インコのぴーちゃん⑥
「ネコちゃん、独り言聞いてもらっても良い?」先ほどの喧騒と打って変わって、シンと静まり返った部屋でアカネはポツンと言葉をこぼす。この家の主たちは寝静まった。ネコはアカネの傍へ寄りかかる。体温を感じないネコの体に抱き着く。生前の記憶からふわりとした感触を思い出し、彼女は少し落ち着いた。ぴーちゃんもネコとは反対側のアカネのスペースに舞い降り、彼女に体を擦り付ける。そして、ぴーちゃんを優しく撫でながら、アカネは自分のことを話し始めた。
「私とひーくん…、仁はね、大学の時に知り合ったの。同じ学部でしかも履修していた授業がほとんど被っていたから、仲良くなるのにそう時間はかからなくて、付き合うのも自然な流れだったの。卒業まで、友人として、彼氏としてずっと一緒に過ごしていて…。だからね、お互い社会人になってすぐにプロポーズされたときは、正直なところ、嬉しいとか驚きとか全く感じなくて…。言葉にするのは難しいんだけど、学生時代の延長線のような、なんだかそれが当たり前のような、すっと受け入れられるものだったの」
ネコは顔をアカネの頭に擦り寄せ、撫でてやる。負けじとぴーちゃんもアカネの頭を撫でる。
「病気のことを知ったのはね、ブライダルチェックがきっかけだったの。結婚式あげるのに、ついでにしとくかーって、ホント軽いノリだったの」涙が出ないのがアカネにとって良かった。話をとぎらせず続けることができる。「もう、かなり進行してたの。ほとんど手のつけられない状態だった。何で今まで気づかなかったの!?って周りに怒られるくらい。でも、本当にその時まで自分は健康体だって信じて疑わなかったの…。
そこから私の生活は一変してね、毎日病院と家との往復で、薬が辛くなって、副作用も出てきて…。あんなに必死になって内定にまでこぎつけた会社も辞めないといけない状態になってしまって…。まるで地獄であがいているような、そんな辛い日々だった……。
両親はね、ひーくんに私との結婚を辞めるように、再度しっかりと考えるように説得したの。私だって破談にしてって頼んだの…辛かったけど、将来の見通せない私といてもひーくんの足かせになるだけだからって…。それにね、誰も言わなくても分かるんだもの。雰囲気で。自分の余命があと数年、いや数ヶ月しかないところまで病気が進行しているって…」
ネコは何も言わない。アカネは顔を上げて背丈を大きくし、書斎からでた。ぴーちゃんも後に続く。
「でも、ひーくんは私と結婚するって聞かなかったの…。それでも一緒にいたいって、私無しの日々なんて考えられないって……。馬鹿だよ、ホント。大馬鹿もんだよ…。
赤ちゃんもね、もしできても月が満ちる前に先に私が死んじゃう可能性の方が高いから、できないって言われたときは本当に死のうと思った…。でもひーくんは笑ってて…、できなくても良い、私がいてくれたらそれで良いって言ってくれて……。そして、新しい家族って言ってぴーちゃんを私にプレゼントしてくれたのよ?
こんなに愛されてるなんてその時初めて知ったの。私幸せ者だった……気づくの遅いよね。私の方が大バカ者」
アカネは二人の寝室の前に立ちすくむ。中に入る勇気はない。もう、彼の寝顔も、笑顔も、涙も、全てアカネのものではない。
「それからは、皆んな何も言わないけど、死に向かってのカウントダウンの日々だった。しんどさも、体の痛さも日々日々増すんだもん。黙ってたって、分かるよ。誰でも……。ただね、ひーくんだけは大真面目に私のことを信じてくれてたの。絶対治るって…。癌はもう完治する時代なんだから大丈夫だって、何度も何度も私に言い聞かせてくれて。入院しても、一人だけ永遠と明るい未来があるって信じて疑わなかったの。ホント嬉しかった。でも辛かったの…。バカみたいな明るさが辛かった…」
アカネは振り返りぴーちゃんを抱きしめる。
「でも、本当は…。口にしなかったけど、私だってひーくんの赤ちゃんが欲しかったの…。それで死んだって良かった…。母になる喜びを知りたかったし、私が死んだ後、彼を一人にしたくなかった…。周りからみたらそれは我が儘だったのかしら」
アカネはそっとリビングを後にし、玄関へと向かった。ぴーちゃんは後ろについてくる。その様子をネコは後ろから見守っていた。
「本当は、再婚におめでとうって言わなきゃいけないの分かってる!でも、どうしても受け入れられないの!何で私はこんなに我慢して、こんなに辛い思いをしたのに、あの女の人はひーくんの隣にいられるの!?赤ちゃんを授かれるの!?」きっと涙が出る体であったなら、泣き崩れていただろう。アカネは声を荒げる。「ずるいよ!ひーくんも、あの女の人も皆憎いよ!何でなんで私ばっかりこんな思いをしないといけないの!こんな思いするくらいなら、病気だと知らずに、ポックリ死んじゃうほうがマシだったよ!」自分の声の大きさに驚き、アカネは苦笑した。「でも、ひーくんのことを素直に祝えない私が一番憎い。おかしいかしら?」
ネコは横にクビを振った。「辛いならここから逃げ出そう。もう、辛い思いをする必要はないんだから」
アカネはぴーちゃんを再度撫でてやった。「ごめんね」と呟いた彼女に、にぴーちゃんは体を寄せて「ダイスダイスキ。アイシテル」と小さく鳴いた。