第四十六話 宇宙の神秘
――コタエヨ、ナゼ、ソノヨウナモノヲ、タスケル――
おそらくは、周囲のモアイの、その二度目の質問と同時に、暗転した世界がさらに別の様相を呈した。
足元が、地面が、抜ける――
「ひっ!」
「うわあぁぁぁ……地面が消えた?」
「な、星が下に、いや……全周にっ!」
「ここは……宇宙空間?」
私含む全員がパニックになる中、白雲さんだけは周囲を眺めながら、落ち着いた様子で言葉を発した。
確かに、今私たちのいる世界は、まるで宇宙の真っただ中のように、どっちを向いても星や星雲、銀河が強烈な光を放っている。
宝石箱をぶちまけたといえば聞こえはいいが、そのギラギラと輝く星々は、逆に私達に恐怖やプレッシャーを叩きつけて来る!
そして、鎮座していたはずのモアイ群がゆっくりと飛び上がり、列を成して私たちの周囲をぐるりと囲んで回り始めた――
「ひいぃぃぃぃ……なんだよこりゃぁ!」
「OH! MyGod!!」
モアイの巨体が、その緑色に輝く目が、まるでこの場を支配するかのように私達を囲み、そして見下ろす。
宇宙に放り出され、身動きすらままならない私たちが出来る事は、ただ怯えるか、神に祈る事くらいだった。
「そもそも、貴方達はどなたですか? 何故モアイが私達を?」
って、白雲さんがモアイたちに堂々と言葉を返している……悪霊なんかは怖がっていたのに、こんな大きな動く石像が怖くないの?
――我らは悠久の時を生きる、宇宙の意思なり――
――大宇宙に生まれた、生命の営みを、見届ける存在なり――
――宇宙の理を介し、それを執行する存在なり――
モアイたちの言葉が胸に突き刺さる。じゃあ何? この人たちは宇宙の神様か何かだっていうの……?
そういえばモアイって、何か宇宙人の遺産だとかいう話を聞いた気がする。あれは確か霊妖祓い師の助手、ツルネさんと飲んでた時だったかな。
あの時は単なるオカルト話として笑いながら聞いてたけど、まさかそれが現実に……。
――我らは見守る者、星々で生きる生命に干渉する事は、まずない――
――だが、その生命、白雲虎太郎。何故、そのような者達を助ける――
――その者達はお前たちを害しようとしたのであろう――
――害し返すでもなく、あまつさえその者達を幸福に導こうとは――
――何故だ――
――何故だ――
――何故――
モアイたちの言葉が次々と胸に刺さる。確かに私達には『無事に帰りたい』と言う下心はある。なので海賊たちにちょっとでもいい印象を持ってもらおうとするのは仕方ないだろう。
でも、もう私たちが無事に解放されるのはほぼ確定しているのだ。
それなら無理に快便体操までして、彼らの健康にまで気を使う必要はない。むしろそのまま放置して「そのまま腸炎でも起こして苦しめよ犯罪者ども」と考えるのが普通の人なんだろうなぁ。
でも、この人は『うんこたろう』なんですよ。
「宇宙の意思とは恐れ入りました。ですが私たちもまた、宇宙を支配しておる身の上なのです」
――何と――
――何と――
――何と――
驚く周囲のモアイ達に、白雲さんは自分の下腹部をぽんっ、と叩いて、彼らに向けて同窓と演説する。
「この宇宙の星々と同じように、私たちの体内にもまた無限に近い細胞が、生命が宿っております。それはすなわち私たちの宇宙なのです!」
―― ――
―― ――
「宇宙が汚れれば、それを支配する神、つまり私たちも汚れます。汚れた体は汚れた心を呼び起こし、私たちをよからぬ方へと動かしてしまいます」
ああ、それが白雲さんの行動理念だったよね。あの下剤混入未遂犯である下原さんも、彼女を寝取られただけじゃなくて、お腹の不調によるネガティブ思考があんな真似をさせたんだった。
「だから私は、私の手の届く範囲の宇宙を、健全にしたいと思うのですよ」
―― ――
―― ――
「彼らを見て下さい。もし彼らが幼少の頃より、今のような健全な宇宙を、健康な腸内環境を持ち続けていたなら、果たして彼らの人生はより良い物に成っていたはずです」
白雲さんの著書に何度も書かれていた事だ。腸内は脳に次ぐ多数の細胞を抱えていて、その善し悪しが脳に大きな影響を与えると。腸が健康になれば誰もが前向きな思考を持てるんだと……うん、この私もそうだったんだし、その通りだ。
「だからこそ私は、人の善悪に寄らず、その宇宙を、腸内を正す事を信条としているのです。人の悪意を裁くのは、あくまで本人の善意ですから――」
「สุดยอด (素晴らしい)!」
コーウンさんが思わずそう息を吐く。そう、いくら悪人が裁判で刑務所に入っても、本人自身が反省しなけりゃ結局また犯罪に走る事になるのだ。
この海賊たちに快便体操を施したのも同じ事なのかもしれない。白雲さんが残した快便によるほんの少しの幸せが、彼らの人生を少しだけいい方に変えるかもしれない。そしてそれは、彼らのこれからの犯罪被害者にとっても、被害をより小さく抑えられるかも――
――宇宙。フフ、ちっぽけな宇宙よ――
――己の体内、見る事すら出来ぬところにそれを見出すか――
――命を取り込み、それを繋ぐ生命の営み。その終の行動にこそ――
――『宇宙の、ヒトの幸せが、あると言うのか』――
その言葉を発した時、石の塊だったモアイ像たちが、ほんの少し口角を上げて……
笑った、気がした。
「もちろんです」
自信満々でそう返す白雲さん。ああ、この人の理屈と来たら、宇宙人にまで通用しちゃうんだ……。
――なぜなら私は『うんこたろう』なのですから――
◇ ◇ ◇
「え……」
「あれ?」
私たちは普通に砂浜に立っていた。朝の爽やかな海風に吹かれて、例のモアイ像もそのまま佇んで……ついさっきまでと何一つ変わらない状態で。
「……あっはっは、やっぱり夢でしたか。そうじゃないかと思ってたんですよねぇ。モアイが喋るなんてありえないですから」
そう言って朗らかに笑う白雲さんに、周囲からツッコミが飛ぶ!
「アンタ一番冷静に対処してたじゃないか!」
「どんだけ対応力あんだよ、俺怖くてちびりかけたぜ」
「ちょっといい事言っといて夢オチで済ますなあぁぁ!」
「…… ชายมีความกล้าหาญมาก (あんたって男はいい度胸してるよ)
あー。なんかオカルトなのに怖がってなかったと思ったら、はなから夢オチだと思い込んでたのか……日本に帰れたらツルネさんに報告しておこう。
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「で、何でジンの野郎をまだ生かしておいてんだ?」
アジトに帰還した一行を見たボスが、厳しい目でそう全員に告げる。でも海賊一同はさっきの快便とその直後の超常現象で、もうすっかり覇気を抜かれた抜け殻になってしまっていた。
「私がお願いしました。菊門ちゃんに人殺しの現場を見せたくなかったので」
白雲さんの意見にコーウンさんも頷く。気を使ってくれるのは嬉しいけど、流石にホントの事は言えないよねぇ。
「んじゃ、アンタたちを帰した後に始末するのに文句は無ぇな」
「あなたの組織です、そのあたりはお任せしますよ」
「そうか。それじゃあまず、アンタらを解放する段取りを組まないとな」
どうやら話はまとまったようだ。これでようやく私たちは解放されるんだ……思えばチリ地震のボランティアに来てから、ここまで長かったなぁ……。
と、どこからか鳴動が聞こえて来た。また余震かなと思ったけど、どうも違うみたい。
「何だ? この音は」
「飛行機、だ! ンな馬鹿な、こんな外れの島に?」
「貴様ら、何らかの手段でここを通信したんじゃあるまいな!」
全員が目が覚めたかのように殺気立つ。白雲さんはコーウンさんと同時に私の前に立ちはだかりつつ、彼らに言葉を返す。
「それなら昨夜のうちに呼びますよ、少なくともこの状況で来られたら私たちにしても迷惑です」
海賊たちもそりゃそうか、と納得して、何人かが外に飛び出す。私達も残りの海賊に囲まれたまま、建物の外に連行される。
そこで私たちが見たのは……空を埋め尽くすほどの大量の軍の輸送機と、そこからパラシュートで降下して来る、小銃を抱えた軍服姿の人の群れだった。
『Check the Unko taro!(ウンコタロウ確認)』
『Surround the entire island! Be wary!(島全体を包囲、警戒せよ!)』
『Capture the pirate group and prioritize securing hostages(人質の確保を最優先、海賊団を拘束せよ)』
飛行機からここまで聞こえてくる、飛び交う英語による通信。
それを耳にした海賊たちが一人、また一人と、絶望感にがっくりとヒザを付く。
アジトの中、ソファーに座った海賊のボス、川谷は、飛来する米軍の輸送機の群れを窓から眺めて「こりゃ運の尽きかな」と、ただ息を吐くしかなかった――
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※タイ語指導、土岐三郎頼芸様。
いつもありがとうございます。