犯罪者に花束を(前篇)⑤
次の一週間はニュージーランドにあるワイトモ・グロウワーム鍾乳洞。
ネコはどこへ行っても分かりやすく喜んでくれた。尻尾をピンとたてて、目を輝かしている。
「この輝きを虫たちが放っているなんて信じられない……」
だが、チョウの表情はくみ取ることはできなかった。もうすでに三週間共に過ごしているのにも関わらず、喜んでいるのか、驚いているのか、感動しているのか、チサは分かりかねていた。ただ昼夜問わず、チョウは毎日チサの背中を掴んで空に羽ばたいてくれた。風を感じることはできない。だが、魂の姿になってもなお、新しいことに挑戦できた喜びは計り知れない。だから、なんとしてもチョウを喜ばせたかった。きっと今までに見たことのない景色を見せて、チョウに自分なりの感謝を伝えたかった。
チサはそれだけこのチョウを愛していた。
「次の一週間はね、時期を変えたある場所に行ってほしいの」
「それなら、先の世に行くことになるから、二週間の刻が必要になるよ」
「ええ。大丈夫」
そう言って冬のカナダ、イエローライフへと飛んだ。
*****
チサはネコとチョウに幻想的なオーロラの光景を見せてやりたかっただけだった。だが、辺りに雪が積もる白銀の世界へ到着したとたん、突如事件が起きた。
「ネコさん!!チョウさんの様子がおかしいの。どうしたらいい?」
チサはチョウの表情を読み取ることはできない。だが、イエローナイフに到着してからというもの、チョウの様子が大変おかしいのだ。元気に羽ばたくこともできず、それどころか、パタリと倒れたまま羽も手足も動くことなく、まるで剥製のように固まったまま。
「どうしよう…」
チサにとってこれは想定外だった。確かに先週の鍾乳洞に行った時から少し体調が芳しくはないとは感じていたものの、羽ばたき疲れているものだとばかり思っていた。だから、今目の前でパタンと倒れているチョウをみてあの時の違和感をくみ取ってやれなかった自分の情けなさに後悔する。
「もしかしたら…」元気がなくなった蝶を見たネコは何かに気が付いたようだった。辺りを見渡してチサに遠くに見える家を指す。「とりあえずあの家に避難しよう。光が漏れているからきっと人がいる。あの中は温かいに違いない」
「だけど私たちって人から見られることはないし、気温も実際は何も感じていないのでしょう?」
それは今まで一緒に過ごしてきた日々にネコから聞いた知識だった。寒さも暑さも、柔らかさも硬さも、甘い香りや臭い匂い。手や肌で感じるものに加えて、匂いや味覚だってそう、全てまやかし。これらは以前チサが感じたことのあるものを体が、心が、思い出しているだけ。だからネコの提案にチサは首をかしげていた。なぜ家の中に避難しなければならないのか理解できなかった。
「確かにそう。視覚と聴覚以外は全て記憶の欠片。でも、もしかしたらチョウは違ったのかもしれない」
「どういう事?霊なんちゃらではないの?」
「確かに霊虫獣だよ。でも、このチョウは誰とも契約せずにチサの旅についてきているんだ。例え他のチョウと違って体は丈夫だとしても多分、今は本来の”蝶”の姿なのかも。だからこの寒さに耐えきれないのかもしれない」
チサは真っ青になった。感謝を伝えるどころか、自分のせいで死に追いやっているのかもしれない。そう考えると体が動かなくなった。
「チサ!反省するのは後にして!とりあえず今は早くあの小屋に!」
*****
小さなレンガ調の家には小さい女の子が母親に絵本を読み聞かせてもらっているところだった。
「小さな子供は霊感が強いから、できるだけ端っこで見つからないようにやり過ごそう」
ネコの声に同意し、本棚の近くに置いてあった大きな観葉植物の鉢の背に三人で身を寄せる。
温かい部屋が功を期してか、チョウは数時間後、フラフラとだが少し起き上がることができるようになった。
- よかった。暖かいところにきて少し体調が回復したみたい…
だが、チサの顔からは苦渋の色は消えてはいなかった。自分の事ばかりで周りが見えていなかったことに後悔や反省をしてもしきれないのだ。
「チョウさん、ごめんね。鍾乳洞の時気が付いていれば」
黒く丸い目を見つめながら謝罪する。美しいその目は黒真珠のようだと心の中で感じた。ふと、そのときチョウが優しく首を振ったかのように感じた。そして、そのままチサの近くまでそっと歩み寄ってくるチョウはまるで、「大丈夫」と励まさんとしているかのようでもあった。
「ありがとう」
そう言ってチョウをぎゅっと抱きしめる。
- もっと周りの事も考えなければ、私はいつだって自分の事しか考えていない…
チョウを強く抱きしめながら後悔していると、ふと、ある男性の顔が頭をよぎった。この世界に無事に来て喜んでいたチサ。すっかり忘れていた。
- 協力してくれたあの男の子は一体どうしているのだろう…?
急に固まってしまったチサにチョウは少し焦りを感じたのだろうか。そっといつものように背中を支えてチサと空の世界へと誘う。
その時、パタンと書斎の扉があいた。
「Hey, Mom! Coming!! A fairy is here!! (ママ、来て来て!妖精さんがいるわ!)」
子どもの歓喜の声は、上へ上へと飛んでいる二人のもとへはまだ届いていないようだった。ネコだけが急な子供の登場にあたふたとしていた。




