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第五話 蝉しぐれ ―せみしぐれ―

 週末、八百屋のオヤジの息子、つまり俺の小学校からの同級生が子どもを連れて遊びに来た。

 奥さんが二人目の子どもの出産で実家に戻ってしまったので、夏休みのイベントを兼ねて上の子を自分の実家に連れてきたのだそうだ。


「颯太がもの凄い美人の女の子と住んでるって聞いたからさぁ、気になってな。いや、本当にすっげぇ美人だなぁ。なんでおまえが面倒みることになったんだよ。俺の親父もすっげ知りたがっててさぁ、聞いてこいってうるさいのなんのって……」

 タナカは金ちゃんが気になる様子で、視線は彼女に釘づけのままペラペラしゃべった。

 タナカ情報によると、金ちゃんはここいらの商店街では知らない人がいないほど有名人なのだそうだ。八百屋のオヤジを筆頭に、肉屋、花屋、豆腐屋、雑貨屋、古本屋の店主が既に金ちゃんを手なずけているらしい。

 俺はくらりとする。


「それが笑っちゃうんだけどさ、金ちゃんって魚嫌いなんだろ? 魚屋のオヤジがさ、何度も金ちゃんに声を掛けるんだけど怖がって逃げちゃうんだって不貞腐れてるらしいぜ? スイスって魚食う習慣がないんだっけ?」

 ――スイス? 何の事だよ……。

 金ちゃんはスイス出身ということになっているらしい。俺の知らないところで、金ちゃんはすいすい泳ぎ回っているようだ。

 ――まぁ、元々鑑賞用の金魚だったから、人目を引くことには長けているのかな。

 俺はますますクラクラしてきた頭を切り替えようと、話題替えを試みることにした。


「しっかし、この子おまえのクローンみたいだな」

 さっきからしきりにビスケットを頬張りながらジュースを飲んでいる子どもを顎で指す。幼稚園の年長だと言うその子は、俺がかつて知っていた友人そのままの姿だ。

「だろ? 俺オヤジ似だからさ、三人並ぶとアルバムいらないって言われるんだよ」

 そう言ってタナカは豪快に笑った。


「ボクね、弟が欲しいんだよ」

 ちびっ子が唐突に口を開いた。彼は健太と言う名らしい。

「弟って、年下の男の兄弟のことですね?」

 すかさず金ちゃんが応える。健太は金ちゃんに大きく頷くと続けた。

「今ね、ママのお腹の中で赤ちゃんが大きくなってるところなんだ。もうすぐ生まれるんだよ。ボクね、弟と仲良くするよ? あ、でもね、妹でもちゃんと仲良くするよ? だってお兄ちゃんになるんだからねっ」

 そう言うと健太は胸を張った。


 健太の言葉にしばらく考えこんでいた様子の金ちゃんが、突然、分かった!と言う顔をしながら、

「……とゆーことは健太のママは卵胎生なんですねっ」と叫んだ。

 俺とタナカは思わずコーヒーを吹く。

 どうして金ちゃんは、そんな知らなくていいことを知っているのか。俺は眉間にしわを寄せた。


「ランタイセイ……ってなあに? パパぁ」

 少し困惑した表情で健太が見上げる。

「いや、卵胎生じゃないから。ママは哺乳類だから……」

 タナカが更に困惑した表情で健太に説明する。


 説明するまでもないが、卵胎生は、卵を体内で孵化させるものを指す。つまり卵胎生では、子が利用する栄養は卵内(要は黄身)のものだけで、ガス交換以外には母体からの物質供給に依存しないのが原則だ。一方、哺乳類は胎生なので、胎児は母体から栄養を供給してもらい、ある程度育ってから産まれる。


 タナカと俺の説明に、健太と金ちゃんはきょとんとした様子で、分かったのか分からなかったのか分からない顔をして聞いていた。


「しっかし、この家は暑いなぁ。エアコンないのかよ~」

 扇風機が懸命に空気をかき混ぜているが、網戸から入ってくる熱気はハンパなく、みんな汗びっしょりだ。体温調節が苦手な金ちゃんは少し火照った顔をしている。


 いつもなら、金ちゃんはお風呂場でゆっくり水浴びをしている時間なのだ。俺は一旦アイデアが浮かんで趣味に没頭してしまうと、暑いのか寒いのか分からなくなる性質だったので、今年はまだエアコンを使っていなかった。

 確かに暑いなと言いながら、ようやくエアコンのカバーを剥がし始める。

「ソータ、私暑くて死にそうです。水に浸かってきてもいいですか?」

 金ちゃんがそう言うと、健太がボクも水に入りたいと騒ぎだした。


 バスルームから楽しげな声と水音が聞こえてくる。

「子どもはいーよなぁ」

 エアコンが効いてきて過ごしやすくなった部屋で、タナカは寝そべってつまらなそうにぼやく。

「涼しくなったんだから問題ないだろ?」

 寝そべっていたタナカが突然ムクリと起きあがる。

「なぁ、金ちゃんって水着着てる訳じゃないよなぁ。風呂なんだし……」

 ――いいなぁってそっちかよ。

「おまえ、奥さんが大変な時に変な気起こしてんじゃねーぞ」

「んなの分かってるさぁ。でもさぁ気になるじゃん。服着てても抜群のプロポーションだって分かるしさぁ。おまえ気にならねーの?」


 気になるも何も、金魚だった頃から今に至るまで、金ちゃんはずっと俺の前では全裸だったのだ。見なれていた。しかも注意しないと平気でそこらじゅうを裸で歩きまわっていた時期もあった。気にならないかと言う質問は微妙だ。気になるポイントが恐らく異なっている。


「彼女のダンナがおまえに預けて行った理由が俺分かった気がするわ。昔からあまりギラついてないやつだとは思ってたけど、おまえ典型的な草食系男子なんだな。あれ? まてよ、もしかして今流行りのBLとかじゃないだろうな」

 少し後ずさりながら、怯えるふりをするタナカに俺は盛大なため息をついた。

「万が一俺がBLだったとしても、おまえはタイプじゃないから心配するな」

 俺の答えにタナカが顔を引きつらせたところで、金ちゃんと健太が戻ってきた。


 ――ほっ、良かった。金ちゃん、ちゃんと服を着てる。

「健太がね、疲れて眠くなったってゆーんですよ」

 金ちゃんが少し大人ぶった表情でそう言った。

「あー、いかん。もうこんな時間だ。オヤジに配達を手伝ってくれって言われていたんだった」

 タナカは、眠くなって目を擦っている健太を背負うと、

「邪魔したな。また来るわ」と言い残して帰って行った。


 二人を見送ると、もう少し水に浸かってくると金ちゃんが言うので、俺は少し昼寝する事にした。


 ――金ちゃんに水着買ってやるかな。海に連れて行ったら喜びそうだし……。

 来月から夏休みがとれる期間に入る。うとうとしながら手近な海を思い浮かべていると、突然、金ちゃんが部屋に駆けこんできた。

 バスタオルを一枚巻いたっきりだ。

「金ちゃん、部屋に来る時はちゃんと服を着るようにって……」

 しかし俺の言葉は金ちゃんに遮られた。

「ソータ、大変ですよ。私卵を産んじゃったみたいなんですっ」

 ――はぁ? たまごぉ……?

「ほら、これ!」


 金ちゃんが掌に乗せて見せたのはビー玉だった。黄色と青がマーブル模様になった白っぽいやつだ。恐らく健太が持っていたのだろう。俺がそう言うと、さっきまではこんなの無かったと金ちゃんは言い張った。

 しかもあろうことか、

「ソータは雄でしょ? ほら、早く精子をかけてくださいよ。そうすれば二人の赤ちゃんが生まれます」などと言い出したのだ。


「ちょっと待て、落ち着け金ちゃん。それ卵じゃないから。ビー玉だから。しかも、仮にそのビー玉が卵だとして、俺は間違いなく哺乳類だから。卵生でも卵胎生でもないから。そんなのに精子かけるなんて無理だから……」

 落ち着いた方がいいのは自分の方かもしれないと思いつつ、必死に説明する。


 ――そう言えば、金ちゃんって卵生なのかな胎生なのかな……。


「じゃあ、哺乳類はどうやって赤ちゃんを作るんですか?」

「えっ。えっと……それは……それはだな……」

 金ちゃんの真剣な表情に俺はうろたえまくる。

 ――俺、更なる深みにハマってないか? わ、話題を替えて誤魔化そう。

「……あ、そうだ。今日の晩御飯は何にしようか?」

「今日はカレーが食べたいです」

「ええええ~ 昨日もカレーだったよ?」

「ソータのカレーはとっても美味しいのです」

 輝く瞳に脱力する。昨日は鶏肉だったから今日は牛肉でも使ってみるか。魚介は……無理だろうな。俺は苦笑する。

「金ちゃんも手伝ってくれるなら作ってもいいよ」

「はい。一緒に作りますっ」

 うまいこと子作りからカレー作りに切り替えられたとホッとしていると、金ちゃんは輝く瞳のまま言った。

「カレーを作ったら、赤ちゃんの作り方も教えてくださいね。今度、一人で作ってみます」


 窓の外は蝉しぐれ。夜になっても鳴きやむ気配はなさそうだ。


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