犯罪者に花束を(前篇)④
ネコは目の前に広がるあまりにも雄大すぎる景色に口をあんぐりと開けていた。
チサはそれを横目で見ながらクスクスと笑っている。一緒にこの感動を再び感じることができて心に何か温かいものが走る。もう、テレビやネットの世界でしか見れないと思っていた。だから再度こうして自分の目で見ることができて嬉しかった。
「こ、こは?」
ネコの戸惑いの声に再度フフっと微笑んで、背中から降りた。チョウもチサの背中から舞い降りてフラフラと辺りを見渡すように飛び始める。チサは小さな体で思いっきり深呼吸した。匂いが、風が、太陽の温かさが体全身に染み渡ってくる。チサは分かっていた。この感覚は今のものではなく、自分の記憶のものなのだと。だけど、この雄大な景色を目の当たりにした感動という感情だけは、例え魂の姿になったとしてもホンモノだ。胸からこみ上げてくるものにむず痒い思いを感じる。
「綺麗でしょ?晴れてて良かったわ。もし今日が新月ならばもっと良いのだけれど…。夜は言葉を失うくらい素敵なんだから」
「ねえ、ここはどこなの?鏡の世界?」
上を見ても下をみても辺り一面中に瑞々しい青の世界が広がっている。それはまるで空の中にいるような、そんな錯覚を感じさせる場所だった。
ネコの困惑した声に満足したチサはゴロンと寝そべり、地面と同じ真っ青な空を見上げる。所々に浮かんでいる白い雲はまるで絵に描いたようなくっきりとしたもの。手を伸ばせば掴めそうだった。
「ここはね、ウユニ塩湖っていうの。日本から遠く離れたボリビアって国。この景色を二人にも見てほしかったの」
ネコはチサの言葉にどう反応すれば良いのか分からなかった。今まで一緒に旅をしてきたヒトたちは、自分たちの会いたいヒトや懐かしむ為に遠くの土地にいくことはよくあることだった。だが、自分の為に大事な一週間を使ってまで遠い場所に旅を望むヒトたちなんていなかったから。彼女の優しさに何か胸にじんと感じるものがあった。
「チサ、ありがとう」
「ふふ。私こそ、もう見れないと思っていたから。本当は食事にも招待したいのだけど…この体だと無理だしね。来世にもし会えたら、そしたらきっと招待するわ」
ネコはニンゲンが成仏した後のことはよく分からなかった。たまにチサと同じように来世を語るヒトをみる。だが、来世があるのか。また会えるのかなんて誰も分からなかった。だけど、ネコはもし来世があったらまたチサに会いたいと思った。だってこんなニンゲン今まで見たことがなかったから。
「じゃあ来世にね。約束ね」
叶うか分からない。いや、ほとんど可能性のない約束をネコは初めてチサとした。
*****
夜の風景も美しいものだった。上も下も。見渡す限り、星空が広がっている。ネコの尻尾はここにきてからずっと立ちっぱなしだった。
「喜んでもらえてよかった」
チサはネコの表情をみて心底安堵していた。違う生き物だから感動するポイントが違うのではないか、との不安もあった。だが、ネコの輝かしい目や口角の上がった口、そしてピンとした尻尾を見てこれが正解だったのだとほっと胸を撫でおろしていた。
「でも、あなたはどう思っているの?」
何も答えないチョウにそっと人差し指をさしだす。そこに止まって羽を休めるチョウにチサは優しく問いかけた。
あの真っ暗な暗闇の中で見たエメラルドグリーンの色をした巨大なチョウ。それがきっと今目の前にいるチョウと同じであると思う。だけど石坂と契約してから、チサはこのチョウと会話することができなくなってしまっていた。体を動かせるようになったのは間違いなくこのチョウがあの時ニンゲンを探しに行ってくれたからなのに…。自身の声が聞こえるのか、今このチョウは何を思っているのか…。分からないことが多すぎた。生前、もう少し昆虫についても興味を持っておけば良かった、と後悔する。
「ねえネコさん?」
「なに?」
「ネコさんはチョウさんとお話しできるの?」
ネコはチョウの方へ視線をやる。まるでテレパシーで会話しているかのような沈黙が少し続く。
「今はチサと契約しているから、他の霊虫獣と会話はできない」ネコは少し申し訳なさそうな声でチサに答える。「ただ、何となくの感情は感じるよ」
「本当に!?」願っても叶ってもいないこと。会話が例えできなくても、喜んでいるのかどうかそれだけでも知りたかった。「今チョウさんは喜んでいる?どんな風に思っている…」
「チサの笑顔がもっとみたいって感情を感じる」
食い気味に答えるネコの答えにチサは驚いた。チサはこの光景に感動したネコを見ていたから、すっかりチョウも同じ感情を抱いているのだと思った。だけどよく考えてみれば別にチョウにとっては感動しないのかもしれない。
「そっか…。チョウさんは空を飛べるから。別に感動することはないのね…」
自分の期待しすぎのせいもあった。自分が悪いのだ。別にチョウがこの景色に感動しなくたって問題ないはず。でも、どうしてもこのチョウを喜ばしたかった。涙は決して出やしないのだが、悲しみがあとからあとからあふれ出てくる。
一方で、チョウもチサの言葉を聞き、まるで擁護するかのようにせわしなく彼女の目の前を舞っていた。だが、なかなか顔を上げないチサにゆっくりと空から降りていき、ネコの近くで羽を畳む。
「チサ、ずっとずっと体を小さくしてごらん?」
ネコは優しく諭すようにチサに話しかける。
だが、チサは首を振る。体を縮めてネコやチョウと目線をあわせるのがなんだか怖かった。
「いいから」
再度聞こえた優しい声に従う。
ずっとずっと小さく。
ネコの背中に乗るより小さく。
まるで親指姫を思い出させるくらいにまで小さく縮んだ。
「縮みすぎだよ」
ネコの笑う声にチサは言葉を紡ごうと顔を上げた瞬間、目の前の景色に驚いた。
足が地面についていなかったから。
空を飛んでいたのだ。
何が起こったのかと後ろを振り返る。そこにはチサの背中に手足をかけて羽ばたいているチョウの姿が確認できた。




