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海と華の宴

名称変更から数週間。『四季彩 花の宿』は、京都の新しい風物詩として静かに、しかし確実に注目を集めていた。



夕暮れ時。透と凛は、二人で館内をゆっくりと歩いていた。シャンデリアの柔らかな光が畳に虹を落とし、ロビーではスタインウェイのピアニストがショパンのワルツを奏でている。陶芸工房からは、ろくろの音とゲストたちの笑い声が微かに聞こえてくる。

透は、作務衣の袖をまくりながら、ぼんやりと周りを見回した。


「……いい雰囲気になってきたよな。でも、まだ足りない気がする」

凛が隣で足を止め、透の横顔を見上げる。

「足りない……ですか? 予約は半年先まで埋まってるし、口コミも上々ですよ」

「うん、そうなんだけどさ。『名物』が欲しいんだ」

「名物ですか?」

「忘れられない圧倒的ブランドだよ」


透は立ち止まり、ロビーの一角に座るフランス人カップルを指差した。女性がスマホでシャンデリアを撮影し、男性がピアノに耳を傾けている。二人とも、穏やかな笑顔だ。


「ここに来る人たちは、ただ『美しい宿』に泊まるだけじゃ満足しない。『ここでしか味わえない何か』を求めてる。僕たちの『四季彩 花の宿』らしい、忘れられない一品が欲しい」

凛は頷き、静かに考え込む。

「蟹食べ放題とか」

「熱海の旅館か いやそうだ食事だ 京料理だよ」

凛は頷く。

「確かに……。今の京料理は、伝統的な懐石が中心ですけど、海鮮をもう少し大胆に取り入れてみたらどうですか? 京都は内陸だけど、丹後や若狭から新鮮な魚介が毎日届くんですから」

透の目が輝いた。

「それだ。海鮮だよ、凛ちゃん。京都料理に海の恵みを融合させる……それが新しい名物になるかも」

二人は帳場裏の小さな会議スペースに移り、メニュー表を広げた。九条透がノートパソコンを開き、丹後・若狭の旬の魚介リストを並べていく。


「まず、春なら若狭の桜鯛。薄造りにして、賀茂なすの揚げ浸しと合わせる。桜の花びらを散らして、視覚的にも春らしく」

「さすがオーナー」

透が頷き、即座に提案を重ねる。

「夏は鱧。京都の定番だけど、海鮮コースのメインに据えて、鱧の落としに京野菜の胡麻和えを添えるんじゃなく……鱧のしゃぶしゃぶを、昆布出汁じゃなく、丹後の岩牡蠣のエキスで煮出すとかどう? 牡蠣のミルキーさと鱧が融合」

凛が目を細めて笑う。

「オーナー、料理のセンスありますね。」



九条透はさらなる提案をしていく。

「秋なら、松葉蟹。丹後産のタグ付き本ズワイを、活き造りで。蟹の甘みを引き立てるために、京丹後の岩塩と山椒でシンプルに。でも、付け合わせに京野菜の酢の物じゃなく、柚子胡椒を効かせた海藻サラダを添えて、海と山のコントラストを」

凛は興奮気味に手を叩く。


「冬は……ブリの照り焼きじゃなく、寒ブリのしゃぶしゃぶ。出汁は九条ねぎと昆布の合わせ出汁で、ポン酢じゃなく、柚子酢に京丹後の海苔を散らして。ブリの脂の甘さと柚子の酸味が、冬の寒さを温かく溶かす」



凛がメニュー表にメモを走らせる。


九条透は取り憑かれたように提案していく。

「コース全体を『四季の海鮮懐石』として、季節ごとに変える。名前は……『海と華の宴』」

透は深く息を吐き、満足げに頷いた。

「決まりだ。シェフに相談して、試作を始めよう。……でも、これだけじゃ終わらない。名物にするなら、ゲストが参加できる要素も入れたい。例えば、陶芸工房で作った器で、この海鮮懐石を食べる特別ディナー。」

凛が微笑む。

「ゲストが『自分の器で味わう』……それなら、思い出が倍増しますね。SNSで『四季彩 花の宿の海鮮懐石、器も自分で作った!』って投稿が溢れそう」



二人は窓辺に立ち、庭を見下ろした。夕陽が池に映り、陶芸工房の明かりが灯り始める。ゲストたちが土を捏ね、笑い合う姿が見える。

透が静かに言った。

「やがてこの名物料理は花の宿の大黒柱になるだろう」

凛が驚きながら透の横顔を見つめる。

「透さん……実は天才では。あの時、パジャマで寝そべってた人とは思えない」


透は苦笑し、肩をすくめる。

「……これからも、一緒に新しい名物を生み出そう。『四季彩 花の宿』を、世界で一番、心に残る場所に」

凛は小さく頷き、手を差し出した。

「もちろんです。次は、シェフとの試食会ですね。海鮮の匂いが館中に広がったら……きっと、みんな笑顔になります」


二人は握手を交わし、夕陽に照らされた庭を眺めた。ピアノの音が優しく流れ、遠くでゲストの歓声が響く。

『四季彩 花の宿』の新しい名物『海と華の宴』は、まだ試作段階だが、すでに二人の心の中で、鮮やかに咲き始めていた。


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