反撃開始
数カ月後
「……わかったよ。君の好きにすればいい」
透は凛が叩きつけた「セクハラ常連客リスト」と、その背後に控える弁護士の名刺を交互に見比べ、観念したように両手を上げた。肩が落ち、いつもの気だるげな空気が一瞬、抜け落ちる。
やる気のない瞳に、初めて「敗北」という灰色の影が宿った。
「やるね、君」
「ありがとうございます」
凛はいくつもの弁護士事務所を回り、相談を重ねていた。リストの裏側には、証言を集めた若い仲居たちの名前がびっしり。彼女の目は静かに燃えていた。
「やっと改革するんですね」
「改革? 大げさな」
透は小さく首を振るが、声に力がない。
「オーナー、ここで変わらんとあかんよ」
「わかったよ。その代わり、客が減って潰れても僕は知らんからね」
「潰しません。むしろ、新しい『九条院』の始まりです」
凛の改革は、翌日の宴会から始まった。
ターゲットは、長年「仲居の尻を触るのが権利」だと勘違いしている建設会社の重役一行。いつものように上座に陣取り、酒が入るとニヤニヤと手を伸ばし始める連中だ。
しかし今日は違う。
手を伸ばした瞬間、重役の前に立ちはだかったのは……平均年齢75歳、この道50年の超ベテラン仲居軍団だった。着物姿の老婆たちが、まるで鉄壁の屏風のように並ぶ。
「あらあら、旦那様。お手元が狂うてはりますなぁ?」
先頭の婆さんが、にこやかに手を払いのける。笑顔なのに、目が笑っていない。
「私らみたいな古株がお相手したほうが、昔のお話もよう合いますやろ。ほれ、若い子はあっちで働かせておくれやす」
重役がもう一度手を伸ばそうとすると、横から別の婆さんが滑り込む。
「えらい元気なお方どすなぁ。結構なお手前どすえ。うちの若い衆にそんな元気、勿体ないわぁ」
「そないに触らはったら、お里が知れますなぁ〜。昔の旦那様は、そんなことせんでも、女衆は喜んでくれはったのに」
マシンガントークが容赦なく浴びせられる。すべて笑顔で、すべて丁寧に。だが言葉の端々に棘が仕込まれている。
重役たちは脂汗を流し、顔を赤らめ、逃げ場を探す。だが老婆たちは四方から囲み、逃がさない。教育的指導という名の、完璧な包囲網。
一人がようやく声を絞り出す。
「……す、すみません、もうしません」
婆さんたちは満足げに頷き、優雅に下がる。残された重役たちは、震えながら酒を煽るしかなかった。
帳場でモニター越しにその様子を見ていた透が、呆れたように呟く。
「……君、性格悪いね。本当に」
凛は満足げに頷き、唇の端をわずかに上げる。
「初歩ですよ、オーナー。彼らには『伝統の重み』を、直接肌で感じていただいてるだけです。これで、わかるでしょう。人はふとしたことで、傷つける側にも傷つけられる側にもなる。そうならないためには、相手の事を思いやる気持ちが必要なんです」
九条透は感心したように頷く。
「次は板場のパワハラです。
オーナー、今日から私の『秘書兼監視役』として、全従業員の面談に同席してください。
パジャマは脱いで、ちゃんと着物を着てくださいね。九条院の顔なんですから」
「え、僕も働くの? マジで?」
「当然です。この旅館の価値を下げていたのは、あなたの『無関心』なんですから。
変わるなら、まずは自分から」
凛の鋭い視線に、透は蛇に睨まれた蛙のように背筋をピンと伸ばした。いつもは投げやりな瞳が、初めて少しだけ輝く。
「はいはい、わかりました。凛ちゃん、頑張りますよ……本気で」
「オーナーも頑張りましょう」
「君……本当に何者? 」
透は改めて凛をまじまじと見つめる。
「ただの新入りです。でも、この旅館が好きなんです。だから、守りたいだけ」
透は小さく息を吐き、初めて本気の笑みを浮かべた。
「わかったよ。僕もやるだけのことはやる……」
初めて透の目に、本気の気合いが宿った。
それは彼が見せた、初めての本気のような光だった。
「オーナー、期待してます」
オーナーが変わり、やる気を見せ始めたことで、
セクハラ三昧旅館から一輪の蓮の花を咲かせるための
「変革」が、本格的に加速していく。




