ロミオが愛したヒト③
「次の一週間はどーする?」
ネコの問いかけにショウタは言葉を重ねる。「当然、おふくろが心配だからまだここにいる」
「アヤさんの場所には行かなくていいの?」
〜
この一週間でショウタは少しずつ記憶を取り戻していた。自分の最期を……。そして思い出せば思い出せすほど、妻のアヤへの憎しみが込み上げる。
「あのオンナは酷いやつだったよ!」ネコにそう愚痴をこぼす。「自分の親には仕送りするくせに、俺が母親に仕送りしようとすると、すっげぇ怒るんだ。『私たちのお金を勝手に使わないでよ!』って。帰省すら嫌がって、『お義母さんのところへは、あなた一人で行ってきて』とか言ってさ、孫に会わせてもやらないし…。しかも性の不一致とかで、求めても嫌がるし…。ずっとレスの状態でさ…。俺としては我慢ができなくなって…、風俗に行ったら行ったでキレてさ。『離婚だー!!!』とか騒ぎ出す。我が儘すぎるオンナだったよ。ホント……」
ネコはショウタにそっと寄り添った。あまり興奮させないように、辛い思いを再び感じさせないように。
「ありがとう」ショウタはネコに笑いかけるが、その笑顔は引き立っていた。
〜
そしてこの二週間目に突入する。ネコはショウタに従って、この週も現世に留まり彼の母親の元で共に時を過ごすことになった。
ショウタの葬式を終えた後から再び始まった彼女の生活は質素で簡潔なものだった。午前中にはパートに出かけ、買い物をしてから帰宅し、ずっとテレビを見ている。刺激の無い日々で、そんな母親を遠くから見守っているだけのこの数日は大変退屈であった。1日1日がゆっくりと過ぎていく……。
ところが、二週間目ももう終わるという頃、一人の弁護士と名乗る男の人が家を訪れてきたことから事態は急変する。
「ショウタさんの保険金を、養育費としてアヤさんに……」
「通夜も葬式にも来ず、お金の無心ですか!?あれは息子が私に最期に残してくれたものです!あんなアバズレで非常識な人間にあげるものは一円足りともありません!!」
「しかし…法律上…」
それは事故で死んだショウタの保険金を妻であるアヤに全額渡せ、という話し合いだった。
「何がどうなってるんだ!?」ショウタは困惑する。「おふくろに残すことの出来た唯一の孝行だったお金を!!!あのオンナァァ!」彼は激昂する。
「人間の考えていることは分からないね」そんな彼を横目にネコは呑気に答える。
「俺はどうしたらいい?」
「何も出来ないよ…。魂の姿では、ただ見ていることしか出来ないの」そう言って、ネコは毛繕いを始める。
「養育費って、誰の子だよ!俺とはもう何年もしてないじゃないか!」ショウタの顔は茹で蛸の様に赤く染まり大変興奮していた。「おい!アヤの元へいけるか?」
「別に大丈夫だけど、側に行っても何も出来ないよ?」念の為再度勧告する。
「霊感があるなら俺が見えるかもしれないだろ?無くても呪ってやる!あの悪魔に!!」そう叫んで、ネコの背中に勝手に乗る。「早くいけ!」
彼の強い命令口調にネコは拍子抜けた。霊虫獣と言えども感情を持っている。もう少し敬意を持って接して欲しい。
「お前は俺の召使いみたいなものだろ!?早くいけよ!モタモタするな!」ショウタはネコの考えている事など知る由もない。相変わらずの強い口調で命令を下す。
「そんな頭に血の上った状態では連れて行けないよ」ネコの細やかな抵抗だった。
「お前は俺に口答えするのか!?」
「どうしても行きたいなら、ここから歩いてなら行けばいい」ネコはショウタを見つめながらそう言う。「魂が不安定な状態で飛んでいくのは嫌なんだ。もし、向かっている途中で何処かに落ちてしまったら?離れてしまったら?霊虫獣は魂の旅を見守る事、そしてその旅を共に無事終える事が仕事なんだ。悪いけど今の状態だと連れてはいけない……」
偉そうな態度をとっていたショウタはそれを聞き、少し怖気ついた。アヤの実家までは、自分の実家からだとかなり遠い。それに、そこにアヤがいる確証もない。まだ腹わたが煮えくりかえってはいるものの、彼はネコに従って今週いっぱいは頭を冷やす為にも、このまま母の元で過ごすことにした。
「ついかっとしちまって…悪かったな……」
ショウタから零れ落ちた言葉に、ネコは小さく頷いた。
***
「よし!今週もこのまま現世で…今度はアヤの所へ!!」
三週間目に入る前、ネコは再度ショウタにいつもの質問を投げかけていた。彼の答えは数日前と変わらない。もうすっかり大人しくなったこの男を見てネコはホッと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、いつもの様に背中に乗って…今度はアヤさんをしっかり頭に思い浮かべて……」
こうして彼らは次の場所へと飛び立った。
「なんなんだ?ここにいるのか?」
降り立った場所は少し古びたラーメン屋の店の前だった。
「この裏かな?小さな家みたいなのがあるよ」ネコがそう言って指した場所は、更にもう一段階古びたアパートだった。セキュリティーらしいものは何も無く、薄いドアが3つだけ並んでいる二階建ての建物である。
「こんな所に住んでいるのか?」ショウタはそのアパートを口を開けたままポカンと見ている。初めて見る場所、そして彼女に似つかわしく無い建物…。情報処理が追いついていなかった。
「ママ!ママ!」
アパートの二階の一番奥の扉が開き、二人の幼い男の子たちが出てきた。二人とも幼稚園か保育園にこれから行くのだろうか?小さな可愛らしい制服を着ていた。
「ちょっと!あんまり先に行かないで!そこで待ってて!」そう子どもたちに指示する可愛らしい声に、ショウタの胸がザワザワと震える。そして子どもたちを追うように出てきた、髪を一つに束ねた女性を見て思わずネコの後ろに姿を隠してしまう。
「アヤだ…アヤだ…」彼の声は辛うじて聞き取れるほどの大きさであった。「子どもたちもあんなに大きくなって……」
「凄い綺麗なヒトだね」ネコは感心した。彼女はネコが今まで見た中でも飛び抜けて光輝くオーラを放っていた。そう、ネコはヒトの顔の判別があまり出来ない。オーラや魂の輝きでヒトを判別する。
「昔は髪にもっと艶があって、もっともーっと美人だったんだぜ?俺も初めて見た時めっちゃびっくりした」ショウタは昔を思い出しながら、鼻の下を伸ばして続ける。「凄いモテてさ。正直俺なんかが付き合えるって思ってもいなかったよ……。結婚もなんか夢の様な気がしてて…。ホント自慢の嫁だったなー」
「ママ〜。見てみて」ショウタが思い出に浸っていると、既に一階に降りてきた男の一人が此方を指差して言う。「にゃんこと、ちっちゃなおじさんがいるよ」
女性はその子の指す方を見るが、彼女には何も見えなかった。「ママ目が悪いから、見えないな〜」そう言って二人を自転車に乗せて何処かへと去っていく。
「追いかけよう!」ショウタはネコに叫ぶ。
「無理だよ。あの自転車速すぎる…」
よく見るとそれは以前ショウタが彼女に買い与えた電動自転車だった。
過ぎ去っていく彼らの後ろ姿を見て、ショウタはネコに呟いた。
「アヤに会うまであんなにあのオンナにムカついていたのに……。今は胸がドキドキして苦しい。これが愛なのかな?」
「ネコには愛とか分からないよ」




