第三十九話 海賊の孤島
夜が明け、朝日が船内にも差し込み始める。同時に船の外側にいる海賊たちの動きや声が、私のいる船倉にも届いて来る。
(結局、一睡もできなかったなぁ)
拉致される時に睡眠薬か何かを使われたせいか、目が覚めてからは眠気が来なかった。その代わりにいろいろな事に思考を走らせ、これからどうするかを頭の中で練って来ていた。
……まぁ、とりあえず体が痛いんで、なんとかこの拘束を解いてもらいたいんだけど。
◇ ◇ ◇
「おい、着いたぞ」
ドアを開けてそう言ったのは、最初に私を見張っていたあの日本人、確かジンとか言う男だ。
「足の縄は外してやるから、とっとと立て」
そう言って私の両足首を結んだ縄を解いていく。さぁ、最初の勝負だ……。
私は「は、はいっ」と答えて立ちあがりかけ、「あつっ!」と言って倒れ込んだ。
「ち、しょうがねぇなぁ……手も解いてやるよ。下手な真似すんなよ」
よしよし。後ろ手に縛られた手が痛かったからそうしてほしかったんだ、ラッキー。
「ふぅ……ちょっと体を動かしてもいいですか?」
「さっさとしろよ」
体を左右にねじり、手首をぶんぶん動かして凝り固まった体をほぐしていく。ジンは私に警戒しているけど、ここで私が暴れた所で何が出来るはずもない。とりあえずは機嫌を損ねないようにするのが肝心だ。
「ありがとう、もういいです」
「なら来い!」
即されるまま部屋を出る。船の外はまぁ予想通りの、漁船よりは少し大きなタイプのクルーズ船だった。
船上を数人の男たちが忙しく動いている。舵輪を握る者、荷物を移動させる者、そして……双眼鏡を覗いて行く先を見張る者――。
その視線の先には、晴天の空と青い海に挟まれた、緑豊かな孤島があった。
「よう、お姫様よ、着いたぜ。あの島が俺達のアジトだ」
船長さんがこっちを振り返ってそう告げる。なるほど、正面から見たら全然小さな島で、あれなら地図にも乗ってないかもしれない、海賊の隠れ家としてはうってつけだろう。
ほどなく接岸して、私は周囲を屈強な男たちに取り囲まれたまま船を降りる。桟橋を渡り、岩のスキマに組まれた石の階段を上って、その先の森に入っていく。
(……あれ?)
遠く西の方に見えたのは集落だった。いかにも孤島の住民が暮らすような簡素な家々に加え、ちらほらと動く人影も見える。皆、肌は浅黒く焼け、着ているものも簡素で、手作りの船を動かして海に出て行く人もいる。
とても海賊のアジトとは思えない、TVとかで見る南国の原住民をイメージさせた。
とはいえ、そういうのを『見ている』のを悟られたくは無かった。ここの事を知れば知るほど、私が無事に帰れる可能性は少なくなるのだから。
ふっ、とその集落の方から目を反らす。反対側は東で、登ったばかりの朝日が眩しかった――
「……え?」
その光の中に、立ち並ぶ数本の『柱』を、私は、見た。
「おい! キョロキョロしてんじゃねぇ!!」
周りの一人に恫喝されて、慌てて目線を伏せる。
……でも、今の私には、無事で帰れるかどうかよりも、さっき見た『柱』が、頭から離れなかった――
◇ ◇ ◇
アジトは山の奥にある、鉄筋コンクリートの平屋建てのものだった。もう相当に古く、何かの施設として建てられたものみたいだ。
中に入ると、とたんにカビの臭いが鼻を突いた。外の清浄な空気に比して、この中だけがまるで悪意で淀んでいるかのようだ。
地下に降り、朽ちた廊下の突き当り。そこの部屋のドアだけはどこか物々しく飾られたその部屋を海賊たちがノックする。
「ボス、連れてきました」
中から『ご苦労、入れ』と声がしたのを確認して、そのドアをがちゃりと開ける。その中に踏み込んだ瞬間、私は彼らをはっきりとアウトローと認識する事が出来た。
だって、いかにもというか、思いっきりヤクザの事務所じゃない、ここ。
「いらっしゃいお嬢ちゃん、今回は災難だったねぇ」
そう私に告げたのは、部屋の中央のソファーに座っていた強面の男性だ。ネクタイ無しの黒スーツに身を固め、パーマをかけた面長の顔の頬には向こう傷が走っている。その長いアゴを、組んだ拳の上に乗せてニヤリと笑みを浮かべて「まぁ座りなよ」と対面への着席をうながす。きっとこの人がボスなんだろう。
「あ、はい、失礼します」
向かいのボロソファーに身を沈める。とにかく今考える事は彼らを刺激しない事だ。これから私を人質にして恐喝をするんだろうから、それに従えばいいだけだ。
「へぇ、思ったより怖がってないねぇ」
「そ、そんな事無いです」
私を値踏みするような言葉に、思わずぞわっとなる。身を縮め、子猫のような怯えと従順さを見せ、彼らにとって都合のいい言葉を紡ぐ。
「そ、それで……私は何をすればいいんですか?」
その言葉に一同、目を丸くして固まったかと思うと、ボスが豪快に笑い始めた。
「がっはっはっはっは! こいつぁ度胸あるお嬢さんだ。大抵は泣き叫んで命乞いするもんだけどなぁ」
つられて周囲の海賊たちも笑い出す。あくまで控えめに、このボスに歩調を合わせる感じで。
「そうさなぁ……今夜にはビデオ撮影してネットに上げるから、そん時にせいぜい同情を引く演技をしてくれ。うまく一発で交渉できりゃあ合格だ、名演技期待してるぜ」
ああ、やっぱりそうなるよね。脅迫動画を送ってお金を出させるために、私にカメラに向かって命乞いをさせるのが狙いなんだ。それが真に迫るほど、脅された相手は私を心配、同情して、身代金の支払いに応じるだろう。
「そういうわけだ。夜までゆっくりしてりゃいい、なんならこの島の観光とかするかい?」
「え……いいん、ですか?」
「ボス! 下手な事を言っちゃいけませんぜ。もし何か情報が漏れたら……」
そりゃそうだ。私が解放された後にここの情報を漏らしたら、彼らの逮捕にも繋がりかねない、もしそれを恐れられたら、私はきっと殺されるだろう。だから私は意識してここの事を知ろうとはしなかったんだけど。
「ふん……あ、そうだお嬢ちゃん。あんたウンコを研究してるんだってな」
「え? あ、は、はい……助手ですけど」
いきなりそっちに話を振られてビックリした。その言葉に周囲の面々が思わず吹き出し、笑いを盛らす。
「笑うんじゃねぇ!」
と思ったら、ボスの一喝でとたんに静かになる。うーん、この人たち相当にボスを怖がってるなぁ。
「最近どうもクソの調子が悪いんだ。良かったら見てくれねぇか」
「は? それはいいですけど、私は医者じゃないですよ?」
「ああ、いいんだよ、気休め程度でなぁ」
そう言われて長ソファーに横になるボス。仕方ないのでお腹を出して貰って軽く触診して見る……白雲さんに付き合って長いので、素人でも少しは分かる。
「……詰まっては無いようですね。下痢気味なんですか?」
「いや……なんか腹がときたま、ネジれるように痛んでなぁ」
うーん、便秘でも下痢でも無いとなると、腸炎か何かかなぁ。最悪、虫垂炎(盲腸)の可能性もあるけど、私じゃそこまではとても判断がつかない。
「すみません、私ではなんとも……」
立場を悪くするかもしれないがしょうがない、下手な事をして悪化でもすれば最悪、殺されかねないんだから。
「そうかい、無理言ったな。夜までゆっくりするといい」
結局診察はそれで終わり、私は与えられた個室に押し込められた。
お昼を過ぎたくらいだろうか。部屋の隅にある窓、というか四角い穴から、なぜか子供がひょっこり顔を出した!
「Hermana, son amigos(お姉ちゃん、あいつらの仲間)?」
いきなりの質問に、え? と驚く。どう見ても海賊の仲間じゃなくて、さっき遠目で見た原住民のお子さんだ。見た目八歳くらいだろうか……しっかりスペイン語を話しているあたり、どうやらここもチリ国内なのかもしれない。
首と手を振って「ノー」の意思を伝える。その後身振り手振りで「ここは危ないから戻りなさい」と言ったけど、その子は意に介さず「Estás bien(大丈夫)」と言ってにかっ、と笑った。
「no hay nadie ahí(もう誰もいないよ)」
「……え?」
「así que solo ven(だから、ちょっと来て)」
部屋の鍵こそかかっているけど、その窓は女の私なら何とか通り抜けられるほどの大きさだった。少し迷ったけど、どうしても気になる事があったのでその子の誘いに乗って、窓から外に出た。
足音を忍ばせて建物の周りを伺う。確かに人の気配はなく、しんとしている。ここまでの私の演技が効いたのか、逃げ出す事は無いと踏んでいるみたいだ。
まぁ、絶海の孤島みたいなので逃げようも無いし、逃げる気も無いんだけど。
その子に手を引かれて森のけもの道を抜けると、開けた場所に出た。ここは……
「畑……だよ、ね」
その場所には一面、栽培された植物が規則正しく並んでいた。普通なら何となく生活感のある光景だが……私は逆に、何かおぞましい物を感じ取っていた。
思わず吐きそうになり、口を押さえて身をかがめる。キモチワルイ……。
「ダイジョーブか、キミ」
ふと声をかけられる……何故か日本語で。
「キブンでもワルイの?」
そこにいたのは、やっぱ現地の人らしい女性たちだった。使い古された作業着のようなものを着て、鎌やら手桑やらを持って、心配そうに私を見ている。
「ユウカイサレタンダッテ? タイヘンダネェ」
一人の高齢女性が、さっきの子供の頭を撫でつつ話しかけてくる。他の人と比べてちょっと貫禄のある女性で、なんとなく彼女たちのリーダーのような雰囲気がある。
「ネェ、モシクニニカエレタラ、ワタシタチモタスケテホシイノ」
「え……助ける、って?」
「アイツラニ、ココデハタラカサレテイル」
「サカラエバコロサレル」
女の人たちがそう口々に懇願してくる。
そのセリフに、ぞわり! とした悪寒が駆け抜けた気がした。あの連中、ここの住民を脅して無理矢理に働かされているんだ……なんて事!
そこまで思い至った時、私はふと思い当たる事があって、もう一度、目の前の畑を見た。
見た事も無い植物。
花も、実も、そして根も太ってない。とても食用や観賞用には見えない。
これを、あの悪たちに栽培させられている……つまり、これは。
「これ、麻薬の……原料!」
納得がいった。私がここに来た瞬間に気分が悪くなったのは、初めてあの警察病院に行った時に、中毒患者の階に行った時と同じ感じがしたからなんだ。
その時だった、世界全体がダダン! と縦に振動し、続いて地鳴りのような音が空気を震わせ始めた!
「余震! ここにも!!」
あのボランティア地域ではよく来てたけど、ここにも余震が来るんだ。
「いけない! 私帰ります。もし国に帰れて、出来る事があったら必ず伝えますからっ!」
彼女たちに頭を下げ、来た道を急いで引き返す。もし今の地震で私の様子を見に来られたらアウトだ。一刻も早く戻らないと!
森を抜け、建物に辿り着く。窓代わりの四角い穴をくぐって部屋に戻る……部屋の中はさっきと全く変わっていなかった。
「よかった~、バレずに済んだぁ~」
私が抜け出して、ここの人にSOSされたなんて奴らに知れたらおしまいだった。なんとか事なきを得て、奴らが帰って来るのを待つ……んだけど。
「一体何をやってるのよ、あの連中は!」
余震から一時間くらいたっただろうか、奴らは誰も姿を見せなかった。仮にも身代金要求の人質を取っておいて、ほったらかしにも程が無いですか?
なんか慌てて戻って来たのが馬鹿馬鹿しくなってきたので、もう一度外に出て見た。もし見つかっても「地震があったのに誰も来なくて不安になったんです」とでも言えば言い訳は立つだろう。
と、建物の横に屋上に上がるハシゴがあるのに気付いたので、ちょっと躊躇った後で登ってみた。高いところに立つと周囲の状況が良く見えるかなと思ったのだ。
「あ……あそこ、アイツら、あそこにいるんだ」
海に突き出した高台みたいな所に、ここと同じような鉄筋コンクリートの建物がある。その際には電波塔が立ち、巨大なパラボラアンテナのようなのが空に向けて開いている。
あそこだけなんか近代的な所を見るに、多分あそこでオレオレ詐欺や闇バイトの斡旋なんかをやってるんだろう。なるほど、私に構うヒマがないわけだ。
最後に私は、どうしても気になっていたものを見る為に、目線を東に向ける。そう、ここに来るときに見た、あの朝日にシルエットを浮かばせていた、数本の『柱』。
「……やっぱり」
今ならはっきりと見て取れる。あのいびつな形は柱なんかじゃ無かった。
「でも……なんで、この島に、アレがあるの?」
――モアイ――
チリ領、イースター島にのみ存在する、謎の古代石像。
東の海岸線に並んでいるのは、まぎれもなくそのモアイの石像だった。