ロミオからの手紙②
彼が母親に進言してくれたのだろう。その週末から義母の訪問はぱったりとなくなった。将太には申し訳ないのだが、彼女が来なくなってから、亜弥は少し気持ちに余裕を持てるようになり、穏やかな日々を過ごせるようになった。
- あぁ、こんな事ならもっと早く相談すればよかった…。これが所謂夫婦間の大事な対話なのね…
だが、同時にこの頃から少し違和感も感じるようにもなった。ある時、保存食が食卓の棚から全て消えていた。将太がこっそりと平らげてしまったのかと、勝手に思った。ある時は、ピアスや指輪が無くなっていた。高価なものではなかったため、自分の保管方法が悪かったのだと反省した。だが、その他にもよく家のものが無くなっていく…。初めは自分の思い違いかと思っていた。だが、ある一つの鞄が無くなった時それは確信に変わった。亜弥は顔色を変えて将太にそのことを伝える。
「警察に電話したほうがいいと思う。泥棒が入ってるわ」
「きっと亜弥の思い過ごしだよ、片付けた場所を忘れただけでないの?」
だが、今回無くなったものは、亡くなった祖母が就職祝いにと買ってくれた思い出のある鞄だった。高価なものであり、以前義母に取られないようにクローゼットの奥底に箱にしまって隠していたのだ。思い違いなんてありえない。空の箱を将太へと見せて、興奮冷めぬまま伝える。
「大事なものだったからこそ、あれだけこの箱に入れて奥に保管していたの!それが無くなっているなんて…。きっと他にも無くなっているものがあるはずだわ!取り敢えず警察に電話して、この泥棒を……」
パンッ
警察に電話をかけようと携帯へと手を伸ばした時、突然将太が亜弥の頬を叩いた。亜弥は何が怒ったのか理解できなかった。困惑した顔で将太を確認する。
「え、なに?」
「おまえはっっ」将太の顔はリンゴのように真っ赤に染まっていた。「お前はおふくろを泥棒呼ばわりするのか!?」
「え、どういうこと?」
「お前が迷惑だって言ったから…。でも、おふくろは俺たちが心配だからって気を遣って……。俺たちが休日出掛けている間に、お前の出来損ないの家事の後始末をやってくれてたんだぞ!」亜弥の思考は完全に停止した。この人は何を言っているのだろう?「ここは俺たちの家であり、おふくろの第二の家だ。家事の代わりに好きなものを何でも持って帰っていいって俺が言ったんだ。そのおふくろを泥棒呼ばわりするとは……」
将太は口をワナワナ震わせ怒っていた。
「え、お義母様はこの家の合鍵を持っているの?」
「当たり前だ。半人前のお前の為にやって貰っていたのに!お前は俺のおふくろを犯罪者呼ばわりか!」
そう言ってもう一度亜弥の反対の頬を叩く。亜弥は涙が溢れた。出来損ないの家事って何だろう?私が何か間違っていたのだろうか?でも、人の物を勝手に持っていくなんて…。いくら旦那の母でも許せない。それに合鍵のことだって一言相談してほしかった。だが、声にならない。まるで赤子のように泣き出した。
「あれ…は、お、おばあちゃ…の…」
「ごめん、やり過ぎた」将太はハッとし、亜弥を抱きしめる。亜弥はまだ泣いている。「鞄のことは俺が説明する。それだけは返してもらうように頼んであげるから、もう泣き止んで…」
- なんでそんなに上から目線で言われないといけなかったのだろう?
この時、感情にまかせて離婚していればよかったのだ…。だが、亜弥はそうしなかった。鞄が帰ってくるならこのことは水に流そうと、甘えた思考回路でそう考えていた。この事を後々後悔するとも知らずに……。
***
あの後、泣いて懇願し、合鍵と大事な鞄を義母から取り戻した。だが残念ながらその他のものは既になかった。嘘か真か、義母によると私が日中に不倫しないよう、アクセサリー類は全て捨てたらしい。悔しい思いをしたが、「もう、義母とやっていける自信がない」と将太に告げ、その日を境に義母に会うこと自体全てを拒否することに決めた。
ようやく平穏が戻ってきた。そして束の間に一人目を授かったのだ。
亜弥の悪阻はひどかった。家事をするのが億劫になり、一日中ただ家で寝ているだけの生活へと様変わりする。家事をしないといけない、と頭の中では分かっていた。だけど、身体が言うことをきかず、全く動かせない。
始めの頃は将太も「身重だから…」と理解し、仕事が終わって疲れた体で家事を手伝ってくれた。だが、それも一ヶ月ほど続くと少しずつ怒りを亜弥に出してくるようになった。
「なんでこんなに部屋が散らかってるんだ」
「なんで料理もできてないんだ」
「俺が働いている間、お前は何をしてるんだ」
将太は理解しようと努めてはいたが、自分だって仕事で疲れていたのだ。家に帰っても汚い部屋に用意されていない夕飯。彼は限界に来ていた。だから、亜弥があれほど嫌がっていた母に連絡を取らざるをえなかった。
この日、亜弥はいつものように重たい体をあげて掃除をしていた。少ししては、少し休んで。とてもゆっくりな動きではあったものの、自分のペースで家事をこなしていた。
ピンポーン
インターフォンが鳴った。
- 何か頼んだかしら?
配達業者の人だと思った。自分が何かネットで買ったことは記憶になかったため、将太宛ての荷物だと勝手に思い、掃除の手をとめモニターへと向かう。だが、そこにうつるその人の姿を見て亜弥は絶句する。
- 何故彼女が?
居留守を使おうか迷った。だが、もし義母が将太に「亜弥さん、昼間いなかったわよ。もしかして不倫じゃないの?」なんて、あらぬ事を告げ口されるのは癪に触る。嫌ではあったが、今日だけの辛抱だとモニター越しに彼女に答えることにした。
「はい…」
「亜弥さん、久しぶりね。悪阻が酷いようだったから様子を見にきたの。入れてくれる?」
義母の声は小さく、以前のような覇気はなかった。断る適当な理由がなかったため、亜弥は彼女を家の中まで通す。
「悪阻にいいもの作ってきたから食べて?食べれなかったら、夕飯として将太に出したらいいわ。私は軽く掃除だけしたら帰るから」
彼女はそう言って料理の入った数個のタッパーを彼女に渡して、先ほどまで亜弥のしていた家事を引き続き行う。やはり、義母は要領が良い。ものの30分ほどでぱっぱと終わらし「それじゃあね、体をしっかりと労ってね」そう言って帰ってしまった。
以前とは全く違う義母の態度に亜弥はあっけにとられた。そして少し感謝もした。きっと、将太にきつくお灸を据えられ、心を入れ替えてくれたのだ!彼女の優しさに心が温かくなるのを感じた。
そしてこの夜、亜弥は将太にこの事を話した。お礼を言っといてね、とのつもりだった。だがどう伝わったのか?この日から毎日彼女が家に来るようになった。
いつのころからか、悪阻は全くなくなり、もう家事も滞りなく自分でできるようになっていた。
「今までありがとうございました。もう大丈夫です」
何度も義母にそう伝えているのに、変わらず毎日やってきた。しかも平日はお昼過ぎまでパートがあるため、彼女が来るのはいつも決まって夕方であった。「お気遣いはありがたいのですが、もう大丈夫ですよ」もう来るな、と暗に言っても彼女の耳には届かない。
更に彼女は週に2、3度も勝手に寿司やピザなどのデリバリーを頼むようになった。「亜弥さんのためだから」そう言って支払いは亜弥にさせる。このお義母さんは一体どういう神経をしているのだろう?再び、亜弥は義母に不信感を募らせるようになった。
毎度のデリバリーの支払いは亜弥たちの家計を切迫していく…。
「将太さん、お義母さんにまた進言してくれない?困るわ」
何度も将太に相談した。だがこの頃の将太は亜弥の言うことに耳を貸さなくなっていた。「もう、自分で言ってくれよ!二人の間に挟まれるのはもうこりごりだ!」こう言って亜弥の懇願をあしらった。
結局、本人に強く言えなかった亜弥は、子供が生まれるまで我慢し続けることになる。




