この手が向く先
最近ちょっとまともなものじゃなかったんで普通の短編恋愛小説書いてみました。
春の終わり、新入社員が配属された。
「佐倉です!よろしくお願いします!」
明るくて素直で、少し不器用。
教育係に任命された俺は、自然と面倒を見るようになった。
「ここはこうするといい」
「はい、先輩!」
数日後。
「できました!」
差し出された資料に目を通し、頷く。
「うん、いい出来だ」
そして――いつものように。ぽん、と頭を撫でる。
「よく頑張ったな」
「えへへ……!」
ただそれだけのこと。特別な意味なんて、ない。
「……随分、可愛がってるのね」
背後から、冷たい声。振り向くと、高瀬さんが立っていた。
「教育係なんで」
「そう」
それだけ言って、彼女は去っていく。
いつも通りだ。……そう思っていた。
それからも日々は続く。
「先輩!契約取れました!」
「すごいな」
ぽん、と撫でる。
「先輩、これ合ってますか?」
「いい線いってる」
ぽん、と撫でる。そのたびに。
高瀬さんの視線が、少しだけ鋭くなることに。
俺は、ずっと気づかなかった。
「この案件、まとめておいた」
ある日、彼女が書類を差し出す。
「助かります」
目を通すと、完璧だった。
「……さすがですね」
「当たり前でしょ」
彼女はそれ以上何も言わない。けれど。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
何かを期待するような間があった気がした。
でも俺は、気のせいだと思った。季節が少し進む。
佐倉はすっかり仕事にも慣れた。
「先輩のおかげです!」
「いや、お前の努力だろ」
また、頭を撫でる。その時。
「……いい加減にしたら?」
低い声。振り返ると、高瀬さんがいた。
「仕事中よ」
「すみません」
彼女はそれ以上何も言わなかった。けれど、そのまま背を向ける直前ほんの少しだけ、唇を噛んでいた。それでも俺は、分からなかった。転機は、唐突に来た。
「私、別の部署に異動することになったから」
帰り際、高瀬さんがそう言った。
「え?」
「来月から」
「急ですね」
「人事の都合」
淡々とした声。いつもと同じ。なのにどこか、遠い。
「……お世話になりました」
そう言って、軽く頭を下げる彼女に。胸の奥が、妙にざわついた。
その夜。
佐倉が言った。
「先輩って、ほんと優しいですよね」
「そうか?」
「だって、いつも撫でてくれるじゃないですか」
何気ない一言。
「……あれ、嬉しいです」
その瞬間。頭の中で、いくつもの場面が繋がった。
高瀬さんが、こちらを見ていたこと。何かを待っていた沈黙。あの質問。
「誰にでもそうなの?」
そして。あの、ほんの少し寂しそうな顔。
「……ああ」
ようやく理解した。遅すぎるくらいに。
翌日。
「高瀬さん!」
呼び止めると、彼女は振り返る。
「何?」
いつも通りの顔。
でももう、それが“作られたもの”だと分かってしまう。
「異動の話、本当ですか」
「ええ」
「……嫌じゃないんですか」
一瞬、間が空く。
「別に。どこでも同じだから」
嘘だ。そう思ったのは、初めてだった。一歩、近づく。
「俺は、嫌です」
「……仕事でしょ」
「違います」
言葉がうまくまとまらない。でも
「俺、ずっと勘違いしてました」
彼女の目が、わずかに揺れる。
「撫でるの、意味なんてないと思ってた」
一歩、さらに近づく。
「でも違った」
手を、伸ばす。
「ずっと、一番言わなきゃいけない人に」
そっと、触れる。
「何もしてなかった」
ぽん、と頭を撫でる。彼女の体が、びくりと揺れた。
「……遅い」
小さな声。
「知ってます」
「本当に、遅い」
今度は、少し震えていた。
「……ごめんなさい」
彼女はしばらく黙っていた。そして
「……もう一回」
顔を逸らしたまま、そう言う。
「今度はちゃんと」
その意味が、今は分かる。
「はい」
今度は、少しだけ優しく、丁寧に。頭を撫でる。
「……バカ」
そう言いながら。彼女は、ほんの少しだけ笑った。
異動の話は、結局なくなった。理由は知らない。でも
「次、失敗したら許さないから」
「気をつけます」
相変わらず厳しい上司のまま。ただ。時々だけ。
「……いい出来」
そう言った後、少しだけこちらを見る。
その意味を、今度はもう間違えない。俺は軽く笑って。
そっと、手を伸ばした。




