人生経験VR
私がバッドエンドの物語が好きなのは、人生経験が乏しいからだということに最近気づいた。
私は異常だったのだ。
みんなが「ハッピーエンドじゃなきゃ好きじゃない」と言う中で、私はバッドエンドも大好きだったのだ。
切なかったり悲しかったり、嫌な気持ちにさせられたり押し潰されたりするバッドエンドを、まるで自分が現実の不条理を味わって成長するような想いで受け止め、それを人生の糧としたりしていた。
最後に悪が勝つような物語も好きで、『勝利するのがいつも正義だなんて甘すぎる現象は嘘っぱちだ』と自分を強くすることが出来たつもりになれていた。
しかし気づいた。
「バッドエンドが好きなんて異常でしょ」
「それは人生経験が乏しいからだよ」
「リアルでさんざんバッドな目に遭ってるのに、創作物の中でまで鬱になりたくないのが普通でしょ」
ネットでそう言われて、気づいた。
みんながバッドエンドをダメなものだと思い、ハッピーエンドしか認めないのは、人生経験が豊富だからということに。社会の荒波に揉まれ、人付き合いの嫌さの中で生きていたら、創作物でまで嫌な気持ちになどなりたくないのが普通なのだ。
私がそうでないのはつまり、人生経験が希薄だからだということに、気づいた。
私は人を避け、一人でひきこもるように生きてきた。ゆえに傷つくことが少なかった。
傷ついた人にしか分からないのだ! バッドエンドが物語において『短所』であるという思想は!
私が他人に対してマウントを取ったり、『ざまぁ』したりしたいとか思わないのは、『ざまぁ』したいリアルの相手に出会ってこなかったからだ!
そのことに気づかされ、私は病院に行った。もちろん自分の間違った『バッドエンド好き』を治療するためだ。
「そんな貴女にいいものがあります」
医者は言った。
「これで治療しなさい。これを貸し出してあげます」
それはVRゴーグルだった。よくあるやつだ。
「な……、なぜこれを?」
私は首を傾げながら、それを受け取った。
結構ずっしりと重たかった。
「小池千代子さん」
医者は私の名前をフルで呼ぶと、教えてくれた。
「このゴーグルにはゲームがひとつだけインストールされてあります。そのタイトルは『人生経験VR』。これをプレイすることで、貴女の足りない人生経験を補うことが出来るんです」
「なるほど!」
「このゲームをクリアする頃には貴女も立派な社会人になれていることでしょう」
「これで私も正しくバッドエンドが嫌いな人になれるんですね? やった!」
私はそのゴーグルをお借りして、喜びにウサギになりそうになる気持ちを必死に抑えながら、人混みの中を大人しく歩いて帰った。
『人生経験VR』の重々しいタイトル画面が終わると、私は新しい人生に突入した。
産まれてからしばらくの、幸福なんだかもどかしいんだかよくわからない新生児時代はスキップされ、私の人生は3歳から始まった。
両親に守られ、幼稚園の友達の中で置いてきぼりにされそうになりながらも付き従って遊び、まぁそのへんは自分のリアルな人生もそんなものだったので、適当に飛ばされた。
本格的なゲームが始まったのは中学二年生からだった。
リアルの私はそこでロックに感染し、ロック以外は音楽じゃないとか自分の殻にひきこもっていったのを、ゲームは正しく更生してくれた。
私はクラスのみんなが聴いてるような音楽を聴き、みんなと話題を同じくする、きちんと社会的な人になっていったのだった。
初恋は高校一年生の時だった。
かなり遅いとは思ったが、考えたらリアルでの初恋は23歳だったので、しかも相手がアニメの登場人物だったので、かなり修正されてるなと思い直した。
相手は女子人気の高いバスケ部の先輩で、私は勇気を出して告白した。リアルでは告白などしたことのなかった私だったが、ゲームの中だと思えば勇気が出せたのだ。
私はフラレた。
その場では優しく「ごめん」と言った先輩が、その後みんなに「ブス子が告ってきやがってよー」と言いふらしているのを知って、『ざまぁ』しようと思った。
頑張って綺麗になって、人気者になって見返してやろうと思ったが、物語の中のようにはうまく行かず、結局『ざまぁ』出来なかった。私は人生の厳しさを知った。なるほどこれが人生だったのかと知った。クソゲーだと思った。
勉強は、やった。リアルでは46歳なので一からやり直したら結構出来た。リアル高校生の時に学年最下位を取ったことのある自分とは思えないほどに成績がよくなった。
結構名のある企業に就職出来た。リアルでは派遣のアルバイトだったのが正社員になれた。なるほどこれが『勝ち組』というやつかと得意になったが、さらに上を見ればキリがないので思考停止することにした。
必死に業務をこなし、時間に追われた。毎日残業は当たり前で、帰りが23時を過ぎることも多かった。適当にアルバイトを終わらせてあとはのんびりゲームをして過ごしていたリアルが懐かしくなった。しかし今はこのゲームの中が私の人生だ。人生経験を積まねばなのだ。バッドエンドの物語が嫌いになるまではこの世界で揉まれねばならぬのだ。そんな思いでゴーグルを脱ぐことはしなかった。
だいぶん人生がわかってきた。人生とは苦行だったのだ。今までずっと人と関わらず、趣味にばっかりお金を使い、ほぼ子供のままで生きて来た私には知らなかったことばかりだった。
人と交際するのにお金を使うなんて目からウロコだった。上司からパワハラセクハラを受けて胃を痛めるなんて初めての経験だった。甘い言葉をかけて来たイケメンは結婚詐欺師だった。チヤホヤされたくて通い詰めたホストクラブで多額の借金が産まれた。友達だと思っていた同僚の女子が陰で私の悪口を言っているのを知った。横断歩道で歩行者が譲ってくれたので車を進ませたらおまわりさんに切符を切られた。
「こんなクソゲーやってられっか!」
会社のお金を使い込んでクビになったところで私はゴーグルを投げ捨てた。
自分の部屋が戻って来た。
久しぶりに見る自分のオタク部屋は、いい感じにだらしなく散らかっていて、自分の好きなもので溢れていた。
「ただいま……。みんな」
そう呟くと私は棚から一体、ヒーローアニメの登場人物のフィギュアを取り、抱きしめた。
そしてこの結末はハッピーエンドなのだろうか、それともバッドエンドなのだろうかと考えたが、すぐにどうでもよくなった。
これが私の送って来た、疑似体験ではない、私の人生なのだ。そう思うと、バッドエンドもハッピーエンドも、すべてが愛しいもののように思えていた。