犯罪者に花束を(後篇)⑤
『母さんの人生を犠牲にしてまで、医者にはなりたくないんだ…。分かってよ…、母さん…』
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その夜、心に決めた。
夕食の席で三人に深く謝罪した。
今まで帰省しなかったこと。
旦那の墓参りにこなかったこと。
旦那の死に向き合えなかったこと。
そして、優人の…。孫の顔を長い間見せに来なかったこと。
一方で感謝も伝えた。
今まで私の面倒を見てくれたこと。
温かく迎え入れてくれたこと。
優人の、そして私自身の味方でい続けてくれたこと。
迷惑をかけてきた期間の方がずっと長いはずだった。
だけど、自分の口から次々に溢れ零れてくるのは、謝罪の言葉よりも感謝の言葉の方がずっとずっと多かった。
そのことに気づいたとき、裕子は静かに一筋の涙を流した。
「いつまでもこちらにお邪魔になるわけにはいきません」
そして、裕子は決心したことを義両親と義妹に伝える。
「そんな、いつまででも居てもらっても構わんよ」
優しい言葉をかけてくれる義母。正直、まだ彼らに甘えたかった。しかし、今まで義両親、義妹。そして沢山の人たちに充分すぎるほど手を差し伸べてもらっている。
だから、私にしかできないことをしたかった。どれだけ周りが心配してくれても、私は畑下優人の母親、それだけは変わらない事実なのだから。
「千沙さんの49日に手を合わせに行きたいのです。向こうは私なんかに会いたくなんてないかもしれない。だけど、加害者の母親が何もせず事態が収束するまで閉じこもったままでいるのは筋に通っていません」
皆顔を合わせる。突然生気を取り戻した裕子に。揺るがない決意を抱いた義娘に。
「明日、ヒロトさんのお墓参りに行って、それから帰宅したいと思います」
そして優しく頷いた。皆に気持ちは届いたようだった。
「日下さんとこのスーパー、まだ空いているけんさかい、仏花買っておいで」
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「感謝してもしきれないわ。本当にありがとう」
日下さんのところのスーパー。それはこの島唯一のスーパーである。
義妹と仏花を購入し、その帰り。
家からスーパーまでは片道たったの5分程度。だけども、その短い間で二人はたくさん話した。そう、私たち、いや、私は他者との会話が圧倒的に不足していたのだ。誤解もあったし、何より自分の言葉で伝えあうことで、お互い少しずつだが歩み寄ってきた気がする。
それにしてもこんな薄情な自分に手を差し伸べてくれた彼女たちに感謝しかなかった。
そして、これから起こったことは一生忘れないと思う。
両手に明日の墓参りの為の仏花を抱えて、義妹と歩む帰り道。もう二人は互いの思いを全てさらけ出し、大変満足していた。もう、義実家の家の前まであとわずか。
島民は高齢者ばかりで、ほんのわずかな若者しかいないこの小さな島。
「?あれ?どうしたのかしら?」
義妹の困惑した声に裕子も顔を上げた。そこには義実家の家の前に島中の若者が集まっていたから。何か用でもあるのだろうか?或いは自分が犯罪者の母だと噂が広まってしまったのだろうか?冷たい鼓動がバクバクと裕子の胸を早く打ち付ける。
「あ!帰って来たぜ!おばちゃん!!!」
だが、そんな裕子の心配をよそに、一人の中学生の少年が義妹に破顔し、走り近寄ってきた。そしてその声に吸い付けられるかのように、わらわらと他の若者たちも裕子と義妹に群がってくる。
「なんでおばちゃんの家だけ?」
「すごいよ!」
「めっちゃきれいやけん、はよ来て来て!」
袖を優しく掴まれて、家まで引っ張られる。義妹は彼らに、「おばちゃんじゃなくて、お姉さまと呼びなさい!」と諭しているが、気持ちが昂っている彼らの耳には届いていないようだった。
「どうした…」
あまりのことに裕子自身も皆に問いただそうとした時だった。先に引っ張られていた義妹が急に立ち止まったものだから、裕子は彼女の背中に思いっきり顔をぶつけてしまったのだ。
「ごめん!ごめんね!だいじょ…う…」
その後の声は続かなかった。
「この島でこんな綺麗な光景みたのはじめて…」
それは星空が家に落ちて来たのかと思うくらい幻想的な光景だった。上を向いても、目の前をみても、無数の美しい輝きが景色いっぱいに広がっている。そう、家の周りには、沢山の星が暗闇の中を、空に負けじと煌めき光輝いていたのだ…。
「ほた…る??」
光に歩み寄ってそっと一つの星屑に触れる。それは蛍だった。
この家の付近に川なんてない。それどころか、この島で蛍を見たことがあるものなど一人もいないのだ。それにも関わらず、何故かこの家だけに、こんなに幻想的な光景になるほどの大量の蛍が光輝き舞っていた。
「え?何で?」
気がつくと、裕子の手にしていた仏花にも次々と蛍が飛んできて止まっている。裕子は虫が苦手。けれどもこの虫たちを払いのけることなんてできなかった。何故なら蛍が止まったこの仏花は、まるで星の花束のように美しく、優しく光を放っていたのだから。
何でこの家だけに現れたのか分からないし、誰も説明なんてできない。ただ、今この光景を見ている全ての島民の心はとても激しく揺れ動き、言い表せないほどの感動で足元が掬われる思いだったと思う。
ふと、光り輝く仏花に一匹の蝶がヒラヒラと舞ってきた。それは昼間であった黄色い蝶ではなく、エメラルドグリーンに輝くアゲハ蝶。
「ヒロくん…」
亡き旦那が自分の決心に天国から応援してくれているのかと、たくさんの友人たちとお見送りに来たのだとそう思わずにはいられなかった。
たくさんの命の星に囲まれ、裕子は留まることない涙を流し続けた。




