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エピローグ:永遠の四季彩

数ヶ月後。

『四季彩 花の宿』の予約が一段落したある秋の日、透と凛は新幹線に揺られていた。

目的地は山口県・萩。

凛の父、重実の工房がある古い町家だ。

「緊張してる?」

透が隣でからかうように聞く。

凛は窓の外の景色を眺めながら、ぷっと笑った。

「少しだけ。父には『きちんと貢献出来てるか?』って聞かれるに決まってるから」

透は湯呑みを手に、にやりとする。

「僕の『暴走』が形になったって報告、楽しみだな。父上にも『息子、ようやく目覚めました』って言いたい」

萩の町に着くと、工房の門は静かに開いていた。

土の匂いと薪窯の煙が混じる空気。

中庭では、凛の父・重実が、ろくろを回していた。

白髪交じりの髪を後ろで束ね、作務衣姿は昔と変わらない。

「父さん」

凛の声に、父はゆっくり顔を上げる。

ろくろを止め、土のついた手で立ち上がった。

「……凛か。変わったな」

父の目が、透に移る。

一瞬、驚いたように目を見開き、それから穏やかに微笑んだ。

「先代の息子さんか。……よく来た」

透は深く頭を下げた。

「重実さん。お世話になりました。……父の代わりに、ありがとうございました」

父は小さく笑い、二人を中へ招き入れる。

囲炉裏の横に座ると、父は凛の持ってきた写真(『四季彩 花の宿』の看板とロビーの様子)を見た。

「看板良い出来だろ」

凛はくすりと笑う。

「はい。金箔も散らして、朝陽で虹が出るようにしました」

父は満足げに頷き、透に目を向けた。

「先代から聞いたよ。お前は『天賦の才能』だってな。……どうだ? 今の宿は、お前にとって美しいか?」

透は迷わず答えた。

「はい。毎日、最高に美しいです。……凛さんがいてくれたから」

父はふっと息を吐き、ろくろの横に置かれた茶碗を手に取った。

不器用だが、温かみのある形。透が工房で焼いたものと同じだった。

「これを、持って帰れ。お前たちの宿に置いて、毎日茶を飲め。……泥に命を吹き込むのは、簡単じゃない。でも、お前たちならできる」

凛は父の手を握り、静かに言った。

「ありがとう、父さん。私たち、ちゃんと咲かせてみせます」

父は二人の顔を見て、珍しく照れくさそうに笑った。

「まあ、たまには顔を見せろよ。……孫の顔も見たいしな」

透と凛は顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。

帰りの新幹線で、透は茶碗を大事そうに抱えながら言った。

凛は頷き、窓の外の秋の景色に目を細めた。


列車は京都へ向かって走り続ける。

二人の手には、父たちの温もりが残っていた。






『四季彩 花の宿』のロビーには、心地よいピアノの旋律が優しく流れていた。スタインウェイの鍵盤から零れ落ちるショパンのノクターンは、かつての淀んだ空気を完全に払い、館全体を柔らかな光で包んでいる。


かつて泥沼だった場所は、今や世界中の人々が「一度は訪れたい」と願う聖地へと変わっていた。予約は1年先まで埋まり、SNSには「ここでしか味わえない美しさ」「魂が癒される宿」といった投稿が絶えない。



フロントでは、かつて「自分なんて」と俯いていた若手仲居の中村さんが、背筋をピンと伸ばし、完璧な英語でインバウンド客を迎え入れている。



「May I help you? Welcome to Shikisai Hana no Yado. We have prepared your favorite suite with the view of the garden pond.」

その顔には、一人のプロフェッショナルとしての自信が輝いている。隣で婆さん軍団の佐藤さんが、穏やかな笑みを浮かべて頷く。



「ええ、ようやく胸張って『おかえりなさい』って言えるようになったわ」

厨房からは、海の香りが漂う。丹後産の活き蟹を丁寧に捌く音、京野菜と融合した海鮮懐石の湯気が立ち上る。ゲストの一組――フランスから来た老夫婦――が、コースを味わいながら感嘆の声を上げる。

「C'est magnifique... This is not just food, it's art. The sea and the seasons are dancing on the plate.」

託児所からは、子供たちの健やかな笑い声が響いてくる。庭を駆け回る小さな足音が、館の新しいBGMのように優しく混ざる。母親である仲居が、休憩室でマッサージチェアに座りながら、子供の姿をガラス越しに見つめて微笑む。



そのすべてを、ロビーの喧騒から少し離れた特等席――庭に面した窓辺のソファーで、透と凛が静かに眺めていた。

透は、自分で焼いた不器用な、けれど温かみのある湯呑みを手に取り、静かに呟いた。

「凛ちゃん……本当に、いい宿になったね」

湯呑みの中のお茶が、ほのかに揺れる。透の指には、まだ泥の跡が薄く残っている。あの陶芸工房で、初めて形にした茶碗の感触を、思い出しているようだった。

凛はいつものように、少し毒を吐きながらも、柔らかな笑みを浮かべた。

「はい。オーナーの『わがまま』も、ようやく形になりました。シャンデリアに始まって、海鮮懐石に託児所まで……全部、あなたの『才能』のおかげですよ」

透は湯呑みを置いて凛の横顔を見つめた。

「……まあ、君が『規律』で支えてくれなかったら、ただのわがままオーナーで終わってたけどな」



凛の瞳には、透への深い信頼と、祖父の看板を守り抜いた満足感が宿っている。彼女はゆっくりと立ち上がり、書斎の方を指差した。

「見て。あの写真」

書斎の壁に、静かに飾られた古い写真。先代オーナーと人間国宝・重実宗太郎が、庭の池のほとりで笑い合っている。二人とも若く、透の父はまだ髪が黒く、重実の祖父はろくろの横で土を捏ねている。写真の隅には、小さな子供の透と凛の姿がぼんやりと写り込んでいる。



「父たちが、こんな風に笑っていた頃の約束が、今、ここに実を結んだんです」

透は写真に近づき、指で優しく触れた。

「……父さん、ありがとう。『想像を超える花の宿』を、ようやく創れたよ」

二人は再びソファーに座り、視線の先には黄金色に輝く四季彩 花の宿』の看板。金箔が陽光を浴びて、虹のようにきらめく

凛が静かに言った。

「……さあ、次の季節の花は何にしましょうか、オーナー」

透は即座に答えた。

「そうだね。世界中を驚かせる、最高のやつを頼むよ。たとえば……春は桜と若狭の桜鯛のコラボディナー、夏は鱧と京の花火をテーマにしたナイトイベント、秋は紅葉と松葉蟹の特別懐石、冬は雪見風呂に



くすりと笑い、透の肩に軽く頭を寄せた。

「また でも……それが、この宿の『四季彩』なんです」

二人は顔を見合わせ、満足げに微笑む。

外では、京都の柔らかな陽光が、新しく生まれ変わった宿の門出を、どこまでも明るく照らし出していた。シャンデリアの光が池に虹を落とし、ピアノの旋律が優しく続き、子供たちの笑い声が風に乗り、すべてが調和する。


終わり、そして始まり。

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