普通の配信動画リスナー、リブシブルへ
柊康博は、都内某所の自宅でYoutuberの生配信を見ていたところで、リブシブルに連れてこられた。
オタクでもなければ文芸にも疎い彼は、聖神リリアーナと名乗る女神から事情を説明された時にはそれはもう、盛大に錯乱したものだった。
なにしろ、リリアーナが『もう限界。これ以上は時間も推しているし、仕方がないけど次の人の対応に移らせてもらうわ』と、投げ出すほどなのだから。
かくして、彼にとっては唐突に、本当に突然に異世界での生活が強制スタートしたのであった。
「うわぁ……これはひどい……見事に何もない」
康弘が行きついたのは、おそらく人の手が入っていない、雑木林の中だった。
木々がうっそうと生い茂り、腰くらいまで成長した草が地面を覆い隠している。
そんな中、彼の周囲だけは円を描くように、草が一本も生えていない空白地帯となっていた。
自業自得とはいえ、事前知識まっさらな状態で異世界に来てしまった康博。
しかし、これからどうすればいいのか、と悩み始めたところで、彼の資格に文字が羅列される。。
――神聖眼による取得情報を開示:現状、遭難といっても過言ではない状況と判断。
――スキル、ストレージに食料なし。
――周囲に食用の植物や果実なし。餓死の可能性、高。
――街へ向かう前に海岸に出て、魚介類と水を確保することをお勧めします。
それは、いわば産声だった。
彼が聖神リリアーナより授けられた、人知を超えた力の。
聖者にのみ与えられ、聖者たちの頭脳の根源ともいわれる至高のスキル――神聖眼。
それは、康博が聖者としてこの世界に降り立った、その証左でもあった。
(なんだ、これ……)
疑問を感じる康博に、神聖眼はなおも情報を与え続ける。
――スキル、神聖眼。
――意識を向けた対象の情報を読み取る。
――意識を向けさえすれば、あらゆる情報を得ることが可能。
スキル。神聖眼。
そして、先ほど流れ込んできた情報に合った、ストレージ。
目が覚めたら雑木林の中にいたという異常事態もあって、彼ははや冷静さを欠いていた。
しかし、スキルには意思などない。ゆえに、次から次へと情報を彼に渡していく。
その情報量の多さに耐えきれなくなったとき――彼は、とうとう考えることを放棄した。
どれだけ現実逃避しても、万人に等しく与えられた資産は目減りしてゆく。
太陽が若干その高さを下げ始めたころ、康博はようやっと現実へと戻ってきた。
ただ、悲しいかな。
認めたくない現実から遠ざかって空想の世界へと旅立ったとして、彼にとって今の現実はまぎれもなく、この人の手の入っていない雑木林の中なのであった。
「はぁ、仕方ないな……」
まったくもって致し方ない状況に、しかし現実逃避から帰ってきた康博は若干現状を楽観視できるようになっていた。
とりま、彼は聞き逃してしまった、聖神リリアーナの説明を、神聖眼によってもう一度じっくりと確認していった。
彼女が言うには、この世界は、便宜上リブシブルと呼ばれている。
康弘にわかりやすく説明するのであれば、剣と魔法のファンタジーモノの小説やゲームの世界観と近しいものがあり、康博が必ず天命を全うできるだけの力を持たせて送り込む、とリリアーナは言っていた。
その力は、本来であればリブシブルに送られる人がある程度指定することができるらしいが――困ったことに、康博はそれを新手の詐欺か何かと勘違いしていたために、それ以降はまともな会話にすらなっていなかった。
そして、最後の方で、『もう限界。これ以上は時間も推しているし、仕方がないけど次の人の対応に移らせてもらうわ』のコメントをもらって、そこで記憶が断絶している。
それらの状況と、神聖眼というスキルを保有している現状を照らし合わせると――リリアーナの怒りこそ買ってしまったが、最低限、この世界を生き残れるだけの力はもらったのだ、と理解していいのかもしれない。
「問題は、どんな力を授けてくれたのか、ていうやつだよなぁ……ん? なんだこれ……弓?」
ふと、康博は自身が倒れていた場所のすぐ近くに、弓が落ちているのを発見した。
儀礼用と見まがうような装飾が施されており、康博は特に、弦に描かれている、金色の模様が気に入った。
「なんだ、この弓……魔滅の弓……?」
康弘が趣にそれをとると、唐突に弓から暖かい何かが流れ込んでくる気がした。
彼は、察する。これは、自分にしか扱えない代物だ、と。
どうしてかは知らないが、しかしそうとしか思えないのだ。
不思議な感覚に戸惑い、何が起こっているのか、なぜそう思うのかを神聖眼で探ってみたところ、それはどうやら康博に与えられた力が『弓聖』という特殊なものだったからだ。
重ねて、彼は神聖眼に問う。
『弓聖』とは、何なのか。
何ができて、何ができないのか。そして、自分はこの世界で何を成せばいいのか。
神聖眼は答えを可能な限り掲示していく。
『弓聖』に与えられる力。そして、それ以外の、総じて『聖者』と呼ばれる存在に与えられる力と、使命――のようなもの。
『弓聖』をはじめとして、聖者がどのようにして扱われているのかといった情報から、この世界に今存在しているダンジョンの総数やその所在。
ほかにも、上げればきりがないほどの情報が、彼の前に表示されていく――もちろん、彼のスキルによるものなので、他の人からは見えないのだが。
『弓聖』をはじめとする『聖者』と呼ばれる存在は、この世界においては正の魔力――正気と、負の魔力――瘴気のバランスを整えること。どちらかに偏ってはいけないし、どちらかの魔力が一か所に集中し過ぎるのもよくない。世界の崩壊を防ぐための、調律師。それが、『聖者』の役割。
では、自分がリリアーナからその力を与えられたのは、それを行え、ということなのか――そう思いかけた彼はしかしそこで、もう一度リリアーナとの会話を思い出した。
ほとんど一方的な話になってしまっていたとはいえ、それでも、PC越しのリリアーナとの対話には、最低限の情報はあったのだ。
彼女は言っていた。どのような力を選ぶのであれ、康博はもともとリブシブル側にとっては客人でもあるのだし、行動を縛るようなことはするはずがない、と。
むしろ、理不尽な理由でせっかく謳歌するはずだった残りの人生を不意にされたのだから、何をするのか選ぶ権利がある、とすら言っていたのだから。
――つまるところ……、
「この力は本当に使命とかそういうのではなく準備金みたいなもので――何をなすのかは、俺次第……。はは、何だその放任主義。せめて、何をすればいいのか、助言くらいは残しとけっての」
自業自得とはいえ、それでも投げやり気味に送り出すなら、その後始末くらいはつけておいてほしいものだ、と若干身勝手な文句を言いつつ、彼はさて、どうするかな、とこれからのことをいよいよ考え始めた。
目下の問題は食糧問題だろう。
何しろ、食料が全く用意されていなかったからだ。
なぜこうなった、と再び神聖眼先生に問いかけてみたところ、どうやら近隣で一斉に数十件もの召喚が一気に同時発動したために、ワームホールが混信してしまったのが原因だったらしい。
一度も起きたことがない現象で、完全に運の問題とまで言われてしまえば、文句は言えない。
ここはおとなしく、生き残るすべを考える康博。
幸いにも、雑木林はすぐに抜けられた。
聖者の力に、身体能力の増強も含まれていたのが大きな理由の一つだろう。
これだとこの世界で聖者として生まれた人たちは、幼少期が大変だったんじゃなかろうか、とも思った康博だったが、実のところそれほどでもない。昔はともかく、今は基本的に宗教団体に囲まれるのが常識の時代だ。そして、宗教団体は総じて、そういった存在が産まれた時に探しだすためのシステムや、教育するための設備を整えている。
よって、物心つく頃には大体力加減を身に着けているのである。
さて、早々に雑木林を抜けた康博だったが、そこも見渡す限りの草原で、特に食べれそうなものは何もない印象を受けざるを得なかった。林の中には食べることができるような果実やキノコがなく、キノコに至ってはヤバい毒を持つものしか生えておらず、早々に立ち去ってきてしまったのも痛かった。
まぁ、聖者にとっては毒など別にどうということはないので、無理をすれば毒キノコだろうと食べることは可能なのだが……それでも、毒キノコと聞くと、いまいち手が伸びなったのだ。
ゆえに、収穫した食料はいまだにゼロ。
このままでは餓死一直線だと判断した康博は、早々に食料が確保できそうな土地へと急ぐことしか考えていない。
「うーん……食料を手っ取り早く手に入れるには……あっちに行けば海があるのか」
神聖眼によれば、今彼が向いている先に行けば、海岸、それも浜辺に到達できるとのこと。
うまく魔法を使えば大量に魚介類をゲットできるだろう、と彼は若干ブラックな笑みを浮かべた。
もっとも――その前に、片づけなければならない障害はあるようだが。
「なーんかやばそうな奴がその近くにいるんだよなぁ……なんだよ。しょっぱなから強敵と戦うとか勘弁してほしいぞ……ん?」
そこまで言って、康博は己が手に持つ、豪奢な弓を見て、それで気づく。
――もしかして、これで脅かせば、その場からは離れてくれるんじゃね?
相手の魔力のバランスが、正気側に振り切り気味であるがゆえに、康博は一瞬、相手も聖者ではないか、とも疑ったが、神聖眼には何も反応が無かったため、即座にその可能性を否定。
そして、それなら少なくとも、これにある程度の魔力を乗せて、行き先周辺にたむろしている存在に向けて魔力の矢を射かければ――盛大な威嚇にはなるだろう、目論んだ。
康博は、さっそく弓を構え、弦を引いた。そして、魔力を込める。
その方法や感覚は、雑木林を抜ける傍ら、片手間に済ますことができた。
なにしろ、心強い味方(?)がいるのだ、アドバイザーには事欠かない。
魔力を十分に込めると、弦を引っ張っている指と、弓柄をつかんでいる手の上端を結ぶように、光の矢が形成される。
狙うは、視線の先。目的地である浜辺にいる、強大な魔力を持つ何者か。弓聖ゆえに特にスキルを使用するでもなく、生身で感じ取ったその気配をロックし、『あたる』という確実なイメージを持った上で、それを放った。
彼は、学生時代、弓道部に所属していたゆえ、ある程度その心得があった。だから、そのしぐさも、堂にいったものだった。