第三十六話 門田菊、異国でがんばる
「Si no le importa, proporcione baños y agua corriente.(よろしければ、トイレと水道の提供をお願いします)」
チリ北部の町、ルタルタの高台の住宅街。津波の被害を免れ、上下水道が生きているそこで私、門田菊や白雲さんは各家庭を回り、被災者へのトイレ供給をお願いに回っている……のだけれども。
「No es una broma, me niego.(冗談じゃないよ、お断り)」
「No sé cuándo mi casa quedará inutilizable.(いつウチも使えなくなるか分からないのに)」
「Destruir la casa? No lo hagas, se derrumbará si vienen las réplicas.(家を壊す? やめておくれよ、余震が来たらくずれちまう)」
「No hay baños para prestar a otros.(他人に貸すトイレなんか無いね)」
「Te refieres a pagar? ¿Es algo en lo que puedas confiar?(金を払うだって? そんなもの信用できるものか)」
交渉は全く上手くいかなかった。まぁ無理もないよね、いくら震災時でも、いやむしろそんな非常事態時だからこそ、彼らも自分たちや身内に手一杯で、他人に尽くす余裕などない。
おまけに度々余震が来ており、今は無事でも先はどうなるか、みんな分からないのだ。だからそんな時に自分の家に穴をあけてトイレを他人に使わせるなんて認めるはずもなかった。
今は無事でも、次の揺れで家が倒れるかもしれないって時にわざわざ壁に穴をあけるなんて誰もしたくないだろう。
協力者には謝礼を払うというのも、今のご時世じゃ詐欺を疑われるのがお約束なのは日本と同じみたいだ。
それでも私は一軒一軒にお願いして回り、もし気が向いたらとチラシを手渡しておいた。うーん、訪問販売の営業さんってこんな感じなんだろうか……大変だなぁ。
ちなみに海岸線付近に住んでいて津波で家を流されたり、床上浸水までしちゃった人たちは近場の公園に設営されつつある避難キャンプへと集まっている。幸いと言うかこっちじゃ季節が夏なので、まだ夜になっても凍える心配はない。
でも半面、水関係、つまり衛生の問題はやはり深刻だ。一応、米軍持ち込みの仮設トイレはあるにはあるのだが、当然のごとく長蛇の列になってしまっている。間に合いそうにない人はいよいよそこいらの物陰で用を足しているのも、ちらほら目につき始めた。
仕方ないとはいえ、こんなことが蔓延すれば衛生状況の悪化から、悪い病気が流行るかもしれない。
なので私たちが頑張って少しでもトイレを確保しなけりゃいけない。白雲さんは地域のリーダーさん(町内会長のような立場の人)の家にまで出向いて交渉していたが、快い返事はもらえなかったようだ。
結局、夜まで奮闘を続けたが、残念ながら使用許可を得られた家庭トイレはひとつも無かった。
「この計画、やっぱ無理があるんじゃないですか?」
夜、キャンプで携帯食をかじりながら白雲さんにそう問う。確かにトイレ確保は急務だけど、このやり方で本当に成果が上がるんだろうか。
「しかし他に方法はない。待っていれば仮設トイレや携帯用トイレはどんどん届くだろう……しかしそれでは遅すぎる、必要な時に足らず、不要になってから余るのは最悪のパターンだからね」
確かに。あちこちの災害のニュースでも、支援物資が届くのが遅すぎて、必要なくなって大量に余らせてしまうのはよくあるパターンだ。それを少しでも減らすのも私たちの仕事なんだけど、このままじゃ……。
「仕方ない、強硬手段に出るとしようか」
「え……強硬手段って、どうするんですか?」
白雲さんの顔が、今までにない陰りを見せる。このままトイレ不足が続くのを解消するのに、どんな強硬策を取るつもりなんだろう……米軍の肝いりの人物なんだし、何か無茶をするんじゃないだろうかと内心不安になる。
◇ ◇ ◇
翌朝。昨日回った高台の住宅街の集会所にて。
『さぁ、快便体操第一、はっじまっるよ~』
私と白雲さんは、米軍から借りてきたスピーカーを最大音量にして、快便体操第一を踊っていた。
当然周囲の住民が「ruidoso!」「A qué se debe este alboroto?(何の騒ぎよ)!?」と慌てて出てくる。
「Bueno a todos,la salud es la mejor manera de superar los desastres! Mantengámonos saludables haciendo gimnasia esta mañana!(さぁ皆さん、災害に打ち勝つには健康が一番! 今日も朝から体操で元気にやっていきましょう!)」
白雲さんが流暢なスペイン語で、にこやかにそう呼び掛ける。人の良さそうな長身イケメン東洋人に乗せられてか、何人かは興味を引かれたらしく、一緒に体操を踊り始めてくれた。
まぁ私たちは支援ボランティア『|white clouds』のTシャツや腕章をつけているので、同調すれば何か恩恵を受けられるとの下心なんかもあるんだろう。
かくして彼らは、ものの数分で自宅のトイレに駆け込むことに相成った……。
それで、信じられないけど……お昼前には、昨日配ったチラシを手に、私たちの案に乗ってくれる人がぽつぽつ出始めたのだ。
「Vaya, me sentí renovado.(いやぁスッキリしたわ)」
「Necesitamos compartir un poco con los que han evacuado.(避難してる人にも、ちょっとはおすそ分けしないとねぇ)」
「Si realmente tienes que pagar, usa mi baño.(ホントにお金が出るなら、ウチのトイレ使ってくれよ)」
彼らは皆、心底晴れやかな表情で、そう言ってくれた。
「強硬手段って言うから何かと思えば……白雲さんほんとうんこたろうですよね」
「ハハハ、気分が良くなれば余裕もできるってもんさ。事実トイレを貸してくれれば、その人には大金も入るんだしねぇ」
まずトイレを貸してもらう人たちの気持ちに余裕を持たせるために、あえて快便体操をさせてスッキリさせるとは……。
余裕が出来てきた彼らは、トイレを貸すことに対するリスクだけじゃなくリターンもちゃんと計算できるようになってきてるみたい。実際、平時ならこの提案は、庶民にとっては降って沸いたひと儲けのチャンスなのだから。
もちろん心情的には、不運にも被災者となってしまった人たちに、今の自分のスッキリを感じてもらって、立ち直ってもらおうという奉仕の心も感じ取れた。
ふふっ、チリ人の人情もなかなかのものがあるじゃないの。なんかちょっと嬉しい。
うんこで状況をコントロールする、その手腕は地球の裏側でもしっかりと健在だったようだ……改めて、おそるべしうんこたろう。
結局、3日後にはその地域の避難者すべてをカバーできるだけのトイレの提供があり、仮設トイレや携帯トイレは、そのほとんどが別の避難場所に割り当てられることになった。
で、その事実がネットで拡散された結果、チリ北部の被災箇所のあちこちで同じ流れが発生していっていたみたい。
「Puedes ganar mucho dinero alquilando tu baño!(トイレを貸せば大金が手に入る!)」
「Experimenta la gimnasia revolucionaria de Japón(日本から来た支援者の、画期的な体操を体感せよ)」
「Prohibido defecar en la calle! Primero llamemos a la casa del vecino.(路上排泄禁止! まず隣の家をノックしよう)」
……なんかもう、主にお金目当てメインにトイレの過剰提供が成されているみたいで、支払いを確約する財閥企業の代理人さんが頭を抱え始めているんですけど。
かくして地震発生からわずか6日で、国内全体での避難生活者の衛生状況は格段に良くなった。あとは食料、住居、そして復興のための支援を進めていけばいい。
だけど、この後私は、ここが外国である事を、改めて思い知る事になる――