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犯罪者に花束を(前篇)⑦

 「最後の一週間を残してもらったのは、チサさんに人間にもう一度になって、後悔を残さず成仏して頂きたかったからです」


 あっという間に時は過ぎ去っていく。最後の一週間。石坂はすっかり気力をなくし、石のように固まったままになっているチサにいつものように説明する。チサはゆっくりと振り返る。二週間ぶりに見た彼女の瞳は、喫茶店を旅立つときっと別人のようだった。光の無い、まるで死んだ魚のような目だった。


 「人間に?」

 

 だが、一応聞く耳はもっていたようだ。チサは力のない声で聞き返してくる。


 「はい、左様です。私に憑依し、私を通して人間に戻るのです」言葉を選びながら話を続ける。「憑依をすると、私を介してですが…、普通の人間に戻ることができ、その魂のお姿でできなかったことができるようになります。例えば、ご飯を食べたり…、花の匂いをかいだり…、人に手紙を書いたり…、溜めていた涙を流したり…」


 「私はまた歩きたい。風を感じたい。生きていた時と同じ感覚を取り戻したい」チサはボソリと呟く。「でも、私は一人の男の子の犠牲の上にここにいるのです。私だけ満足して成仏なんてできません」


 「感謝を伝えたいとも思わないのですか?」


 ゆっくりとチサは首を振る。「最初はそう思いました。でも、きっとネット上では、彼の家族も、通っている大学も住んでいる家も、友人も…。ありとあらゆる個人情報がさらされていると思います。私を助けてくれたのに、彼は全て失い、きっと家族もボロボロになってる…。そんな恩人に、殺してくれてありがとう、なんて手紙をかけますか!?無責任に涙を流せますか!?私のことなんてもう見たくないほどに!名前すら耳にしたくないほどに!恨んでいるに違いありません。家族にとってはあの子が犯罪者ではないんですもの!無知な大学生をそそのかした私が犯罪者なんだから!!!」


 チサに何も反論できなかった。彼女の悲痛な叫びを痛いほど理解できたから。


 だから、最後の一週間はいつの間にか戻ってきたチョウと、ネコと、石坂と。四人で静かに喫茶店の庭で咲いている花を見つめながら過ごすだけのものだった。




*****





 

 そういえば、成仏前にチサは一度だけ石坂に懇願した。


 「やっぱりあの子に会いたい。直接お礼と謝罪をさせてください」


 だけど石坂は決して首を縦に振ることはなかった。


 「契約通り、最後の一週間は喫茶店からでることは許可できません」

 「そこを何とか!お願いします!ここでこのまま何もせずに成仏するなんて…。それで終わりだなんてイヤ!本当に最後のお願いだから…」

 「気持ちは痛いほど理解できます。しかし、ここから離れ、成仏に間に合わず、永遠に現世で彷徨われる恐れがありますので…、本当にすいません…」

 「そんなの関係ないわ!例え間に合わなくて永遠に彷徨うことになってもいいの!私の罪はそれほど重いものだから!!!だからおねが…」


 チサは石坂と目が合った。彼は怒りと悲しみの入り混じった表情をしていた。


 「もし可能でしたら、このお花をこっそり届けに行ってください。いつでも問題ありませんので…。お時間の空いたときにでも…」


 石坂の表情から何をくみ取ったのか。チサは思い直し、トーンダウンした。そして一週間ずっと眺めていた一輪の花を指さしてそう頼んだ。



 それからというもの、チサが言葉を発することは成仏するときまで遂になかった。






*****





 この日はチサの心と同じくどんよりとした鉛色の空模様だった。今にも雨が降り出しそうだった。だが、雲と雲の隙間から一筋光が零れた時が一瞬だけあった。


 「今までありがとうございました。もし生まれ変わったらきっとこの喫茶店に戻ってきます」石坂は優しく微笑み、ネコはにゃおと鳴いた。「もちろん、ネコさんとチョウさんにはお食事もごちそうするからね」

 

 チョウはチサの元へと羽ばたき、舞う。そっと手を伸ばし触れようとした途端、チサは光に包まれていった。



 石坂の経験した数少ない、後悔の残る無念な成仏だった。


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