表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/68

犯罪者に花束を(前篇)②

 あの一羽のアゲハ蝶がこの部屋に舞って来てから数分後。

 突如ネコと共に現れた白い靄。いつもと異なる白い影の登場に石坂は動揺はしていたものの、それを顔に出すことなく、いつもの文言を述べる。


 「初めまして。わたしは追善人の石坂と申します。貴方は此岸を離れ、今は魂のみ存在であります。彼岸へと渡る前に貴方は49日間、つまり七週間、こちらのネコの霊虫獣れいちゅうじゅうと旅にでていただきます。現世と同じ時を過ごされる場合は一週間ごと、行く先の世、つまり現世より未来の時を過ごされる場合、二週間ごとに貴方の残された刻が消化されていきます」


 「私たちがあなたに課すルールは主だって一つだけ。最後の一週間はここの喫茶店で私と過ごす事。したがい、貴方が実質旅にでることができるのは六週間のみです。もし、これを受け入れてくださるのであれば、あなたの前にあるそちらの塩を少し口に含んでください。受け入れられなければ、退室して頂いて構いません。貴方にあう追善人に出逢えることを心より祈っております」


 いつもならこの説明後何かしらの動きがある。

 だが今回は少し異なっていた。石坂の目の前の白い靄は、その場から動くことも火を消すこともなく、ゆらゆらと煙のようにただただ空間に漂っているだけであった。


 どうしたのか?


 外に出ていくわけでもなくただ同じ場所に漂っている白い影を見て、石坂は疑問に思った。


 おかしい。何かがおかしいと。


 しかし、そんな疑問も、ネコが代わりに火を消したことで理解した。

 白い靄が消え、代わりに一人の女性が現れた。それは手のひらほどの小さな女性。彼女は船の前に横たわったまま動けないでいたのだ。


 「ネコさん、ありがとう」


 ずっと声を張り上げ続けていたのか、久しぶりに出す声なのか…。そうネコへ言葉をかける女の声は若々しい見た目と違って、随分としわがれたものだった。


 「お嬢様のお名前は?」

 「タガミ チサです」

 「大変失礼なことをお聞きいたしますが、動けないのでしょうか?」

 「ええ。ここに来れば貴方が協力してくれるかも、とネコさんと蝶さんに言われたの…。それで…」


 石坂は目を細め優しく微笑む。少しでも魂の存在である彼女に不安という負の感情を思い起こさせないように。


 「では、まず初めに元の体の大きさに戻れるよう、少し伸びをしてみてください。背骨を伸ばすような感覚で。声で表すならば、ぐーっという感じです」


 「やってみます…」


 そう言葉を返すや否や、彼女の顔はそれから真っ赤に染まった。きっと、歯を食いしばりながら、伸び・・を彼女の中でしているのだろう。ゆっくりとだが、少しずつ大きくなっているようにも見える。ネコがチサに近づく。まるで、君ならできる、と応援しているように石坂の目にはそう映った。


 石坂はネコと同じようにチサを応援する眼差しを向ける一方で、彼女は本当にニンゲンの動きを再度行えるのかどうか、という懸念を少し抱いてもいた。


 もし、チサが体の血液の巡りも、筋肉の動きも、生前感じたことすらなかったとしたら?


 彼女は成仏できるまでの七週間、一切体を動かすことができないかもしれない…。なぜなら魂の存在には肉体はない。だから、見聞きする以外の感覚はなくなる。生前の記憶をもとに体を動かしたり、感じたりすることしかできなくなるのだ。


 石坂も手伝えることなら、何か手伝ってやりたかった。だが、チサの体に触れることはできないし、代わってやることもできない。石坂自身が感じる感覚を言葉で伝える他、彼女に何もしてやれることはない。チサが自分自身でコツをつかむ以外に今の現状を突破することはできないのだ。


 一方で、とてもやせ細っていた彼女は弱弱しい見た目に反して強い女性だった。あれから何時間もたつが、一言も弱音を吐くことなく、ずっと伸び・・を続けている。


 暫くすると、店に眩しい光が窓越しに差し込み始めた。日が昇り始めたのだ。

 石坂は平常心に勤めながらも、少し焦っていた。この儀式の船たちを早く片付けねばならないから。

 だが、まだ目の前にネコとチサがいる。どうやら彼女はまだ最初の一週間の過ごす時を決めていないようだ。一体どうすればよいのか。ネコと会話できない石坂は頭を悩ます。今はアルバイトも雇っているのだ。彼女が来る前に魂を迎え入れる儀式の船や小物たちを片付け、喫茶店の開店準備をしなければならない。


 そんな中、ひらひらと小さなアゲハ蝶が再度どこからともなく部屋へと舞い込んできた。ネコの鼻先に止まったかと思えば、まるで会話するように羽を優しく前後に振る。ネコはそれを合図に振り返り、いつもと異なる焦った表情を浮かべる石坂を確認する。石坂を見てハッと我に返り、この状況を瞬時にくみ取った。ネコはチサの努力に気を取られ、すっかり忘れていたのだ。


 「チサ、そろそろ時間だ」

 「何の?」

 「この世と同じ時を過ごすか、先の世を過ごすか決めないと…」

 「まだ体が戻っていないのに?」

 

 チサの困惑する声にネコはゆっくりと頷く。時間とは、誰にも同じく平等に与えられ、過ぎ去り無くなるもの。例え同情するような状況でも、待ってはくれない。


 「気持ちは分かるけど、ごめんね。もう時間だから。早く来週過ごす時と、旅先を決めないと…」

 「選ばないといけないのなら、同じ時を過ごさせて…。私は残された時間を大切に使いたいの」

 「分かった」ネコはチサの意見を尊重する。「誰か会いたい人はいる?」

 「いいえ。会いたい人なんていないわ」

 「それならば、どこか行きたいところはある?ゆっくりリラックスできるところとか…」

 これはネコの提案だった。落ち着いた場所ならばチサも自分の体に集中できるのではないか、との、ネコなりの気遣いだった。だが、チサはその提案に胸から何か熱いものがこみ上げてきた。最後に会いたい人なんていないのに、最後に行きたい場所は次から次へと溢れ出てくるから。沢山の思い出たちが走馬灯のようにチサの頭に浮かび上がる。


 「行きたい場所は沢山あるわ。絞り切れないくらいに…。でもそれよりも、まずは体を動かしたいの。ねぇ?ここで一週間リハビリさせてほしい。石坂さんもいらっしゃるし…」


 「もちろん問題ないよ!大丈夫」


 ネコはニカっと明るい笑顔を浮かべてそっとチサを自身の背中に乗せた。チョウはチサの頭の上をヒラヒラと舞っている。

 

 石坂はその様子を、船を片付けながら見ていた。彼女が一刻も早く体を動かせることができるように…。喫茶店の奥にある中庭へとゆっくり歩むネコを見守りながら石坂は心の中で祈っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ