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第三話 その瞬間(とき)

 七階に到着して驚いた。ラウンジって聞いてはいたけど、見た目完全に高級レストランだ。ドラマでしか見た事の無いような白いシーツをかけられた丸テーブルが整然と並び、ガラス張りの壁の向こうは宝石箱をぶちまけたような夜景が広がっている。


 上品そうなシェフと思しき人が「いらっしゃいませ、お連れ様がお待ちですよ」と私をエスコートしてくれる。その先にはさっきのイケメン先生がゆったりと座って「お疲れ様」と笑顔を見せる。

 ああ、やっぱりこの人、私とは住む世界が違う人だと、改めて思った。


 彼の対面に座り、ふぅ、と息をついてから彼を見据えて、私は切り出した。

「あの、あの、どうして、私にここまで良くしてくださるんですか?」

 その質問に彼はふむ、とアゴをなで、私に指をピッ、と立てて言葉を返した。


「君、あの時、川に飛び込もうとしてたでしょ」

 ……あ。


 バレてたんだ。私があの時、この人たちとの格差を痛いほど感じて、死んじゃおうとしていた事を。それに同情して、こんな事をしてくれているんだろうか。


「自殺しようとするほど 便() () で悩んでいる人を放ってはおけないよ」

 ガン! と頭からテーブルに突っ伏す私。


「どんだけですかぁっ! いくら何でも便秘の悩みで自殺なんかしませんっ!!」

「へぇ、便秘以上に困る事なんてあるのかねぇ」

 私のツッコミをさらりと躱すこの男……そりゃあんたくらいの成功者なら、死にたくなるような悩みなんてないんでしょうけどねぇ。


「確信を持って言えるよ。君は便秘で人生を損なおうとしている、それは私にとって看過できない事案だよ」

「勝手に決めつけないでください! っていうか事案って何なんですか、便秘で通報されるとでも言うんですか?」


 ムキになっての私の反論に、その男は両肘をテーブルについて手の平を組み、その上にアゴを乗せて、ふっ、と笑みを見せた。

「……今に分かるよ。さ、それより料理が来たよ、食事にしよう」


「お待たせいたしました。前菜のピクルスとトマトのサラダ、オリーブオイルのドレッシング添えでございます」

 最初の一皿を見て、私はまた場違い感に引き戻された。そもそもコース料理なんて初めてだけど、色どりと上品さを備えたその盛り付けだけでも、私の全く知らない世界の食べ物だ。


  ◇        ◇        ◇


 料理は絶品だった。美しいロゼ色のワイン、青菜のベーコン巻き、チーズとさつまいものグラタン、鶏肉のオイルソテー、豆腐とネギと薄切り牛肉の洋風鍋。そして締めにはヨーグルトを絡めた色とりどりのナタデココのゼリー。

 一品一品の量は少なめだったけど、その味は私の人生で味わった事すらない美味。もちろん見た目や色合いも芸術的で、その香りは私を陶酔感に酔いしれさせるに十分だった。


「ご馳走様でした」

「うん、ごちそうさまでした」

 手を合わせる私に習って、彼も笑顔で口元を拭きながらそう返す。ちなみに彼は軽く私の三倍もの量のお皿を平らげている。まぁここのオーナーなんだし、この長身じゃそりゃ私とは胃袋も違うだろうし、当然といえば当然なんだろうけど。


「さて、じゃあ部屋に案内するよ。二階に来なさい」

 ……もう騙されないぞ、トキメいてたまるもんか。


 二階に到着。この階はまるでビジネスホテルのように宿泊部屋が並んでいて、その中の東端の部屋に案内される。

 ……まぁ案の定というか、一緒にベッドインなどというイベントはなく、いくつかの注意事項を言われただけで彼とは別れた。


 シャワーを浴び、備え付けの浴衣に着替えてベッドに座る。


「なんだかなー、ヘンな一日」

 そう嘆いて画面の割れているスマホを取り出す。買い替えるお金も無く、調子の悪いこれをずっと使い続けているのだが……。

『今夜はスマホ禁止、いいね』

 あのイケメンに言われた事を思い出し、少し考えた後スマホをベッドに放り出す。

 意図は分からない、外部に連絡でも取られるとマズいのか、あるいは夜にスマホの画面を見ると便秘に悪いとでも言い出すのか……多分後者なんだろうなぁ。


 仕方ないのでベッドに潜り込み、今日の出来事を振り返る。


 アパートを追い出され、寒空の中をさまよって、次元の違う人生を送っているであろうイケメン&美人軍団と出会って、コンプレックスと絶望感から死のうとさえ思った。

 まるで死の前のご褒美であるかのようにイケメンに色目を使われたと思ったら、いうに事欠いて私の便秘を直すなどとおっしゃる。てっきり冗談かと思いきや、自分の病院に連れ込んで無料診断し、健康のためのエアロビクスを経てディナーまでご馳走になった。


 あ、やっぱこれ、明日にでも地獄に落ちるパターンだわ。

 うまい話に裏があるのは当たり前だ。今日私が彼から受けた恩恵は、明日には負債となって私を奈落に落とすだろう、世の中ってそういうもんだ。


 でも初めてのホテルのベッドはあまりにも気持ち良すぎて、抵抗も出来ないままに眠りへと誘われていった――


  ◇        ◇        ◇


 ”ピピピッ、ピピピッ……”


 聞きなれない目覚ましの音に目を覚まされた。目を開けて上半身を起こし、私はここが普段の場所と違う事にまず驚き、そして昨日あった事を思い出して、ああそっかと心で吐き出した。


「お目覚めかな、おはようさん!」

 って、こっちが色々考える間もなく、例のイケメンがいつの間にか部屋の隅に居て、シャッ! とカーテンを開ける。

 東側の窓から差し込む光は眩しく私を照らし、逆光に浮かび上がるイケメンさんの姿は、まるで神話のように神々しく、美しく見えた。


「さ、コレ飲んだら一緒に 『()便()()()第一』、はじめるよ~♪」

 うわぁ、だ、台無しだぁ……全くこの男は。


「おいっちに、さんしっ。はいお腹を『の』の字にさすって~」

「おいっちに、さんし……」

 ミネラルウウォーターを一気飲みした後、結局付き合わされて快便体操とやらを一緒に行う。

なんか腰のツボを押しながら体をねじったり、お相撲さんのようなシコを踏んだりと、確かにお腹を上下左右にぐいぐい引っ張る動作が多く、って……!


(あ、あれ……()()かも)

 久々の便意が、ぞくりと下半身を駆け巡る。それは瞬く間に加速し、もう即トイレに直行しないとヤバい状態に達してしまった。

「あ、あの、すいません、ちょっとトイレ!」


「はいはーい、いってらっしゃ~い♪」

 笑顔でひらひらと手を振るその男に背中を向け、私は一目散にトイレに駆け込んだ。


(やばい、やばい、やばい、間に合ってっ!)

 浴衣をたくし上げてパンツを下ろす頃には、もう決壊が始まっていた。なんとか漏らす前に便器に腰を下ろす。と、同時に――


 ――私の体の中にある『不幸』が、まるで雪崩のように、排泄されていく――

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