ニンゲンになりたい①
石坂は困り果てていた。なぜなら今までこんなことはなかったから。いつもの儀式の後、ロウソクの火を消したと共に白い靄から現れたのはニンゲンの魂ではなく、なんと子ネコの魂の存在であったのだった。
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「私の声は分かりますですしょうか?」
恐る恐る石坂は目の前の子ネコに問いかける。だが子ネコはにゃおと可愛らしく鳴いて、目の前にちょこんと行儀よく座ったまま。石坂は店の奥へと視線を送り、テーブル席の上で寝そべっているネコに助けを求める。この魂とは意思疎通とることができないから、何とかしてネコ同志で会話してもらおう、と。だが、ネコはそんな石坂の焦りなんて気にもせず、大きなあくびを一つして、ゆっくり体を伸ばしたかと思うと、再度そのまま夢の中へ戻ってしまう。
「私の言った契約のことは理解されておられるのでしょうか?」
再度呼吸を整えて石坂は子ネコの魂に問う。追善人としての一番の重要ポイントはここなのだ。ここさえ理解してくれさえいれば、別に意思疎通ができなくても問題ない。6週間、あの奥で寝ているネコと一緒に旅に出て、最後の1週間、ちゃんとここの喫茶店に戻ってくれさえすればそれでなんら差し支えはないのだ。ただ正直言うと、ドウブツの魂が成仏するまでに残されている時間の長さは、ニンゲンの過ごす刻と同等の長さかどうかということは、石坂も知らない未知の領域なのである。しかしながら、もう今目の前にいるこの子ネコは、ニンゲン専用の追善人である石坂は契約してしまった。だから例えイレギュラーな事態だとしても、この子ネコの最期の7週間を見届ける義務が石坂にはある。
- そういえば、昨今は動物の鳴き声アプリなんてものもあったな…
手を顎に当てて考える。それを使えばこの魂と会話はできるだろうか?
目の前に座っている子ネコに再度視線を戻す。まだ幼さが残ったお目目のクリクリした可愛らしい子ネコだ。行儀がいいし、ニンゲンを怖がりもしない。ただ一点。この子ネコは今の状況が理解できていないのだろう。助けを求めるように、ウルウルした瞳でじっと石坂を見つめている。
ああ、困った。ニンゲン以外の生物の成仏の場に立ち会ったことなんて一度もない。どう扱ってよいのか石坂は再度頭を抱える。
「にゃあ」
甲高い子ネコの声だけが喫茶店に響いていた。
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「来るとこ間違えたんじゃない?」
ネコはだるそうに再度ぐーっと伸びをして、目の前の子ネコの魂のもとへと近づいていく。本当はもう少し様子を見ようと思っていたのだが、思っていたよりも長く頭を抱えている石坂を見かねて、助け船を出してやることにしたのだ。
- ま、他種同士は意思疎通難しいからな。
それにしてもなぜ子ネコの魂がここに迷い込んできたのだろう?ネコにとっても長い年月の中で、初めての出来事だった。石坂はニンゲン専門の追善人。だから丁寧な儀式(※葬式のこと)をあげたニンゲン以外ここに来ることはできないはずなのに…。
「間違えたって何が?」
目の前の子ネコは首をかしげる。本当に何も分かってないみたいだ。
「ここは生前と死後の世界の間だよ。今から49日、つまり7週間、ボクと一緒に旅に出るんだ。でもそれはニンゲンの時間で…ネコに残された本当の時間は…」
「ボクはニンゲンになれるの?」
言葉を遮り、勝手に話をしだす子ネコ。ネコはため息をついて子ネコの頭をポンっと右足で優しく叩く。
「最後まで聞いて?まずね、ネコが成仏するまでに必要な旅の時間は49時間。ニンゲンと全然時間の長さが違うんだ。だけど、キミはあそこの石坂っていうニンゲン専門の追善人と契約してしまったから、ニンゲンの魂と同じ時間を過ごして成仏しないといけない。ここまでは理解した?」
「よく分からないよ…。つまり、7週間後、ボクはニンゲンになれるの?」
「ネコはネコだもの。ニンゲンにはなれないよ」ため息をつく。「7週間後、キミの魂は成仏して、お空に行くんだよ」
「成仏ってなに?」
「生きてきた世に別れを告げて、空に還るんだ。未練を残さないために、今から一緒にこの世と同じ刻か先の世を旅するんだよ」
その言葉を聞いた途端、子ネコの態度が急変した。毛を逆立てて、牙をむき出しにして、フーフー怒り出す。でもネコは怖くなかった。だってまだまだ子ネコだったし、この魂が自分自身を傷つけることができないとネコは知っていたからだ。
「ボクは助けに行くんだ。ママを…。ママの笑顔を取り返しに行くんだ」
きっとこの子ネコは自分が死んだという自覚がないのだろう。面倒だな。
「もうキミは肉体のない魂の存在。どれだけ怒っても、どれだけ嘆いても、もう時は戻らないし、今のキミはどうすることもできないんだよ」
「キミじゃない!ニャンタ!ママがくれた大事な名前なんだから!」
この子ネコの怒るタイミングがいまいちネコにはつかめない。でも、しょうがない。石坂が既に契約してしまったのだから、自分はこの子ネコの魂と旅に出なければならないのだ。
「一緒に旅にでかけれる期間は6週間。現世と同じ時間を過ごすのならば同じ刻を、先の世を過ごすならその倍の刻が必要。肉体がないから、ママを助けることは叶わないけれど、ママに会いにはいけるよ」
言葉を選びながら再度説明するネコ。その声にニャンタは下を向く。
「ママに…。ママに…もう一度会いたい…」
ずっとずっと泣いているニャンタに、ネコはどうしたもんか、と頭を抱えた。




