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インコのぴーちゃん③

 ネコが降り立った先にアカネは驚く。それは、喫茶店の床ではなく、『大槻』と表札がかけられた彼女の家の前だったからだ。


 「懐かしい…」アカネは少し笑みを浮かべて呟いた。


 「ここで問題ない?」アカネは静かに頷く。「それじゃあ、まずは中に入ろっか。久々の我が家を堪能したくない?」ネコは怪しげに微笑む。


 「でも…、どうやって入るの?」アカネは家の玄関を見ながらそう尋ねる。今の彼女の背丈はネコと同じであるため、ドアのノブまで手は届かない。それに、今家の鍵どころか何も持っていないのだ。「鍵がないし、それに私こんなに小さいのよ?例えドアに鍵がかかっていなかったとしても入れないわ」


 「あー…。それなら元に戻れば良いよ」


 「戻る?」アカネは首を傾げる。


 「お腹に力を入れて、ぐーって伸びをするの。一時的だけど元の体の大きさに戻れるよ」ネコはアカネを背中から降ろす。「モノにも魂がそれぞれ宿っているの。背丈を戻したら、普通にドアノブをひねってごらん。ドアの魂に触れることができるから」


 アカネは言われた通りにお腹に力を込めて腕を伸ばし、背中から伸びる。ゆっくりとではあったが、確かにもとの背丈に戻った。「すごい…」感動で言葉が零れ落ちた。そして、目の前のドアノブに手をかけそれを回す。すると、目の前のものとは別に白い影のようなドアが浮き出てきて、それが自分の手と触れ合った。鍵がかかってあるだろう扉は勢いよく開かれ、家の中の様子が確認できた。入れるようになったのだ。


 アカネは自分の手とドアを交互に見て息をのむ。本当に自分が霊体になったのだと実感した。


 「さ、入ろう」ネコの声で我に返り、共に懐かしい我が家へと足を踏み入れる。左の玄関棚には、昔旦那と沖縄に行った際に購入したシーサーが笑顔で並んでおり、その隣の花瓶には無惨にも枯れてしまっている黄色い花々が生けてあった。アカネは胸が締め付けられ、目線を視線に落とす。だんだんと床との距離が近くなっていった。気が付くとネコと同じ背丈に戻っていた。


 「ごめんね」ネコはそう呟くアカネを後ろから見守っている。「ねぇ、私って死んで幽霊になったの?」


 「魂の姿に戻っただけよ」ネコは首を横に振りながら石坂と同じことを呟く。


 「そっか。幽霊でもないなら、私の姿は誰にも見えないのね」アカネは寂しそうに微笑んで、奥へと歩みを進める。


 「そうでもないよ」ネコはアカネの横に並ぶ。「人間の子どもとか、動物とかは魂を感じ取ったり、その姿を見ることができるものが多いよ。中には会話することができるのだっているの。特にね、愛情がたっぷり注がれた愛玩動物は…」


 ネコの説明を遮るように遠くから別の、懐かしいあのが聞こえた。


 「オカエリ!オカエリ!タダイマ、ピーチャン、アーチャン!」


 その声を聞いてアカネは目を見開いた。まさか、そう思って奥へと駆けていく。


 「ぴーちゃん!私だよ!アカネだよ!ただいま、ぴーちゃん!!」






*****





 アカネは笑顔でその声の主の方まで走り寄っていく。ネコもそれに続いて彼女を追いかける。


 「オカエリピーチャン!タダイマアーチャン!」バタバタと何やら騒がしく大きな音をさせながら鳴く声が静まった家全体に響き渡る。


 アカネとネコが奥のリビングへと足を踏み入れた時、綺麗な黄緑色をしたインコがケージの中ではちきれんばかりに羽をばたつかせ、暴れていた。インコより幾分も大きなケージは、カーテンの隙間から零れる微かな陽の光で照らされている。ネコは無言でアカネを自分の背中に乗せて、インコの下までぴょーんとジャンプする。そしてケージの前でアカネを降ろしてやる。


 「ぴーちゃん、ぴーちゃん」アカネは涙声でケージの外からそのインコを抱きしめる。「ごめんね、ごめんね」声は震えているのに、やはりアカネの目からは涙はでなかった。そして、ふと彼女は思い出したようにそのインコを背中にむけ、手を広げネコに威嚇する。「私の大事な家族なの。食べないでね」


 ネコは笑いを噛み殺しながら答える。「食べないよ」


 それから暫くの間、アカネはインコのぴーちゃんと話していた。今までの空白の時間を埋めるように…。どんなに病院が退屈だったか、どんなに今までしんどく、辛く、痛かったか、そしてどんなにぴーちゃんに会えなくて寂しかったか……。インコが彼女の言葉を理解しているのかは分からない。でも、アカネと片時も離れず、ただずっと静かに彼女に寄り添っていた。


 「私ね、死ぬ前に家に帰れたの。実家の方だったんだけど…。ぴーちゃんとは入院してから全然会えなかったもんね。寂しかったよね。本当ごめんね」


 彼女の話が終わったころにはすっかり家の中は茜色に包まれていた。彼女の長い話の間、インコは広いゲージにも関わらずアカネのいる隅っこに体を挟め、彼女とずっと触れ合っていた。


 異変を感じたのは部屋が暗闇に包まれてからしばらくしてからだった。待てど暮らせど、この家のあるじが帰ってくる気配がしない。ぴーちゃんの餌箱をみる。ご飯が尽きかけていた。


 「私ってモノを動かせたりする?」遠くの方で丸くなってアカネとインコを見守っているネコにすがる気持ちで問う。


 「魂とは触れ合えるけど、実際のモノに触れることは鍛錬を積まないと厳しいね」ネコは肩をすくめる。「なんでそんなことを聞くの?」


 「ぴーちゃんのご飯が尽きかけているの。このままじゃ餓死してしまう。代わりにネコさんがご飯を用意してはくれない?」アカネは潤んだ声で必死に乞う。


 「それはできない。そのままその子が亡くなるなら、それはその子の寿命。アカネが抗ったとしても、モノを動かせるようになったころには、きっともうその子の命は尽きてるよ」ネコは淡々と現実をつきつける。


 アカネの顔はみるみる青白くなっていった。「どうしよう」呟いた声は闇に溶け込み、アカネとネコの間には気まずい空気が流れた。




 だが、アカネの気苦労もすぐに終わった。一晩中冷蔵庫からご飯を取り出そうと頑張っていたアカネの後ろから見慣れないふくよかな腕が伸びてきた。既に朝日で部屋の中はほんのりと照らされていた。彼女は振り返り、その腕の主を確認する。そこには、優しそうな50代くらいの女性がいた。彼女は慣れた手つきで冷蔵庫からぴーちゃんのご飯を取り出し、インコに食事とお水を与える。そして、ケージの中の掃除を始めた。


 「誰?」


 「さぁ、家政婦とかではないの?」ネコはいつの間にかアカネの隣にいた。


 アカネはそっと胸をなでおろす。「良かった…」


 それから数日彼女はインコのケージの中へ入り、一日中共に過ごした。家政婦は朝と夜にやってくるようだった。アカネと共にいるぴーちゃんは静かに過ごしている。家政婦のおばさんはそんなぴーちゃんを怪訝な顔をしてお世話をしていたが、ぴーちゃんの顔は心なしか幸福に満ちていた。


 


 そしてついに、この一週間一度もこの家の主が顔を出すことはなかった。

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