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ニンゲンになりたい⑦


 次の日から早速ニャンタたちは行動を開始することにした。

 「OK。ニャンタ、今ならいいぞ!」

 周りにニンゲンがいないか入念に確認をとるネコ。そしてその掛け声とともにニャンタはぎゅーっと背伸びをして、タイヨウのお友達のリョウ君へと化ける。そしていつもの花が供えられている地面に腰をかけた。

 「ニャンタ、ダメだよ、その座り方は。今はネコの姿じゃないんだから」

 ネコにパチンと優しく膝を叩かれ、注意を受ける。


 - そんなこと言われてもこの格好が一番楽なんだけど…

 

 心の中で悪態はつくものの、ネコの注意を聞き入れることにしたニャンタ。しぶしぶ香箱座りをやめて、ママが帰ってくるまで立って待つことにした。


*****


 「あ、帰ってきたよ!!」


 遠くの人影を指さして、ネコはニャンタに合図を送る。

 それにしても、なんてニンゲンの体って不便なのだろうか。

 足音などの小さな音なんて殆ど聞こえないし、体はとても重たくて、少し動くだけでもかなりの重労働である。

 目を細めて、遠くに見える物体を確認する。


 - あ、ママだ!


 少しぼやけてはいるものの、ようやく自身の瞳の中にママの姿をとらえた。小走りでこちらへ向かってきている。どうやら少し急いでいる様子。


 「あの…」

 あ、ママがこんな近くに来た!しかも話しかけてくれてる!

 けれどママの声は心なしか冷たいもの。なんだろう?何か怒っているみたいだけど…。声を出そうとする。が、思い出す。ボクはニンゲンの言葉を話せない、ということに。『どうしたの?』ただこれだけを聞きたいだけ…。にも関わらず、このニンゲンの口から出てきたのはヒュっという空気音だけ。しょうがないので、首をかしげ、どうしたの?と体全体でアピールしてみることにした。

 「そこの花、見えませんか?」ママはそう言って、ニャンタが立っている地面を指さす。

 「あ、ニャンタ!花を踏みつぶしてる!少し左の方によれ!」

 ネコの声が下から聞こえてきた。ニャンタはその声に従って転ばないように、恐る恐る足を左へと移動させていく。

 ああ。なんてニンゲンの足はなんて重いんだ…。動きずらいったらありゃしない…。

 「ありがとうございます。でも、今度からは気を付けてください」

 ママは少しとげのある言い方でそう感謝を述べて、今日はピンク色の花をいつもと同じように地面に静かに置いて、手を合わせ始めた。

 『何してるの?』

 ニャンタはネコに目で合図を送る。

 「お祈りしてるんだよ。きっとあそこでニャンタ息を引き取っていたんじゃないかな?死んだ魂がお空にいけるように、ニンゲンはよくああやって祈ってる。」


 - 僕はここにいるのにお祈りなんかするんだ…。変なの~

 

 なんだだかなぁ、そう思いながらぼんやりとお祈りを続けている女の子を見つめるニャンタ。


 「私に何か用でも?」お祈りをやめることなく、地面へと視線を向けたまま、ママはボクにそう聞いてくる。「その制服って、確か東高のですよね。もしかしてタイヨ…、タデハラ君に何か言われて、私のところに…?」


 その言葉に大きく首を横に振る。

 - だれ?タデハラくんて?

 「えっ、あっ…。ごめんなさい。私の勘違いです。すいません」女の子は立ち上がり、ニャンタに向かって一度ペコリとお辞儀をしてきた。「で、何か私に用があるんですか?」再度問いかけてくる。

 「……」

 ニャンタはどうにかして自分の存在を女の子に伝えようと試みた。『ニャ・ン・タ』と大きく口を開けて、自分を指さして見せる。

 「?」

 でも、女の子にとっては、口をパクパクさせたまま何も言葉を発さない見ず知らずの不思議な男の子である。そんな不審な行動をする男の子に、女の子は少し怪訝な顔を浮かべ、「では、私、急ぎますので」とアパートの方へ早歩きで去っていってしまった。


 ニャンタはどうすることもできなかった。今のニャンタは魂の姿ではないから、女の子の後を追いかけて、一緒にその部屋の中へと入ることはできない。だから、ただ部屋へと吸い込まれていく女の子の後ろ姿を眺めているだけ。

 何もできなかったニャンタ。自身の体がニンゲンから、ネコの魂の姿に戻るまでの約一時間もの間、花が供えられている地面の片隅から、ずっとずっと女の子のアパートを見つめることしかできないでいたのだった。



 「ねぇ、ニャンタ?」それはネコからの提案。ニャンタはニンゲンに化けれたことに喜んでいるあまり、すっかりそのことを忘れていたから、ネコは再度そのことを聞いてみることにしたのだ。「ニンゲンには〝話す〟以外にもコミュニケーションをとる方法がもう一つあるって昨日センニンに言われただろう?。ニンゲンの〝文字〟を学んでみないか?」

 「文字?」

 「この際、〝絵〟なんかでもいい。自分の気持ちを具象化するんだ。そうすれば、きっと女の子と〝会話〟することができる。時間はたっぷりあるんだ。ダメ元でやってみないか?」




 その翌日からニャンタの一日の生活はガラリと変わった。


 朝、工場でママが働いている足元で、ネコにニンゲンの〝文字〟という名の絵を教えてもらう。

 仕事が終わりママが着替え始めたころ、ボクは先にアパートへと戻り、花が供えられているいつもの場所でリョウという名の男の子の姿に化けて、ママの帰りを待った。ママとニンゲンの姿で会った後は、ママが部屋に入ったのを確認して、周りに他のニンゲンがいないことを何度も確かめた後、ネコの姿に戻ってお部屋の前でママが再びドアを開けてくれるのを待つ。一緒に夜間の学校にも行ったし、ママが帰宅し夢の中へ旅立つまで、ずっと枕元でママに話しかけていた。届くことはないけれど、『大好きだよ』って。

 ママが夢の中へ旅立ったのを確認すると、今度はタイヨウのお家へと向かう。残りの時間を使ってニンゲンに化け、センニンと一緒に再び〝文字〟を書く練習。〝ペン〟という魔法の道具で白い紙にたくさん文字を書いた。

 でも、トウサンとカアサンがいつ起きるか気が気でなかったから、二人がニャンタのところへ来るとすぐに魂の姿に戻れるように、ネコに彼らの様子を見張ってもらっていた。

 元ネコのニャンタにとって、魔法の道具は持つのでさえ大変な苦労だった。それに加え、〝文字〟も複雑で難しい。だからニャンタの書く〝文字〟はネコやセンニンのお手本に比べて、いつも単なる落書きにしか見えない汚い汚いモノ。全くもってママにも、誰にも見せられる代物では到底ない。

 

 未だ〝文字〟を操ることができないでいたニャンタはその後もママと毎日顔を合わても、会話をすることも、思いを伝えることもできないでいた。ただ、ママの帰りを黙って待って、彼女のお祈りを黙ってみて、家に帰っていく様子を黙って見守っているだけ。

 でもそんな異常なニャンタの存在にママの方が黙っていなかった。今になって反省している。そりゃあ知らないヒトに毎日アパートの前で待ち伏せされ、しかも目的を一切口にしないのだから。それはそれは恐怖しか感じない日々を送っていたのだろう。


 ママ、あの時は怖がらせてしまって、本当にゴメンね。


 「ねぇ、何で毎日私の家の前にいるわけ?」

 「名前くらい教えてよ」

 「何なの?毎日毎日。やっぱりタデハラくんに言われて、私を見に来ているんじゃないの?」


 ママはニャンタと顔を合わせると、怒ることが増えた。そんな顔ママには似合わない。


 だから数日後、まだまだ下手っぴだったけど、ニャンタは意を決して学んだ文字を地面に書いてみることにした。


 〝ニャンタ〟と自身の名前を。 


 その文字に首を傾げるママ。ニャンタは少し恥ずかしかった。だってママは、「え、え?ニカ?ニカ?」と困惑するばかりで、ニャンタの書いた〝文字〟を理解してくれることはなかったから。やっぱりニャンタの文字はまだヒトに見せられる代物ではなかったのだ。


 だけど、ニャンタの勇気は無駄ではなかった。


 その日からママはニャンタを見かけても嫌な顔をしなくなり、代わりにニャンタに色んなことを教えてくれるようになった。自分の境遇も含めて。本当にいろんなことを。

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