ロミオが愛したヒト①
「アヤが待ってるんだ!こんな所にいる場合じゃ無いんだ!」
暗い喫茶店の中、ショウタの声が響いた。あまりの大きな声にネコは眉間にしわを寄せ、不機嫌な顔をする。石坂はそんなご機嫌斜めなネコを見てため息をつき、苦笑いを浮かべて目の前の小さな男性に問う。
「私の説明はちゃんと理解された上でこちらの塩を舐められましたか?」
「理解したかだって?ふざけるな!何も理解できるわけがないだろう!何故俺には猶予があと七週間しか残されていないんだ!しかも、その内の最後の一週間をこんな古びた家屋で過ごせだと!?舐めてるのか!?警察を呼ぶぞ!」
- どうしたものか…
魂とネコが互いに塩を含んだ時点で契約は既に施行されている。今更理解していないと怒られても、石坂にはもうどうしようもすることができないのだ。
「では…、まずお名前をお教え願えませんでしょうか?」
「先に名乗るのが筋だろう!?」男は荒々しい声で石坂を怒鳴る。
「それは失礼いたしました…。私の名前は石坂と申します。こちらは、霊虫獣のネコです。名前はありません。ネコとお呼びください」石坂は目の前の小さな男を刺激しないように丁寧にお辞儀を交えながら答えた。
「カイトウ ショウタ」少し怒りのボルテージが下がったのか、目の前の男はボソリとそう呟いた。「なあ……、俺は死んだのか??」続けられた彼の声は少し震えていた。
「カイトウ様は魂のお姿に戻られました」
「意味分かんねぇよ!それは死んだってことか?」
「魂のお姿に戻られたとしか…」
ショウタと名乗る男は舌打ちをし、石坂の声を遮り再度怒鳴り散らす。「丁寧に喋ったらいいってもんじゃ無いぞ!何でもそうやって許されると思うな!俺が納得するようにちゃんと説明しろ!」
「……。まずですが…、ここは此岸と彼岸の間の空間になります。カイトウ様は、ご病気か事故か、私には生前のことは分かりかねますが、何かが原因で肉体から魂が離れられました。そうですね…。此岸では”他界”あるいは”永眠”と言われています」石坂はショウタを刺激しないように言葉を選びながら続ける。「そしてカイトウ様は現在、魂の姿となって今こちらの空間におられているのです。彼岸に向かう、つまり成仏するには計49日、つまり七週間の旅が必要となります。旅といいましても、現世か先の世へ行き、こちらのネコと共にその時を過ごすだけ…。ご理解いただけましたか?」
「実感も記憶も何もないんだけど…。俺ってやっぱり死んだのか?」ショウタは石坂の問いには答えず、再度疑問を投げかける。
「頭を激しく打ったり、激しいショックな事を感じると、直前の記憶は無くなるようです。もしかしたら事故か事件に巻き込まれたか…。いずれにせよ、こちらの空間は魂のお姿でしか来られませんので、残念ながら…」
石坂は目を伏せて答える。ショウタはしばらくの間、顎に手をつけ最後の記憶を呼び戻そうと奮闘していた。だが、もやがかかったような不思議な感情が押し寄せて、何も思い出すことができない。
「俺は確か、アヤのストーカーを追い払おうと…。その男を追跡しようとしていたことだけは覚えている…!だが、それ以上はもう無理だ…」
「左様でございますか」
「アヤってのは、俺の嫁なんだよ…。あー。あいつ、泣いてるんじゃないかなー。ストーカーはどうなったんだ!?くそう……。アヤが無事かそれだけでも知りてぇ…」ショウタは涙こそ出てはいなかったのだが、彼の声はややくぐもっていた。
「じゃあ、まずは現世に行ってアヤさんに会いに行く?」
「ネコが喋った!」話を遮り提案してきたネコにショウタは驚き、腰が抜けてしまう。
「霊虫獣ですから…」石坂は静かに目を閉じショウタに諭した。
「その、霊虫何とかは人と会話することができるのか!?」ショウタはまだ腰が抜けているようだ。
「魂同士で会話してるの。人語が話せるわけではないのよ」ネコの答えにショウタは目をパチクリさせて首をかしげる。「で、最初は現世?それとも先の世?どちらに行くの?」ネコは早く自分の仕事を全うしたかった。ショウタに再度問いかけ、返答を急かす。
「じゃあ、現世のアヤの様子を見に行く…でお願いします」
「分かった。じゃあ、背中に乗って?」ネコは自分の背中を指してショウタに指示する。
「ネコの背中とか初めて乗る」そう言って恐る恐る立ち上がり、ネコの指示に従う。「感触わからねーな」ふわふわしたように見えるネコの背中を触ったが、何も感じ取れない。そしてそのままネコに飛び乗った。
ネコは少し訝しげな顔をしてその小さな男をみる。「生きてる時、猫を触った事ないの?」
「昔はあるけど…。最後は何年前だろう?随分長い間動物事態に触れ合ってはないな…」
「若いのに珍しいのね……。まぁ、人それぞれか…」そう呟いて、ネコは一度伸びをした。「魂の姿になると五感を失うの。だから、生前の記憶がないと何も感じないから、この七週間結構堪えるかもね…」
そんなものなのか、と茫然とショウタは聞いていた。
「じゃあ、向かいたい場所を思い浮かべて?」ショウタは目を固く閉じ、少ししてから「いいぞ」とそっと伝えた。
「よい49日を」
石坂がお辞儀をしたのと同時にネコはカウンターから飛び降りた。
「ぎゃああああああ」
ショウタは姿が見えなくなる最後まで、喧しかった。