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インコのぴーちゃん⑦

 アカネにとってこの一週間は辛かった。仁の幸せな所を見たいと思ってこの未来まで来たのだが、やはり彼の幸せなところを見ると胸がズキズキし、つい顔を伏せてしまう。当たり前だ。彼女にとってはつい数週間前まで旦那であり一番愛おしかった人が、急に違う女性と仲良くしているところを目の当たりにしているのだから。彼の幸せを受け入れられないのは凄く当然のことである。


 彼女は仁の新居を出て、実家に戻ることにした。彼の新居の場所がいまいち分からなかったため、ネコに実家まで連れて行ってもらえるか問う。ネコは二つ返事で了承した。


 言い方は悪いかもしれないがネコは便利だった。どこでも行きたいところに連れて行ってくれるし、愚痴は静かに聞いてくれ、決して自分の意見をアカネに押し付けることはしないから。アカネはネコのそんな優しさに少しばかり救われていた。


 実家の前に着くと、妹は2歳くらいの女の子と右手を繋ぎ合わせ家へ帰宅しているところだった。彼女のお腹は大きく膨らんでいた。


 - 結婚して、子供もいるのね…。


 妹の彼氏とはアカネは会ったことがなかった。その為、彼女の旦那と会いたい気持ちが少しばかり芽生えたのだが、それ以上に子どもを愛おしそうに見つめている妹に激しく動揺した。目に微かな痛みを感じるのに、やはり涙が出なくて辛い。ネコはそんなアカネに優しく寄り添っている。


 「あ~!にゃんにゃん!」妹の子どもがネコを指さし可愛らしく笑っている。だが、妹にはネコの姿は見えない。「どこ?どこ?」と子どもの指さす方を探す。


 「私ってこんな狭量な人間だったのね。知らなかった。妹にもこんなに嫉妬するなんて」


 笑顔で笑う姪っ子は、今のアカネにとって眩しすぎた。


 そして、ふとアカネはあることを思い立った。「まだ早いけどね…。次の一週間、決めたわ」アカネはネコに伝える。


 「また二週間消化するけどいいのかい?」


 「うん。最後にしたいことがあるの」


 「分かった。次の一週間はそこに行こう。そして、それで旅は終るよ?」


 アカネは頷いた。


 「最後の一週間は契約通り、喫茶店で過ごすからね。後悔はしないでよ」


 アカネは「もちろん」と小さく呟いた。





*****





 こうしてアカネとネコの旅は四週間で幕を閉じることになった。





*****





 六週間後に喫茶店に戻ってきたアカネは、初日の時よりも幾らか明るくなっており、石坂はホッと胸を撫で下ろす。どんな時を過ごしたのか、興味がないと言えば嘘になる。だが、問うのは不問だと今までの経験で感じていた。


 石坂はアカネを連れてネコと共にテラスへと移動する。テラスには沢山の草木や花々が茂っており、優しく風になびかれている。ここだけ時がゆっくり流れているようだった。まるで絵本の世界に迷い込んだようなこの光景をアカネは羨望の眼差しで見つめ、ほっと息を漏らす。


 「最後の一週間を残してもらったのは、アカネさんに人間にもう一度になって、後悔を残さず成仏して頂きたかったからです」


 「人間に?」


 「はい、左様です。私に憑依し、私を通して人間に戻るのです」


 「憑依したら何ができるのですか?」アカネは少し震える。石坂の本心を読み取ることができなかったから。


 「憑依をすると、私を介してですが…、普通の人間に戻ることができ、そのお姿でできなかったことができるようになります。例えば、ご飯を食べたり…、花の匂いをかいだり…、人に手紙を書いたり…、溜めていた涙を流したり…」


 アカネはじっと石坂を見つめる。


 「二つほど注意事項があるのですが、もし私に憑依しても、この喫茶店から出ることはできません。この喫茶店内でできることのみ、アカネさんは出来るようになります」


 「喫茶店内でできること…か」


 「調理したければ行っていただいて構いません。器具は分かりやすい場所に置いてますので。それから、最期に食べたいものなどあれば、おっしゃっていただければ、後日私が買い出しに行きますよ。あとは、電話だって使ってもらって構いません。ただし、この私の老人の声でしか話せませんが…」


 なんて魅力的な提案だろう。アカネの目に光が灯る。


 「ただ、もう一つの注意事項として…。憑依することは簡単なことではありません。私の体や精神状態に慣れるまで、基本、平均で皆さま5日ほどかかられます。それに、憑依を維持できる時間も人によってバラバラです」


 「一番短い人だと?」


 「一分も持ちません」


 「一番長い人だと?」


 「一時間持った方もいらっしゃいました」


 アカネは少し考えたが、どうせ一週間喫茶店に缶詰め状態なら、試してみよう、そう思った。


 アカネの決意を石坂は受け止め、説明する。


 「まずは、私の体から魂を見つけ出してください。そう、モノの魂に触れるときの要領で…」


 アカネは石坂の左腕に優しく触れる。白い靄が現れ、それをそっと掴みゆっくりと引っ張る。


 「次に、その魂につかまり、一緒に私の中に入り込むのです。そう、上手です…」


 アカネは石坂の左腕に現れた魂の塊に抱きつく。すると、石坂の中にグイっと引っ張られた。とたん、石坂の感情がアカネの脳内になだれ込んできた。幸福や喜び、そして悲しみや憎しみ…殺意。苦しくなり、吐き気を催す。そしてつい彼の魂から手を離してしまった。彼の中から弾き飛ばされるようにアカネは勢いよく放り出された。


 もし、生前の体であったなら吐いていただろう。とてつもない気持ち悪さと、石坂の負の感情が頭の中に渦巻き、立つこともままならない。


 「石坂さん…。あなた…」アカネは気持ち悪さを隠さず石坂をみる。ネコはテラスにあるテーブルに腰掛け、彼らの様子をじっと見ている。「こんなに辛い人生を送っていたの?」


 「あなたが私の感情を受け入れ、克服しなければ憑依はできません。続けますか?」石坂は座り込んでしまった小さな彼女に手を差し出す。


 「続けます…。でも、もう少しだけ休ませてください…」アカネは息を整える。「赤の他人に自分のことを見られるのって辛くはないの?」


 「あなたが後悔しない最期を迎えることの方がわたしには重要です」


 石坂の優しさが胸に沁みた。





*****





 五日後、彼女は無事彼に憑依をすることができた。今まで溜まっていた涙が滝のように流れる。


 「もっどいぎだがった…」


 まるで少女のようにわんわんと泣き叫ぶ老人は、きっと他人から見たら異様な光景だ。だが、ここには石坂とネコしかいない。周りを気にせず思う存分泣くことができた。溜まりに溜まっていたものがごっそり落ち、アカネはスッキリとする。


 そして、筆をとり、手紙を書くことにした。憑依できる時間はあとわずか。彼女は自分の限界が分かっていた。簡潔に、しかし、しっかりと伝わるように……。





*****





 こうしてネコと過ごす49日間は幕を閉じた。アカネは石坂とテラスのテーブル席に座る。ネコはアカネを包むように丸くなって寝ていた。空から降り注ぐ陽の光が彼らを優しく照らしていた。


 「この七週間の旅はいかがでしたか?」


 「足りなかった。もっとできることはあったと思うし、もっとしたいことはあった。でも、満足してる。ありがとう」


 「頂いた手紙はネコと一緒に責任をもって届けて参りますね」


 アカネは優しく笑う。その目には見間違いかもしれないが、わずかに光るものがあった。「ありがとう」


 そういう彼女を一筋の光輝が眩く照らす。そして、彼女は次第に輝く光の一部になって成仏していった。


 ネコはその光を眩しそうに眺める。石坂は手を合わせて、静かに彼女の空への旅立ちを祈っていた。

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