第四十二話 男たち、動く!
アルゼンチン、ブエノスアイレスにて。
「どうだった? 次のチャレンジャーは」
「攻めにくい相手だな、あのフリッカージャブをどう封殺するかだ」
ホテルで朝食を取りながら、昨日行われたボクシングの世界前哨戦の感想を、偵察に来ていた世界チャンピオン、フンサイ・ギャラクシアンとトレーナーのサブロが真剣な表情で語る。
世界フライ級1位、ドートン・カストロール。昨夜の試合でKO勝ちを収めたその選手が、一か月後に行われるフンサイの初防衛戦の相手だ。アウトボクサーではあるがKO率が高い危険な相手。また試合の間隔を空けずに連戦することで調子を維持するタイプだ。夕べみた強さは、そのまま一か月後のタイトルマッチが行われるタイに持ち込まれるだろう。
「いくつかファイトプランを考えておくよ」
「あ、ああ……」
どことなく歯切れの悪いフンサイ(あだ名:コーウン)に、サブロはふふんと笑みを見せ、フォークで彼を指して笑顔を見せる。
「まーた日本のウンコタロウを頼りたい、なんて言うんじゃないだろうなぁ」
「う……なんで分かるんだよ」
「そりゃお前、彼を呼ぶなら愛しのキクもついて来るからなぁ」
サブロの指摘に真っ赤になるコーウン。以前日本のタイトルマッチで知り合ったドクター・ハクウンの助手、キク・カドタに彼がお熱なのは周囲の知る所である。
が、流石に初防衛戦を前にしてンなことにかまけさせるわけにはいかない。日本開催でもないのにお金を払ってまで白雲氏を招待する必要もない、なにせ今回は自国タイ開催、コンディション作りは彼がいなくても万全に出来るだろうから。
「ま、だからご褒美は初防衛までお預け……って、おい!」
「揺れてる……地震、か!?」
その時まさに、隣国のチリで大地震が起きた瞬間だったのである。
◇ ◇ ◇
それから10日ほど過ぎたチリ国の被災地で、彼、白雲虎太郎は人生でも無かったくらいの焦燥に駆られていた。
彼の助手である門田菊が昨日から行方不明、そしてある海外マフィアの近辺での活動が、裏社会に通じた王大竜にて知らされたからだ。
現場に飛んで行った彼は、アメリカ軍人ジョニーの協力で、彼女がマフィアにさらわれた事を知る――
「私の財産をすべて現金化して、チリの銀行に振り込んでください」
「王大竜、件の組織の情報をできるだけ集めて下さいませんか」
「ジョニー、奴らが犯行声明を発表しそうな裏サイトのチェックを頼みます」
菊を何とか救いたい。その一念のみで、電話で、現地で、彼の持つコネクションを総動員し、あらゆる手を打っていく白雲。
とにかく犯人と一刻も早く接触し、相手の要求を飲んでスムーズに彼女を確保するしかない。何せ相手は犯罪者の群れなのだ、時間がたてば経つほどに、彼女が無事でいられる可能性は下がっていくのだから。
同時に情報が漏れないようにも腐心しなければならない。チリ国警察への通報など論外で、米軍のジョニーや裏社会の王に対しても極力介入を控えてもらわねばならない。そんなバックがあると知られれば、相手が早まった行動に出るのは明白だからだ。
あくまで個人として、マフィアに対して危機感を感じさせないまま、スムーズに交渉に移りたかった。
(菊門ちゃん……どうか無事でいて。必ず、必ず助け出して見せるから!)
事ここに至って、白雲は自分の中で門田菊と言う女性がいかに大きな存在であるかを思い知らされていた。
(無事に帰れたら、また日本で幸せに暮らそう……君が望むなら、もう私の趣味に付き合わなくてもいいから!)
自分が他人と違う、どこかおかしい所がある事など知らぬはずもなかった。人生を排泄物の研究に費やすなど、普通の人には理解出来なくて当たり前だ。
(でも、君はいつも……私の言う事に真剣に向き合ってくれた)
今まで白雲が関わった人物、自分の理論で救った人物は大勢いる。中には私に恋愛のアプローチをしてきた女性たちも何人かいた。
でも、彼女らは私の見た目や財産には惹かれていても、本質的な部分ではどこか引いていた所があったのだ。うんこの研究を生きがいとする自分と、生涯の伴侶として一緒に生きていくのはやはりどこか無理があるように思っていた。
ただ一人、昨年の冬に出会った、門田菊という女性を除いて。
ほんの半年。されど半年間、彼女は私の生き方にずっと寄り添ってきてくれた。それはこの先もずっと続くと思っていた。彼女となら――
(私は君に、伝えたいことがあるんです。告げたい言葉があるんです。だから――)
◇ ◇ ◇
そして二日が経過した夜、ついに犯人からの声明が裏サイトにアップされた!
「来たぞウンコタロウ! どうする?」
「即動画を編集してアップします! 撮影を開始してください」
この二日、万全の準備を整えた白雲は、ひたすらに犯人からのコンタクトを、まんじりともせずに待ち続けた。
焦りと、想いと、そして来た時の対応を脳内で何度もシミュレーションしながら……その待ちに待った時がついに来たのだ。
「門田菊嬢を保護してくださっている皆さん、私は彼女の上司である白雲 虎太郎です――」
返信動画を撮影し、アップして返答を待つ。
――――――――――――――――――――――――――――――
4時間後、犯人からの再コンタクトがあった。彼らの指定したアドレスに繋ぎ、カメラとタブレットを設置して、直接の交渉に入る。
『待たせたな、コタローだったか』
「うんこたろうで結構ですよ。さて、早速本題に入りましょう」
交渉は順調に進んで行った。目論見通りに私一人で彼らに同行する事になりそうだ……米軍や暗黒街からの協力要請もあったが、彼らが介入すると菊の安全より組織の壊滅を優先させそうで、最低限の協力だけで済ませて貰ったのが功を奏したようだ。
そして……何より救いになったのが――
『白雲さん……あの、すみません、こんな事になっちゃって』
無事だった。菊門ちゃんが、確かにそこに居た。
『うん、うん! 元気です。本当に、ご迷惑をおかけしましたっ!』
(何言ってるんだか、それはこっちの台詞だよ)
目頭に熱いものが湧き出てくる。良かった、もうちょっとだ、絶対に助けるから!
『こ、ここのリーダーさんなんですけど、最近うんこが不調でお腹が痛むらしいんです。なので来たついでに、診てあげてくれませんか?』
(あはは、菊門ちゃんもだんだんうんこに染まって来たなぁ、いや……これは私の印象を良くしようと?)
『余計な事喋ってんじゃねぇっ!』
次の瞬間蹴っ飛ばされたのを見て、私は湧き上がる怒りの感情を辛うじて抑える事が出来た。今まで犯罪者にしては紳士的な対応だったが、やはりああいう輩もいるのか……。
結局、そのボスの診察をする事で話はついた。通信を終了すると、私は思わずそこにへなへなと座り込んだ。
よかった、助けられる。
そう確信した時だった。誰も入れるなと告げていたはずのこの部屋、王さんやジョニーの部下たちが厳重に固めているはずのこの部屋に、大勢の者達を蹴散らしながら向かって来る気配がして、そして――
バンッ! と扉をあけ放って、部屋に入ってきた人物は……。
「話は聞かせてもらったぜウンコタロウ! その助手とやら俺が引き受けたっ!!」
地震で足止めを食らい、復興動画で菊の踊る快便体操を見つけて嬉々としてチリ国に立ち寄り、他のボランティアの皆に聞いて彼女のピンチを知って、この場に猛然と駆け付けていた――
かのボクシング世界王者、タイ国の英雄、フンサイ・ギャラクシアンその人であった。