第七話 聖夜 -せいや- (前編)
最近、ソータがヘンテコなものをたくさん作り始めた。
『マッチ売りの少女の電灯』(単三電池四本使用)
ヘッドホンを装着し、それに繋がっている懐中電灯のようなもののスイッチを入れると、頭の中に思い描いているものが影絵のように映し出される。
夜試してみたら、白い壁にホカホカの食パンが一斤現れた。次の晩やったら、トロットロに煮込んだ牛筋入りのカレーが現れた。食べたい物が現れるの? とソータに訊いたら苦笑して、さぁどうかなと言葉を濁した。ソータもやってみてよと言ったのに、頑としてやってくれなかった。しつこくお願いしたら怒りだして、それっきりこの器械は見かけなくなった。たぶんソータの書斎のどこかにあるんだと思うんだけれど……。
『ホワイトクリスマ鈴』
これは傘の内側の骨にぶら下げて使うものだ。鈴が鳴るたびに、粉雪のような氷が傘の骨から降る仕組みになっている。傘の中だけ雪が降るのだ。だから、ホワイトクリスマスの気分を満喫したい人はこの鈴を使うと良いらしい。ロマンチックで、カップルにはもってこいだろ? とソータは自信ありげに言うけど……。
実際に使ってみたら、雪の量は湿度の多少に依るらしく、乾燥しきった関東の空気では目に見えるような雪は降らなかった。ただ単に寒くなっただけだ。それならとソータが霧吹きを使うと、いきなりドカ雪が降って頭の上に三センチくらい雪が降り積もった。寒さで歯がカチカチ鳴る。いくら恋人たちがアツアツでも冷めてしまうんじゃないかと心配になった。
『温度オブザリング』
ソータに言わせると、私は温度変化に鈍感なのだそうだ。熱が出るまで暑さに気づかないし、動けなくなるまで寒さに気づいていないらしい。ソータがいる時は、上着を脱がしてくれたり、上着を着せてくれたりするんだけど、いつもソータが一緒に居る訳じゃない。だからこれを付けておきなさいと、この指輪を渡された。指輪が赤くなったら薄着にし、青くなったら何か温かくなるものを着るようにと言われている。ちなみに、ちょうど良い温度の時は透明だ。
今日の指輪は、まるでサファイアのように真っ青だ。だから私は裏地がフェイクファーになったコートを着てマフラーをグルグルに巻いてブーツを履いて散歩している。
明日ソータと街に出かける約束になっている。明日はクリスマスイブなのだ。街がイルミネーションでとても綺麗だし、たまには外で食事するのもいいかなと思ってね、とソータは言った。私は胸がざわざわする。どうしてなのかは分からない。
そう言ったソータが、やけに視線を合わせないようにしているからかもしれないし、ソータが発明品を作ることにやけに熱心になっているからかもしれないし、単に私が外で食事をするのが初めてだから緊張しているだけなのかもしれない。
冬の空気はとても澄んでいて素敵だ。いつもは見かけない鳥にもよく出くわす。目に白い縁取りがある緑色の小鳥。頬に赤くて丸い模様のある茶色の鳥。それらは冬に咲く花に顔を突っ込んで蜜を探していたり、よく熟した柿の実を突いていたりする。とても楽しそうだ。一方、商店街を過ぎたところにある橋の上から見下ろす川には、藻草がゆらゆらたゆたっているばかりで、魚の影は見当たらない。少しでも暖かな水域に身を潜めて春が来るまでウトウトと眠っているのかもしれない。どんな夢を見ているんだろうか。
ソータがヘンテコなものを作り始めたのは先月のことだった。
――ディーネは何か欲しいものある? あると便利だなぁと思うものでもいいよ?
最近、ソータは私のことを下の名前で呼ぶことが増えた。時々、省略してディーと呼ぶこともある。私の下の名前はディーネなのだ。これはソータが付けてくれた。もっとも、金ちゃんという名もソータが付けた訳なんだけれど、これは金魚の短縮系だから付けたと言うより、付いていたと言う方が当たっている。私はディーネと言う言葉の響きが好きだ。ディーと略して呼ばれることも。少しだけ理想の女性に近づいたような気がして……。
ほしいものは特にないけど、ソータと一緒に居る時間がたくさんほしいと言ったら、軽く驚いた後、少し哀しそうに笑んだ。
――ソータ、どうしたの? 悲しいの? 私、すごく無理なことをお願いしてしまった?
慌ててそう訊くと、ソータは首を振った。
――そうじゃないよ。ちっとも無理じゃないし悲しくもない。むしろ嬉しいよ。来月にはお正月休みがあるから、ディーネさえ望むなら行きたいところに連れて行ってあげる。やりたいことを一緒にやろう。何したいか考えておいてよ。
あれから私は、ソータと一緒に何をしたいかずっと考えている。
八百屋の小父さんや小母さんはもちろん、顔なじみの商店街の人たちにも、会うたびにソータと過ごすお正月休みのプランをアドバイスしてもらった。温泉とか初詣とか初売りとか、いくつか行きたいと思っている候補はあるんだけれど、でもどれもどうしても行きたいと言う訳じゃない。ただソータと温かい部屋でのんびりできるだけで良いんだけどなぁと思ったりもする。
でもなぜだろう、ソータが最後に言った言葉が妙に心に引っかかって、私を落ち着かなくさせる。
――でもね、ディーネが望むならだよ。無理はしなくていいから。
無理をしなくていいいってどういう意味なんだろう。
何かが川面をピシャッと叩く音がした。
私はぶるっと身ぶるいをして、温かく曇ったガラス窓の家を思い描く。挙動言動ともに不審なソータを見ていると気持ちがざわざわするからと散歩に出たはずなのに、もうあの温かい部屋に戻りたいと思ってる。そろそろモノづくりに疲れて仮眠をとっている頃かもしれない。ソファで眠っているソータの傍でお昼寝をするのはとても温かくて幸せだ。いい夢しか見ない、そんな気がする。
■□■
クリスマスイブの夕刻、二人で電車に乗って街へ出た。風はさほどないのに、空気がとても冷たくて、私とソータは、コートにマフラーに手袋の重装備で出かけた。ソータが黒で私が茶色、お揃いで買ったファー付のダウンコートはとても軽くて温かい。
街はイルミネーションでとても綺麗だ。ショーウィンドウの飾り付けも、いつもよりもずっと豪華に飾り付けてあるんだって。いつもを知らないからどのくらい違うのか分からないんだけど。
初めて食べたフランス料理はとても緊張した。あらかじめナイフやフォークの使い方をソータが教えてくれていたのに、緊張した私はフォークを落としてしまい、慌てて拾おうとしてソータに止められた。すぐに気づいたウェイターさんが新しいフォークを持って来てくれたんだけど、既に緊張がピークに達していた私は、何を食べているのかさっぱり味が分からなくなってしまった。そんな私の耳に、ソータののんびりした声が響く。
「金ちゃん、いつもどおりでいいから……」
ソータはそう言うと、悪戯っぽくクスリと笑って、傍らにあったパンにガブリと齧りついた。呼び方がいつの間にか金ちゃんに戻っている。
なんだか不思議とほっとする。そのままでいいんだよ。背伸びする必要はないからと言われているようで……。
「ソータ、パンはちぎってから口に入れるんじゃないんですか? そう言ってましたよね?」
「美味しく食べられればいいんだよ。誰に何と思われようと構わないよ。金ちゃんが美味しく食べられなきゃ連れてきた意味が無いからね」
そう言って笑うソータに緊張がほぐれていく。料理はどれも美味しくて、少しだけと注いでもらったシャンパンは甘くてシュワシュワで、まるでクリスマスイルミネーションを呑み込んだようにチカチカと喉を滑り落ちた。
「ねぇ、金ちゃん、今日はこの後、君に会わせたい人がいるんだ」
店を出てすぐにソータが言った。
「誰ですか? 私の知ってる人?」
「うん。知ってる人。君がとっても会いたがっていた人」
え? それって……それってまさか……。
「君のご主人だよ。クリスマス休暇で帰国してるんだ」
私は瞠目する。
星が見えない曇り空の下、私は驚きと戸惑いでソータをぼんやりと見つめる。
私の……ゴシュジン?
私はソータに手をひかれるまま、ぼんやりと歩いた。
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私のゴシュジンはホテルのロビーと言うところで待っているらしい。ソータがそう言った。白くて大きな建物の入口、大きなクリスマスツリーが飾られているその下で、その人は待っていた。
すらりとした長身の男の人、その人は、私がずっと待っていた人だった。
金魚だった私を買って家へ連れて帰ってくれた人、いつもゴハンをくれた人、私を掬いあげてキレイな水に移して息をしやすくしてくれた人、その日起こったあれやこれやをポツリポツリと語ってくれた人、そして、連れて行けないからと私をソータに託して外国に行ってしまった人だった。
「飼主さんっ」
思わず駆けよって、その胸に飛び込んだ。
私の飼主はとても姿勢がよい。ソータよりも身長が高かったようで、いつもより首の角度を大きく曲げて見上げる。驚いて私を見下ろす瞳の色も、すらりととおった鼻筋も薄い唇にも見覚えがある。持ち上げた掌に頬を擦りつけると、私を水槽から掬いあげた掌と同じ匂いがした。