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第八話 聖夜 -せいや- (後編)

 金ちゃんの飼主から連絡があったのは一カ月前のことだった。クリスマス休暇で一時帰国すると言う。

『よぉ、颯太。久しぶりだな』

「藍沢?」


 藍沢は金魚の金ちゃんの飼主だ。彼は大学の同窓で、出席番号が近かったこともあって真っ先に友人になったやつだった。一般教養課程が終わって進む道が別れてしまうと会う機会はぐっと減ったが、それでもたまに顔を合わせれば飲みにでも行くかという気分になる友人だった。妙に頭のいいやつで、俺と違って行動力もあり、その爽やか系な容姿も手伝って女性が放っておかないタイプ。なのに当人はそれに気づいているのかいないのか特定の彼女を作らず、だもんだから、奴の周りにはいつも女性の影が途切れることがなかった。


 その藍沢が来月、クリスマス休暇で赴任先のヨーロッパから帰ってくると言う。

『親がさぁ、帰ってこいってうるさいんだよ。いきなりチケット送りつけてきてさぁ。また見合いでも用意してるんじゃないかと気が重いんだが……』

「おまえ、まだ彼女いないのか?」

『自分のやりたい事やってるとそーゆーのはつい後回しになると言うか、何と言うか……おまえなら分かるだろ?』

 俺は生返事を返す。


 最近の俺の生活は金ちゃんを中心に回っている。もっとも金ちゃん本人は否定するかもしれないが、本当にそうなのだ。何を作るにしても、金ちゃんならどんなものが欲しいかとか、どんなものだったら金ちゃんが喜ぶかとか、金ちゃんが困っていることはないか、などということばかり考えて設計するものだから、最近、モノづくりの傾向が変わったか? と会社で色んな人に訊かれる始末。


『それでな、俺、ずっと気になってたんだけど、おまえに預けていた金魚どうなったかなぁと思ってさ。もしかしてもう死んだか?』

 金ちゃんの話題になって、俺はハッとすると同時にムッとする。金ちゃんがそんな簡単に死んでたまるか。

「元気にしてるよ。今は……あぁ、ヒーターの前で寝てる」

 俺はリビングの中を見回す。金ちゃんはヒーターの前に陣取ってうとうと昼寝をしていた。

『は? ヒーター? 熱帯魚じゃあるまいしヒーターなんかいらんだろ。なんか随分甘やかしてるなぁ』

「寒がりなんだよ。それに風邪でも引いたら大変だから……」

 金魚が風邪なんか引くかよと電話口から笑い転げている声が聞こえた。


『なんかすごく迷惑をかけてるみたいで心苦しいな。引き取ろうか? 金魚くらいなら親も面倒見てくれるかもしれないし……』

「……そ、そうか?」

 金ちゃんを引きとる? 俺はひどく動揺する。

「俺は全然迷惑じゃないけどなっ。あ、でも……まぁ、飼主はお前だから……」

『じゃあ、帰国した時に会おうぜ。久しぶりに積もる話もあるしな』

「……そうだな」

『じゃあ、帰国したら連絡するから』

「……あぁ。あ、あのさ、藍沢……」

『ん?』

「その金魚なんだけど……少し……そのなんだ、おまえが知ってるあの金魚とは形態が異なってると言うか何と言うか……なんだけど……」

『は? ははーん、さては甘やかしてエサやり過ぎたあげくデブ金魚にしたか?』

 電話の向こうで豪快な笑い声が響く。

「いや、デブじゃない。デブではないんだ。むしろプロポーションは抜群なんだが、そのサイズ的には大きくなったと言うか何と言うか……」

『え? あれ普通のリュウキンだったと思うんだが……まさか鯉になったとかじゃないよな』

「いやいやいやいや、こ、恋にはなってない……と思う。まだ……たぶん……」

 恋だって? 俺はひどく動揺する。

『まだってなんだよ。まぁ、とりあえず帰ってから話そうぜ?』

 そう言って通話は途切れたのだった。


 金魚なら親に面倒を見てもらえるかもしれないだって? どうして俺に預ける前にそれを思いついてくれなかったんだよ。

 俺は頭をかかえこむ。


 金ちゃんとの暮らしがこんなに大事になった今になって……。


 金ちゃんに大学の卒業アルバムを見せてみた。金ちゃんが藍沢のことを覚えているのかどうか、確認しておきたかったのだ。

「あ、この人です」

 金ちゃんは何の迷いもなく、大勢写っている集合写真の中から藍沢を見つけ出した。


 もし金ちゃんが藍沢のことを忘れているのならば、俺は彼女を藍沢には会わせないつもりだった。金魚なら突然死んだ、そう言ったとしても、藍沢は何の違和感もなく俺の言葉を信じただろう。でも彼女は覚えていた。


 飼主を忘れていない金ちゃんに、果たして、俺は安堵しているのか落胆しているのか……。心の中で何度も自問する。


「金ちゃんはさ……飼主に会いたい?」

 躊躇いがちに問う俺に、これもまた何の迷いもない返事が返ってきた。

「はい。会ってみたいです。今の私を見て何というか知りたいし、私のことをまだ飼いたいと思うかどうか訊いてみたいです」

「……そっか、でもさ、飼いたいって言ったら金ちゃんはどうするの? また藍沢のところで暮らすの?」

 今度の問いにはなかなか返事が返って来なかった。


「金ちゃん?」

「ソータは? ソータも一緒ですか?」

「いやいや、俺は藍沢に飼ってもらう訳にはいかないでしょ。ペットじゃないし。友人だし。それに、俺はこの家を空けたくないんだ。そのうち父さんが帰ってくるだろうからね。いつも何の連絡もなしにひょろっと帰ってくる人だから……」

「お父さん? ソータのお父さんがここに帰ってくるんですか?」


 何故だか、俺の父親に興味津津な様子の金ちゃんに、父のことを話したり、アルバムにある父の写真を見せたり、カメラマンである父が撮った写真を見せたりしているうちに、藍沢の件はうやむやになってしまったのだった。


 そして以後、この件は何となく二人とも触れない話題になってしまった。だけど俺に関して言えば、口にこそ出さないものの、金ちゃんが藍沢のところに戻った時のことばかり気になって、心配で、何か金ちゃんの役に立つモノを作らねばと、思いつくままにモノ作りに没頭していた。


 金ちゃんは、やっぱり元の飼主のところに戻りたいのかな。そうだよな。金魚に戻りたがっていた一番の理由は、もう飼主に愛してもらえないんじゃないかって心配していたからなんだし。それで、毎日泣いていたくらいだし……。

 俺は大きな溜息をつく。


 金ちゃんは特に不自由なく言葉を操れるようになっているけど、表情が乏しいせいか欲しいものをうまく伝えられないことがある。そんな時の為に、脳波を利用して欲しいものが投影される『マッチ売りの少女の電灯』を作った。


 試しに自分でやってみると、いつも決まったシルエットが白い壁に浮かび上がった。俺が欲しいものって……やっぱり、これ……なのかな。


『ホワイトクリスマ鈴』はクリスマス用だ。藍沢と会うのはクリスマスイブなので作ってみた。特別な理由はない。でもまぁ、今年のクリスマスは大寒波が来るようだし、天然の雪が降れば何の意味もないものなんだけどね。それから、体温調節が苦手な金ちゃんの為に『温度オブザリング』を作った。最近の金ちゃんは、冷たくなって俺の帰りを待っていることがよくある。外に行くのに気温を考えずに薄着のまま出歩いてしまうらしい。冷たくなっている金ちゃんを、その度に抱きしめて温めてやるのが俺の日課のようになっていた。でも、最初から体を冷やさなくて済むのなら、それに越したことはない。風邪をひいたら大変だからね。


 このひと月、いつもに増して俺の頭は、金ちゃんを中心にして回っていた。


 金ちゃんのことをできるだけ『ディーネ』と呼ぶようにしたのは、自分の中の金ちゃんという存在を独立させる為だった。金ちゃんと呼べばどうしてもペットのような存在として考えてしまうが、ディーネなら独立した女性に感じられる。


 少しずつ距離を取る俺に、金ちゃんが少しずつ不安定になっているのは分かっていた。だけど、ほかに何ができる? 金ちゃんは、そもそも俺のものじゃないんだから……。


 藍沢とはホテルのロビーで待ち合わせた。彼の実家は地方都市にあって、到着時間の都合上、都内で一泊してから帰る予定になっているのだそうだ。


 少し緊張している様子の金ちゃんの手をとって待ち合わせの場所に向かう。もしかしたら今日はここから俺一人で家に帰ることになるのかもしれない。金ちゃんがいないあの家に一人で帰ることを思うと、自然と足は重くなる。ホテルのエントランスが見えてきた頃、金ちゃんが突然立ち止まった。つないでいた手がスルリとぬける。ハッとして振り返ると、金ちゃんは不安そうな顔で俺を見つめた。


「ソータ、飼主さんは私が分かると思いますか?」

「俺がきちんと話すから……だから、金ちゃんは何も心配しなくていいよ?」

「ソータが説明しても信じなかったら?」

「大丈夫、きっと分かってくれるよ。君の飼主だろ?」


 アンシンメトリーなひらひらの白い裾のワンピースを着せたのは、金ちゃんの元の姿を思い出しやすくする為のものだ。白いシフォンの裾は、金魚だった金ちゃんの尾びれにとてもよく似ていた。


 元気づける為に、心細そうな金ちゃんの頭をポンポンと軽く叩く。金ちゃんは少し泣きそうな顔で俺の腕にすがってきた。


 何も知らない人が見たら、俺達って恋人同士に見えるのかな、そんなことを考えて思わず苦笑する。


 世界なんて誤解で満ちている。



 ■□■



 飼主である藍沢との再会を手放しで喜ぶ金ちゃんに、安堵半分寂しさ半分で一人ホテルを後にした。最初は驚いて戸惑っていた藍沢も、様々な思い出話(藍沢の部屋の様子とか、エサのケースに描かれていた模様とか、水替えの時の手順とか) を金ちゃんが正確に語るものだから、これはどうやら本当にあの時の金魚なのらしいと認めざるをえなくなったようだった。


 最初の興奮が収まると、金ちゃんは急速に疲れてしまったようで、藍沢が宿泊予約していたホテルの部屋で眠り込んでしまった。初めてこんなに長い時間外出したせいかもしれないし、初めて飲んだシャンパンのせいかもしれない。


 あとを頼むよと言うと、藍沢は少し困惑した表情で俺を見つめた。

 別れも言わないまま置いてくつもりかと問う。

「さよならを言うのが苦手なんだ。元気でと伝えておいてよ」


 俺は眠り込んでいる金ちゃんの顔を覗きこむ。少し笑みを浮かべて眠る金ちゃんは、王子様の愛を勝ち取ることができた幸せな人魚姫みたいだった。金ちゃんの為に作った発明品が入った袋を枕元に置いて、俺は一人部屋を出た。



 ■□■



 家に帰ると留守電に美妃からメッセージが入っていた。スキー旅行以来だから、美妃の声を聞くのは一年ぶりだ。連絡が欲しいという伝言に折り返し電話をする。俺の声を聞いて美妃は少し気まり悪そうに元気かと訊いた。


「元気だよ。美妃は?」

 そう問い返す俺に、返事をせずに美妃は噂を聞いたと言った。

 噂……。

『同居してる彼女のこと。友人の奥さんを預かっているんですってね』

 美妃はその噂を俺たちの共通の友人から聞いたらしい。

 俺の家に居るひどく美しい同居人について……。

 学部こそ違うが、美妃は大学が同じだったので、友人伝いに噂を耳にしたのだろう。噂の大元は恐らく田中だな。俺は苦笑する。


『どうしてあの時ちゃんと説明してくれなかったの?』

「……説明したら信じてた?」

『……どうかな……分かんない』

 でも、それでも説明してほしかった。誤解だと、説明でも言い訳でも何でもいいから必死にしてほしかったわと美妃は言った。そして、ふと思い出したように、あの時はいきなり殴って悪かったわねと言って小さく笑う。


『……ねぇ颯太、あなたはどうするつもりなの? その人がご主人の元に帰った後……。あなた達、随分仲が良いって聞いているわ』

 何も考えていなかった。

 そう言うと、美妃は大きな溜息をついた。

『颯太は……相変わらずね。刹那的で。先のことを何にも考えてない』

 だって実際先のことなんか分からないじゃないか。そう言うと美妃は更に大きな溜息をついた。


 だけど自分でも薄々気づいてる。俺は考えてなかったんじゃない、考えたくなかったから考えないようにしていたのだ。金ちゃんを失った今になって、そんな自分の気持ちに気づくなんて……。


 ぼんやりと壁を睨みつけていた俺の耳に、美妃の声が響く。

『颯太、未来は変えるものよ? きちんと考えて、自分はこうしたいんだとヴィジョンを描いて行動を起こさなければ、自分が欲しい未来なんて絶対に手に入らないわ』

 ……って、私、なんで颯太相手にこんな演説してるの? もう、颯太を見てるとじれったくてイライラするのよ。美妃は本当にイライラした様子でそう言った。


「ごめん……」

 謝る以外にリアクションを思いつかない。何を言っても怒られそうな気がする。そう言えば、美妃といるといつもこんなだったっけと苦笑いする。


「ねぇ、参考までに聞くけど、あの時俺が必死に言い訳をして、説明して、美妃に戻ってきてほしいって頼んでいたら、美妃は俺の元に戻ってきてた?」

『……戻ってたと思うわ。あの時ならね』

 でももう遅いわよ。私には大事な彼がいるから。美妃は勝ち誇った声でそう言った。


 その彼は、俺よりも何倍かカッコ良くて、仕事ができて、ちゃんと自分のことを見てくれて、俺みたいに上の空で人の話を聞くことはないのだそうだ。来春結婚するのだと美妃は言った。それを伝えたかったのだと。


 あぁ、美妃だと思う。彼女は律義で姉御肌で、とても魅力的な人だった。

 俺はおめでとうと伝えた。心からそう言えた。そう言えたのはたぶん金ちゃんのせいだ。今、俺の心の軸を握っているのは金ちゃんだから。逆に言えば、俺の気持ちを揺さぶることができるのは金ちゃんだと言うことにもなる。


 冷えた家の中で、ひとり金ちゃんがいた痕跡を確認して回る。少女趣味なベッドやクローゼットの中のキャピキャピした雰囲気の洋服の数々、野菜庫の中のたくさんの野菜たち。金ちゃんは放っておくと八百屋から際限なく野菜を買ってきてしまうのだ。

 洋服はあとで送らないとな……。

「あれ……変だな。なんで俺泣いて……」

 前髪をぐしゃりと握りしめたままうずくまる。


 金ちゃんとの生活は穏やかで、居心地が良くて、春の日だまりのようで……。

 でももう、俺は、その日だまりを失っていて……。



 ■□■



 真夜中、俺はソファの上でふと目を覚ました。ソファの周りにはビールだのチューハイだののカンが散乱している。ぼんやりした頭に、目を覚まさせた原因の音が響いた。

 電話だ……。

「……はい」

『颯太か?』

 藍沢だった。金ちゃんは着いたかと問う。

「は? 金ちゃん?」


 金ちゃんは目を覚ますなり、俺を探して回り、置いて行かれたのだと知ると怒りだしたらしい。もう遅いから明日の朝送ると言っても、今帰ると言って聞かなかったのだそうだ。

『帰り道は分かっているから一人で帰ると言うからさ、駅まで連れて行って電車に乗せたんだが、無事着いたかと気になってな』

 は? 怒って帰った? 飼主に会えてあんなに喜んでいたのに?

「いや、まだ帰ってきてないけど……」

 電車に乗った時間を聞くと、そろそろ帰りついても良い頃だ。ちゃんと正しい駅で降りていればだけど……。


『ところで颯太さ、あの金魚の値段知ってる? あの金魚、ただのリュウキンじゃなかったんだよな』


 藍沢は突然不思議な話を始めた。金ちゃんは一点ものの金魚で、普通のリュウキンの十倍の値段がついていたと言う。何故なら、金魚の金ちゃんの頭頂部には青みがかった星形の模様が付いていたからなのだそうだ。とても珍しい色の不思議な形の模様なのだとペットショップの人は言ったそうだ。でも金ちゃんが不思議なのはそれだけじゃなかった。藍沢が通りかかるたびにアピールするように寄ってくるのだと言う。


『俺、金魚なんか買うつもりなくってさ、でも気になって観察したんだ。俺以外のやつでも通りかかれば寄ってくるんだろうって』


 でも金ちゃんは藍沢以外に反応することはなかった。普通のリュウキンよりも高価だったせいか金ちゃんはなかなか売れなかった。そして相変わらず続く藍沢への自己PR。それでついほだされて買ってしまったのらしい。


 金ちゃんは賢い金魚だったそうだ。エサの時間を分かっているようだったし、普段は逃げ回って絶対に掴まることはないのに、水替えだからと話しかけると自分から掌に乗ってくることもあったと言う。


『俺さ、最初、彼女とおまえに担がれているんだと思ったんだ。部屋の中にビデオカメラが隠してあるんじゃないかと調べたよ。でも考えてみたら、そんなのいつ仕込むんだよ。だってホテル予約したの俺なんだし。でもやっぱり信じられなくて……』

 そりゃそうだよな。


『で、ようやく金魚の頭にあったあの不思議な星の模様を思い出したんだ。で、彼女が眠ってる間に確認した。彼女の頭にあの星があるのかどうか……』

 確かにあったと藍沢は言って、666じゃなくて良かったよと付け足して笑った。


 金ちゃんが金魚だったことを信じてくれる人の存在に安堵するとともに、自分の知らない金ちゃんを知っている藍沢に気持ちがねじくれる。

 これは、この気持ちは嫉妬? 俺、嫉妬してる?


 自分の中に湧きおこった気持ちに悶々としていると、藍沢の少し思いつめたような声が響いた。

『颯太、彼女を頼むよ』


 あの金魚、幸運の金魚なんだと思うんだ。藍沢は続けた。金魚を買ってから色んな事がスムーズに行くようになったのだと言う。会社で重要なポストに突然抜擢されたり、上司に恵まれたり、海外赴任の話だって、彼女が来てからトントン拍子に進んだらしい。だからこそ、逆に藍沢は恐ろしくなっていたのだと言う。この金魚を大事にしないとそれまでの幸運が逆に不運に変性して降りかかってくるんじゃないかと……。


 よくそんなの俺に託したな、とあきれると、おまえだから託したんだよと藍沢は言う。おまえなんだかんだ言って面倒見がいいやつだから、と。まさか、こんなありえない事態になってるとは思いもしなかったけどな、と言って笑った。


 何か困ったことがあったら、いくらでも便宜を図るからと藍沢は言う。必要ならパスポートや保険証も取得できるようにしてくれるらしい。彼は色んなところに幅広いコネクションを持っているので、身元不明の金ちゃんでも何とかできると思うと言った。心強いことだ。


「藍沢……俺、金魚の代金払うよ。いくらだった?」

 藍沢は、そんなのはいらないけど代わりに『ホワイトクリスマ鈴』をもらっておくぜと言う。

『俺の実家、福岡なんだ。雪があまり降らないからね。姪に見せたら喜ぶよ』

「おまえ、姪がいるの?」

『あぁ、妹の子なんだ。妹に先を越された哀れな兄としては、せいぜい姪に気に入られるくらいしておかないと実家に居場所が無いからな』

「そっか、伯父さんなんだ」

『よせよ、一気に老けこんじまう。しかも、今回娘を嫁に出した気分だし……』

「あ、俺、お父さんって呼んだ方がいい?」

『そんな呼び方するんなら金ちゃんは返してもらう』


 ひとしきり笑いあった後、『ホワイトクリスマ鈴』の修理サービスを永久保証するように約束させられた。


 星型のマーク……か。そんなのあったっけ。少し考えこんでから、金ちゃんがまだ帰って来ないことに気がついた。慌てて上着を羽織ると家を飛び出した。


 駅の繁華街を過ぎた辺り、家の近くの商店街にほど近い場所に、小じんまりした教会がある。日頃は教会だと気づかないくらい普通の家に見えるんだけど、よくよく見ると屋根にはちゃんと十字架が上がっている。それがクリスマス時期になると、それらしい装いになるので、そういえばここは教会だったなと思い出すようなそんな小さな教会。その前に、金ちゃんがぽつりと佇んでいた。


 教会の外にまで幽かに聞こえてくる讃美歌の合唱。


 O come, all ye faithful,

 Joyful and triumphant,

 O come ye, O come ye to Bethlehem;

 Come and behold Him,

 Born the King of Angels;


 O come, let us adore Him,

 O come, let us adore Him,

 O come, let us adore Him,

 Christ, the Lord


(讃美歌111番 神の御子は今宵しも)


 その小柄な後ろ姿に、無事、正しい駅で降りていたかと安堵する。静かに歩み寄り、そっと後ろから抱きしめた。

「金ちゃん、つかまえた」

 金ちゃんが驚いた様子で振り返る。でも、その顔を見て俺の方が驚いた。

 泣いてた?


「……ソータ。どうしてですか? 置いて帰るなんてひどいですよ」

 ひどく震えたかすれ声。金ちゃんは段ボール箱に入れられて置き去りにされた子犬みたいだった。

「……金ちゃん。俺、てっきり君は飼主の藍沢と一緒に居たいんだと思って……」

 金ちゃんは振り返って俺に向かい合うと、ぎこちなく俺の背中に手を回して抱きしめた。


「私が一緒に居たいのはソータです。夜、眠る前におやすみを言いたいのはソータだし、朝起きた時におはようを言いたいのもソータなんです。離れてしまったら私は、ソータにおやすみも、おはようも……言えませんよ? それをソータに言いたくてここまで一人で帰って来たのに……」


 自信が無くなったのだと金ちゃんは言った。自分はここに戻ってきて良かったのか。俺にとって自分はただ手のかかる迷惑な存在だったのではないか、だから置き去りにされたんじゃないか……金ちゃんはそう言ってしゃくりあげた。

 しゃくりあげながら言葉を紡ぐ金ちゃんに、俺は何度も謝って強く抱きしめた。


 ――颯太、未来は変えるものよ? きちんと考えて、自分はこうしたいんだとヴィジョンを描いて行動を起こさなければ、自分が欲しい未来なんて絶対に手に入らないわ。

 美妃の声が聞こえた気がした。


「俺も金ちゃんに傍にいて欲しいよ。ずっとずっと俺の傍にいてほしいと思ってる」


 あぁ、もうダメだ。恐らく俺、もうたがが外れたと思う。誰が何と言おうと、金ちゃんが引こうと、君と一緒に居る未来がほしいと、君がいない未来なんて考えられないと、まるでダダをこねる子供みたいに言うよ。俺、きっと言う。


 離したくないと思う気持ちをもう止められそうもない。


 差し出した手に金ちゃんが手を伸ばす。手を繋いで帰るイブの夜。クリスマスイルミネーションよりも尚、金ちゃんの笑顔が眩しい。その輝く笑顔が、三人の賢者を導いたベツレヘムの星に見えた。

 そう言えば、金ちゃんは星のマークを持っているんだったけ。まさに導きの星。


 さっきまでひどく曇っていて雪でも降りそうだったのに、今では澄んだ夜空に星がまたたいていた。何億年も前の光が、長い旅路の果てに辿りついた地球の、その上で生きている俺の網膜で光を結ぶ。

 たとえ俺がどんなに健康に注意して長生きしたとしても、俺の人生なんて星の一瞬のまたたきにも満たない時間なんだろう。この光と俺が出会えたのは、まさにピンポイントの僥倖。奇跡だ。


 ならば尚のこと、ただひたすら無邪気に、ただひたすら愛して、金ちゃんとの暮らしを守っていくのもいいじゃないか。


 誰に何と言われても……。出会えた奇跡の為に。

 昔々のおとぎ話のように、星に導かれるままに……。


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