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人間を辞めたい③

 「りょうちゃん、こっちよこっち」


 次の日、早速仕事帰りにどうぶつ病院に来たりょうは、あの日助けてくれた女性と病院前で再会した。

 「昨日はありがとうございました」

 深くお辞儀をして感謝を述べるりょうに、手を振って「そんなの大丈夫よ~」と軽やかに答える女性。 

 「そんなかしこまらないで。それより、明日からはこっちの裏口から入ってね。ここにチャイムがあるから…。ちょっと~!太陽~、太陽~」

 そしてりょうの手を引き、彼女が案内したのは病院の裏口。そこのボタンを押して、インターフォン越しに息子の名前を呼ぶ。

 「こんにちは」

 裏口の扉が開き、中から東高の制服を着た男の子が現れた。

 ワン ワン ワン

 中から犬の歓迎の声が聞こえてくる。


 「こ、こんにちは…」


 裏口から爽やかな笑顔を浮かべて出てきた好青年風の男の子。この男の子が、蓼原たではら太陽。彼の第一印象はいいとこのお坊ちゃんって感じだった。


 「りょうちゃん、息子の太陽よ。太陽、子猫ちゃんのお世話をしてくれる、りょうちゃん」

 「初めまして」

 「はじめ…まして…」

 

 太陽とりょうの二人の初々しい出会い。それを太陽の母は微笑ましく見ていた。


 「さ、太陽!さっそくりょうちゃんに子猫ちゃんたちの世話を教えてあげて!」


*****


 「ミルクは、人肌に温めたお湯でこの粉を溶かして…」

 太陽の指示の通りにミルクを作る。

 「猫ちゃんは仰向けにせず、腹ばいにして。そう!それで哺乳瓶を近づけて…」

 見よう見まねで、りょうは子猫へと哺乳瓶を近づける、


 ゴキュゴキュ


 勢いよく哺乳瓶に食らいつきミルクを飲み始める子猫ちゃん。

 

 生きてる


 可愛いだとか、癒されるなんてそんな陳腐な言葉より、ただただこの小さな生き物が懸命に生きようとしている姿に感動を覚えた。温かい気持ちが胸を支配する。りょうはこんな感情を今まで感じたことがなかった。自分の手のひらに小さな命が生きている。胸が高鳴る。この命を守りたい。りょうは心の底からそう感じた。


 そしてこの日から、この子猫ちゃんたちのお世話を太陽とりょうと二人三脚で行うようになったのだった。


 りょうの一日は少しタイトなスケジュールに変わった。

 普段、平日は朝から夕方まで仕事。その後、今までは一旦着替えに家に帰っていたのだが、今では学校が始まるまでの間、子猫ちゃんの世話をするために太陽のお家へ向かう。そして学校の始業ギリギリまでお世話をして、服を着替えることなく学校へ一目散へ向かうようになった。


 『見て、この子。りょうちゃんの指をずっと吸ってる。ママだって思っているのかも』


 子猫ちゃんたちはりょうがミルクを上げる度に、いつも哺乳瓶ではなくりょうの指をチュウチュウ吸う。その姿を見てこぼした太陽の言葉に少しこそばゆい思いをするりょう。例え一日中お世話ができなくても、りょうのことを母親だと思ってくれていることが、とてつもなく嬉しかった。


 一方で休日は少し勝手が違った。部活動をしている太陽のスケジュールに合わせる必要があったからである。太陽が家にいない日は、彼の家に伺うことが残念ながらできなかった。代わりに、病院に在中している先生たちが子猫ちゃんたちの世話をしてくれる、とのこと。だから太陽の家に行けない日は、りょうは子猫ちゃんたちの治療費を稼ぐために、休日は他の工場の日雇いの仕事をするようになった。

 なぜ、治療費を稼ごうとりょうが思ったのかというと、それは少し前に時間を遡る必要がある。それは、りょうが蓼原どうぶつ病院に子猫ちゃんたちを預けた次の日のこと。


 『あの子猫ちゃんたちどうなったの?』

 そう、仕事場で興味本位で聞いてきたおばちゃんに『ボランティアさんに引き継ぐまでの間、体調の管理を含めて病院で面倒を見て頂けることになったんです』と簡単に説明したりょう。喜びをかみしめながらそう伝えるりょうに、おばちゃんは衝撃の言葉を続けてきたのだった。

 『あら、病院で容態が安定するまで見てくれるの?ありがたいけれど、とても金額張りそうね。だって、一日預けるだけでも数千円から数万円くらい、簡単に飛んでいっちゃうでしょ?』

 『え??』

 りょうにとっては寝耳に水のことだった。

 蓼原どうぶつ病院からは、特に何も治療費のことについて言われなかったし、請求されたこともない。だから思いもよらなかったのだ。子猫ちゃんたちが病院にいる間毎日その治療費や経過費にお金がかかっている、ということを。しかもその金額はりょうが想像していたよりもずっとずっと高いものだった。

 だからりょうは、今まで以上に一所懸命に働いて、仕事も増やして、節約も思いつく限り全てやることにした。人の手助けをあたり前だと思わないように。自分の我儘を聞いてもらっているのだから、せめてお金だけでもちゃんと支払おう、と心に決めて。

 こうしてコツコツと頑張ってお金を貯めていたのだ。泥や土で汚れてしまった小銭やお札を茶色い封筒に入れて本棚の奥深くにしまう。


 - 猫ちゃんたちとお別れする時に、その時に絶対に先生に渡すんだ。今までありがとうって感謝をして、足りないお金は何年かかっても、絶対に全額を支払うって約束して…。そして胸を張って新しい飼い主さんに子猫ちゃんたちを送り出してやるんだ!


 日々少しずつ貯まっていくそのお金にりょうは嬉しさを噛みしめながらも、毎度のごとくそう心に誓っていた。




 毎日がせわしなく過ぎた。だけど、全く苦ではなかった。

 子猫ちゃんたちの目が開かれたときに、子猫ちゃんたちが歩き出したときに、子猫ちゃんたちの体重をはかるたびに、りょうは喜びを感じていたから。彼らの成長が早いことに少し寂しさを感じてはいたものの、それ以上に嬉しかった。


 このまま何事もなく成長してほしい。りょうは毎日寝る前にそう祈りながら眠りにつくのがここ最近の習慣となった。


 だけど…そんな願いとは裏腹に、子猫ちゃんたちを保護して一か月が経った時。その日は突然に訪れたのである。



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