ニンゲンになりたい②
「ママに会いに行く」
何とかしてニャンタの理解を得たネコは、現世と同じ刻の、子ネコが羨望しているとあるアパートの敷地前へと飛んだ。
「ママをここで待つ」
そう言ってニャンタはアパートの敷地の端に不自然に数本のお花が供えられている場所にちょこんと座る。ネコも同じようにニャンタの横に腰かける。
「ママってもしかして、ニンゲンなの?」
ネコは死者に対して虫を供えることはあっても、花を供えることはない。
「そうだよ、すっごい可愛いんだ!あったかいし、いいにおいだってするの!だけど、たまにお顔をケガしているんだ…。ボク、何もできないから、いっつもそこを舐めてあげていたんだよ…」
「そっか…」
ネコは何とも言えない複雑な気持ちになった。これだけ長い間ニンゲンの霊虫獣としてニンゲンと共に行動していると、なぜニンゲンが顔にケガなんてするのか…。嫌な心当たりを含め、いくつか思い当たることが頭を過ったからである。
「だからボクがね、ニンゲンになってママとお散歩するんだ!もうお顔ぶつけてケガしないように、正しい歩き方を教えてあげるの!」
「だから、ニンゲンにはなれな…」
目を輝かせてニンゲンへの生まれ変わりを信じている子ネコ。再度訂正を試みるも、「あ、ママが来た!」と言葉を遮られる。尻尾をピンと立てて、遠くに見える女の子をニャンタは指さす。「あの子!かわいいでしょ?」
正直遠すぎて顔なんて見えなかった。
「ママ!ボクだよ!ほらほら!」
ニャンタはにゃおにゃお鳴きだした。声は届くことはない、とさっきも説明したのにも関わらず、やはり理解していないようだ。
「ママ!ママ!」
ニャンタの目の前で女の子は腰をかかげた。そして手に持っている一本の白い花を地面へと静かに置いて手を合わせ始める。
「ママ!ママ!」
ニャンタの声は女の子には届かない。
その女の子は涙を流していた。
「ごめんね、ごめんね」
まるで目の前のニャンタに向かって何度も何度も懺悔するように。
*****
「なんで?何でボクには見えているのに、ママにはボクの声も、姿も見えていないの?」女の子がトボトボと立ち去った後、ニャンタはネコに威嚇しながらそう問いかける。「これじゃあボクはママを守れない!」
「喫茶店をでるときにも説明したろ?キミ…、あ、ニャンタはもう肉体はなく、今はただの魂の存在」
「???どういうこと?もっと分かるように教えてよ!ボクはいつものように家から抜け出して、ここでずっとママを待っていただけだよ?それが一体なんでそんなことになるの!?」
「だから何度も言っているように…、ニャンタはこの世で一度命を落としているんだ」
「分からないよ、ボクがいつ命を落としたっていうのさ!それに、ボクが死んだっていうのなら、なんでボクはまたここに帰ってこれたのさ!」
「だからね、今は死後の世界に行く前の成仏する間の旅の期間で…」
「死後?ボクはまだ死んでない!まだ死んでないよ!」
自分の境遇をなかなか信じてくれないニャンタにネコはもう何も言わなかった。言えなかった。
でもそれがニャンタにとっては疑念が確信に変わる瞬間だった。
無言を貫くネコに、「本当に?」と寂し気に問いかける。ネコは静かに頷いた。
「ねぇ、ママもね、ママも…。ママもずっと死にたいって言ってたの。なら、ママもボクと一緒でもうすぐタマシイになるの?そうすればもう一度会える?もう一度抱きしめてもらえる?」
ネコは混乱し始めた。ニャンタの話す言葉には情報が多すぎる。
「まずね、魂同士は共鳴しないんだ。だからニャンタのママがもしこの世を去ったとしたら、その時点からニャンタはママに会えなくなる。ニャンタがこの七週間、ママと一緒に過ごしたいなら、何とかして死ぬのを阻止しないと…。ねぇ、もし覚えているなら、喫茶店に来る前のニャンタの最期の記憶を教えてよ」
「ボ、ク?ボクはただいつものようにママを待ってて…。その時、男の人が『お腹すいたろ?』ってご飯くれたの」
新しい登場人物。でもネコは何となくそれだけで理解した。ご飯を食べたのが最期の記憶ならそこにきっと毒物が……。
「いつもその人ご飯くれるんだよ?ご飯食べたことがダメだったの?」
涙声でネコに問いかけるニャンタ。ネコはその切ない声に胸が抉られる思いがした。
「貰ったものを食べただけだよ!死ぬなんて思ってない!ママともうお話できないなんて、ママにもう抱きしめてもらうことができないだなんて…。そんなの知らない!聞いてない!」
にゃんにゃん鳴くニャンタに心が締め付けられる。ニャンタはきっと数人の人間としか接したことがないのだろう。だから知らないんだ。悪いニンゲンだっているってことを。
「それにね…。ボクね、前に皆に教えてもらったんだよ?死んだら生まれ変われるって。ねぇ、ボクをニンゲンに生まれ変わらせてよ。ボク、ママの笑顔を見るまでは、ママとお別れなんてできないよ…」
ネコは魂の姿のニャンタをただ舐めてやるフリをすることしかできなかった。




