業というのは果てしないものなのか、とな」


 恋にはすでに、大陸最強の武勇を誇る戦士の面影は、どこにもなかった。

 脂まみれの両手は箸を使うことすらすでに放棄し、ただ、魚のほぐし身が運ばれてくるのを待ち、小動物のようにぱかりと口を開いて、ひたすら咀嚼しては吞み下す。

 ただそれだけのいきものでしかなかった。


「二百年に満たぬ歴史を締めくくる覇業ですらそうなのに。五尺に三寸余りも足りぬあの小さな背中で、小さな肩で−−過去現在未来、天下にあまねく全てに向き合う、千年の王になろうなど」


 やがて恋がけぷっ、と、小さな息を吐くと、武蔵は軽くトントンと背中を叩き、再び汚れた口元と、ベタベタにした指を一本ずつ拭った。すると目がとろんとしてきたので、膝を貸すと、恋はそのままに眠りにつく。


「正気を捨てねば出来ぬ。俺には−−想像するだに恐ろしいな」


 膝下からまどろみの寝息が聞こえてきた頃、おもむろに武蔵は、綺麗さっぱりと骨だけになった秋刀魚の背骨をつまみ、それを噛み締めた。

 

「むさしゃん……」

「師よ……」


 出汁は、その口の中いっぱいに広がっていった。


((甘やかしすぎい−−−−!!))


 話の内容、全然入ってこねえ−−−−!

 二人の酔客は、天井を仰いだ。


◇◇◇◇


 涼州。

 中華の西端。そして、かつて最強最悪と呼ばれた、董卓軍の本拠地であった場所。

 現在は曹操軍の支配領域の西端にして、巴蜀に割拠する敵軍との国境線である。

 曹操がまだ袁紹・袁術連合と戦っていた頃。劉備が蜀に入ったという情報が、曹操の予測を大幅に超えてきた、ほとんど唯一と言ってもいい知らせだ。

 なにせ、巴蜀の主であった劉璋は、向かい入れたばかりの劉備にそっくりと領主の座を無血譲渡してしまったのだから。明確な拠点を持たなかった流軍同然の劉備が、突然として益州を丸々統括する大領主になったのである。曹操のみならず、全国の諸侯にとって寝耳に水の報せである。

 今や、劉備は反曹操を掲げる勢力群の筆頭となり、国境にて激しく交戦を繰り広げていた。

 日に日に勢いを増す劉備軍。それに対し、この地を、たった一人で守り続ける将軍がいた。

 その者は、曹操の指示を待つ事なく、曹操の意思を曹操の思考よりも早く実行し、体現できる者。

 神速の用兵を旨とする曹操軍にあって、なお最速の機動力。神出鬼没の曹操の白鷹。


「ッッツ!!!!」


 漢中に撃剣がこだまする。此の地での激闘は、すでに四十日以上に及んでいた。


「うおおおおッ、りゃああッツ!!」


 夏侯淵はこの戦いにおいて幾度となく自ら最前線で干戈を交えた。日を跨ぐたび、戦場は変わったが、先陣を切ってくるのはいつも決まって、猛烈な勢いで連撃を重ねてくる、この若い将である。


(この魏延と言う将、粗いが、強い! あと数年の稽古と戦場の経験を積めば、張遼や趙雲と同等の遣い手になるであろうな)


 冷静に攻撃を捌きながらも、夏侯淵は奥底に一抹の苛立ちを隠せなかった。

 夏侯淵の記憶にある劉備といえば、黄巾の大乱、虎牢関の折には戦場の端をウロウロとしているような小勢にすぎなかった。その後の中原の動乱でも、あちこちで遁走を繰り返していただけ。

 天下にさしたる志もなければ、明確な政治理念もない。ひたすら漢帝国再興と戦争の終結を提言して方々を渡り歩く姿は耳目にしてはいたものの、口に唱える大義名分とその行動はかけ離れていた。

 それがどういうわけか負けて流れるたび力を増して、そうはお目に掛かれぬ勇将・智将が劉備の元に集うようになっていく。そのうち乱世の波間に揉まれて消え去るのだろうと思われていた取るに足らぬ武曲の棟梁が、いつの間にか一国を有するまでの群雄に成り上がり、公然と曹操閣下に逆らうようになるとは。

 なぜか。所詮は天下になんの功績を残したわけでもないというのに。


「へっ、それがウチらのお館様と、あんたらの大将の人徳の差ってやつだろ? オバサン!!」

「ッ!!」


 挑発とともに、却って振りが大きくなった事を、夏侯淵は見逃さなかった。

 振り下ろされる峰を強めに叩いて態勢を崩した隙に、乗り馬の横っ腹に蹴りを入れて距離を取る。


「フッ、人徳か。いかにも貴様らが好みそうな台詞だな。物事を論理的に分析出来ないから、慈善だの人情だのの実の無いものを売り物にするしかない」

「うるせェ!! お前らが徐州で何をやったか、忘れたとは言わせねえぞ!!」


 たたらを踏みながらも、魏延は拳をふるって噛みつくような表情で叫んだ。


「劉備様はなあ、中原でお前らが暴れ回ったせいで、行くあても故郷もぶっ壊された人達を、ひとりひとり回って受け入れて下さったんだ!! 親を亡くしたガキにも、今にも死にそうな婆さんにも、一人ずつ膝をついて一緒に生きようって手を取って回ったんだ。天下だの国家の大計だの、権力者の理屈で何百万人も簡単に殺すおまえらに、同じことができるか。あたしたちは劉備様と一緒に、二度と弱いものが踏み躙られないような国を作るって決めたんだよ!!」


 氷のような目で矢をつがえる夏侯淵に、魏延は言葉を叩きつける。


「ここは劉備様と一緒に生きていきたい奴らが集まった国だ。お前らの言う“論理”って奴の、中心にいるのは曹操だ……いいか!! 曹操と同じ陽の光を浴びたくねえってやつァ、この天下にはごまんといるんだよッ!!」


 激情を隠さぬまま、魏延は突進する。

 夏侯淵は迎え撃つように一矢を放った。


「小賢しいぜッ!」


 魏延は眉間に飛んできた矢を、事も無げに打ち払う。

 しかし、その瞬間にガクンっと、態勢が崩れるのを感じた。


「ッ!!」


 1本目の矢に隠すように夏侯淵は二本目の矢を、魏延のギリギリの死角、乗り馬の膝元に放っていた。

 乗り馬が潰れた魏延に、三本目につがえた矢を躱す余裕は残っていない。


「魏延、どけえええええーーッッツ!!!!」


 魏延のはるか後方から届いた絶叫。

 ぞくりとした。夏侯淵は瞬時に飛びのく。

 疾風のような人馬一体の圧力の塊が、一瞬にして通り過ぎ、夏侯淵の馬を両断していった。


(−−−−馬超!!)


 乗り馬から跳躍した事で九死に一生を得た夏侯淵の眼下に、地上で疾走する馬首を急旋回させ、すでに迎撃体制を取っている馬超。

 夏侯淵は空中で無理やり体勢を捻り、魏延に見舞う予定だったつがえ矢をそのまま馬超に放つ。


「−−−−ッツ!!」


 その矢は、馬超に届くよりも早く、空中で弾けた。

 鬼人の表情をした馬超の、渾身の一振りが迫る−−−−


「−−−−ッ!!」


 夏侯淵はかろうじて身をまろばせ、ゴロゴロと転げながら、その一撃をすんでのところで避けた。


「……空中の弓矢を弓矢で撃ち落とすとはな。曲張比肩の弓の神業、よくぞ今まで乱世に隠しておったものだ、黄忠!」


 離れて五十間以上か、しかし、夏侯淵の鷹の目はその神弓の射手をはっきりと捉えていた。

 

(前線で馬超・黄忠・魏延が揃い踏みか!! 敵ながら良い軍師を使っている、まんまと奴らの策に嵌められたか)


 弓を転がした夏侯淵は、太腿に仕込んだ短剣を抜いた。

 馬超の一撃は左肩を掠めていた。まともに食った訳ではなかったがそれでも、肩の肉がバクリと抉られていた。弓を引ける状態ではない。

 劉備軍でも五本の指に入る名将たち三人、とても手負いでたった一人で捌ける相手ではない。

 −−−−絶体絶命の状況の中、戦いを中断したのは、劉備軍から聞こえた、戦場を貫くような警笛だった。


「−−−−!?」


 戸惑う夏侯淵を尻目に、劉備軍が次々と撤退していく。

 三将の目にはまだ殺気がありありと充ちているものの、こちらを崩そうと言う猛の気は見られない。

 まるで、この展開を最初から踏まえていたかのように。


「夏侯将軍!!」


 背後の声は、援軍を率いて駆けつけた副将・郭淮である。


「荊州太守・劉表が劉備軍の合併提案を受諾しました!! 現在、関羽・張飛をはじめとした劉備軍の主力が、続々と荊州へ合流しております!!」

「……なるほど」


 四十日余りもの交戦、そして此度の急な撤退。そして郭淮の報告で、夏侯淵はようやく全貌を悟った。


「はじめからこの漢中は本命ではなく、荊州を併合しそちらから我が軍の主力と相対するのが真の狙い。所詮、この僻地からでは仮にこの漢中を支配したとしても、中原に攻め上るなどとてもおぼつかないからな……」

 

 漢中で戦っている間に、荊州併合という本命の策を後方で粛々と進める。そしてその真意を悟らせぬ為に、前線となる漢中・涼州に猛攻を加えた。あたかも、こちらの戦線から曹操軍を突き崩すことが本懐であると思わせる為に。

 つまりそれは、天険の要害たる蜀の地にこもり、独立を保つための戦でなく。あくまでも、曹操を倒すための戦いということ。

 それにしても、いわば囮の為にこれほどの猛将を三枚も並べて使うとは。


「それだけでなく、我が軍がとうとう降伏させられなんだ劉表の説得に成功するとはな。敵ながら恐れ入る。劉備は詐術だけではなく、優秀な軍師と論客も備えているようだ」

「夏侯淵」


 この層の厚さ。何もかもが夏侯淵の記憶の中の劉備軍とはすでに異なっている。


「ここで劉備様への手土産にあんたの首を取っていきたいところだが。ここであんたにいつまでも構っている暇はないんでね。次に会ったら間違いなくその首を落とす。ま……その傷じゃ、当分、満足に戦えやしないだろうけど」


 魏延の捨て台詞を最後に、劉備軍は驚くべきほどの速さで退いていった。

 それこそ、曹操軍顔負けの、全く調練された、美しい軍隊であった。


「郭淮」

「はっ……!!」

「奴らの主力が移動したとて、この漢中の防備を無視するわけには行かぬ。其方はこの地に残り、我が軍をまとめよ」

「はっ」

「私は、精鋭三千を率いて、荊州に征く」

「……恐れながら、荊州方面には曹操閣下の主軍をはじめとする十分な兵力がございます。将軍が動くには、閣下のご指示を仰いでからと致しましても十分かと。それにその傷では……っ!?」


 郭淮は、かつて武蔵の副官も務めていた女だ。自らの意見を述べるのに無駄な遠慮はしない。まして正論となれば−−−−だが。

 その郭淮が思わず、口をつぐむほどに。その時の夏侯淵の表情は、彼女がかつて見たこともないほどに、憤怒の色に染まっていた。

 

「……劉備。劉備、劉備……忌々しいッ、なんと忌々しい、逆賊めが!!」


 常に冷静さを失わぬ、静かなる烈将の肌に、肩口の裂傷から鮮血が噴き出して来そうなほどの怒りが宿る。

 天下に確たる意思もなく、ただ曹操に仇なすものたちを拾い上げることで大きくなった者よ。ただ実のない憐れみと上面の優しさで民心を獲得した者よ。

 貴様の名を民衆が口にするたび、それがどれほど苦々しく曹操の臣の耳に鳴り響くかわかるものか。

 千年の王として歴史と相対する華琳様の御心を寸毫足りとも解さず、ただその時々の幼稚な感情に左右される。

 それが、よりこの乱世をいたずらに長引かせる事に気付かずに! 差別と貧困という、前時代からの負の遺産を断ち切れぬ事に気が付かずに!!


(何よりも口惜しいのは−−−−その感情論から心の奥底で劉備の力を見誤り、まんまと奴の策が成る事を許したこの私の不明だ!!)


 夏侯淵は戦場を照らす松明を一つ、ひったくるように掴み、燃え盛る炎を自らの傷に押し当てた。

 玉肌の肉が焼けただれる臭いと、じゅう、という生々しい音。

 裂傷が焼き潰されると引き換えにするように、夏侯淵の表情から憤怒が引き、冷静さが戻ってくる。


「往ってくるぞ郭淮。不在は任せる。次の一戦で、今度こそ乱世は終わりだ」


 その日、神速の白鷹は関中を出立する。

 −−−−天下三分の計、成る。その報せが天下を響もすのは、それから少しだけ後の話であった。



蒼天航路でいうと30巻台に突入した感じですので、あと本当にもうちょっとです。

焔耶にオバサン呼ばわりさせてるけど、秋蘭もまだ劇中年齢20代ではあります……ただ、黄巾の乱の頃は10代だった事を考えれば、若い子から見ればまあ……って感じかな?

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― 新着の感想 ―
作者は天に昇ったか
[一言] とても続きが気になります
[一言] 続きが読めて嬉しいです。
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