喫茶 nana へようこそ ②
今日はバタバタとした一日だったな、石坂はそう思いながら店じまいを始める。奥の蔓に隠れた時計は午後19時を指していた。彼が洗い物を終え、各テブールを拭き、椅子を片付けていると、奥の窓からガタガタ音がする。
石坂は奥のテーブル席からさらに奥まった場所にある窓の方へ足を向ける。そこにはテラス席があった。先ほどまでそこで寝ていたであろうキジトラ柄のネコが目の前の窓を前足で何度も叩いている。どうやら中に入りたいようだ。石坂は窓を少し開けネコを店の中へ入れてやる。
「何か食べるかい?」
ネコは一度石坂を見るが、しっぽを下げてカウンター席の方へ向かう。これは特にお腹のすいていない時の合図だ。石坂はネコを無視して片づけを続行する。
全てが片付いたころには時計は20時を指していた。
「そろそろ用意するか」
石坂は珈琲サイフォンが並べてある棚の下から、竹と藁で作られた小さな一隻の精霊船と、新品のロウソクを一本取り出した。カウンターにそれらを置き、ロウソクに火を灯す。
次に石坂は上の棚から白い粉を取り出した。塩である。だが、いつも調理に使用するそれではなかった。とある神社から取り寄せてあるとっておきの塩である。一緒に保管してあった二つの白い小皿にその神聖な塩を盛り、それらを船の前後に配置する。
全ての用意が終わったのか、カウンターの中に置いてある彼専用の回転椅子に腰かけ、鼻歌を歌い始める。ネコもカウンターの上に登ってきて、まるで合唱するかのように小さく鳴き声をあげる。
これは石坂のいつもの儀式であった。ただ、この歌は彼が自分自身の為に歌っているのか、それともこれから来る客の為に歌っているのか、きっかけが遠い昔のことのため今はもう分からなくなっていた。
風が揺れた。入り口の扉は空いていないが、チリリンとドアにつけてある鈴が優しく鳴り響く。ネコの耳がピンと立つ。石坂はそれを確認すると、立ち上がり夜の客を迎え入れる。
和やかに、落ち着いた低い声を意識して。
「いらっしゃいませ。喫茶nanaへようこそ」
次から本編始まります。
更新はゆっくりとなりますが、よろしくお願いいたします。