腰抜けダンジョンマスター、のらりくらりとかわせなかった
リンさんが取り出した紙には、商業ギルドに加入するにあたって確認する各種事項が箇条書きにされており、彼女もそれに従っていろいろと質問をしてきた。
まず最初に聞かれたのは、業態だ。
取り扱う商材は何なのか。
そして、固有の店舗を持つのか、それとも車両などを持って移動店舗とするのか。
固有の店舗を持つ場合は、店舗の規模はどの程度を望むのか、移動店舗の場合は車両型の魔道具を所有しているか否か。
後者については、持っている場合は取り扱い時の注意(主に所有者保証書の常時携行の義務)もあり、それの説明も受けた。
まぁ、俺達の場合は、移動店舗も場合によっては持つかどうか……。
まぁ、そのあたりはショップのラインナップと相談かな。
トレーラーハウスみたいなのがお値打ち品で作成可能であれば、あるいはDE使って作り出してもいいかもしれないけど。
ちなみに、話に挙がった魔道具所有者保証書だが、魔道具自体はそれほど珍しいほどでもないのだが、それの車両型となると、かなり複雑な機構と術式を必要とするらしく、買うにしても安いものではない品物なんだそうだ。そのため、持っていると何かとトラブルを招きやすいらしい。
過去には、魔道具保証書をたまたま自宅に置き忘れて隣町まで仕入れに行ってしまい、目を付けていた貴族の策略に遭い接収されかけた、というケースもあるほど。
さすがに極端な例ではあるが、今も決して怒らないというわけではない。
いつでも、そしてどこにでも、そういう輩はいるものということか。
「――という事例もありましたので、車両型の魔道具を持っている場合、例え営業用でなくても、所有者保証書は持っておかなければなりません。大事なことですので、必ず覚えておいてくださいね」
「はい。貴族の方々と揉め事を起こすと面倒ですからね」
「わかっていただけたようで何よりです」
俺の受け答えに満足したのか、リンさんは頬を緩めて微笑を浮かべた。
それから、用紙をスゥっと指でなぞって――ずいぶんと項目を飛ばしたのち、後半、というかほとんど最後の方の項目で指を止めて、次の質問に移った。
「では、次ですね。移動店舗を考えている、主な商材は日用雑貨など、とのことでしたので、公務の請負云々や納税関連のお話は飛ばして……次はこの項目ですね。当ギルドでは、創業資金や準備金などの援助のため、融資を承っております。ご希望の方にはこちらにありますように、様々なプランもご用意しておりますが、いかがいたしますか?」
「融資、ね……」
まぁ、そう来るよな。
商業ギルドだって、タダで運営できているわけじゃないのだから。
イブキが言ってたっけ。商業ギルドは俺達の世界で言うところの銀行に近いものがあるから、いろいろな取引の仲介や融資を介して、手数料や利息を得ることで活動資金を稼いでいると。
それだけじゃなくて、もしかしたら定期預金みたいなものもあるんじゃないだろうか。
定期預金は、銀行にとってもかなり大きな運営資金源だってなんかで聞いた覚えがあるような――ないような。
「そのあたりは、大丈夫かと。実は、今日は起業に先駆けた登録だけで、資金はこれから貯めるところなんです」
「そうでしたか……融資ではなく、ご自分の手で貯めていきたい、ということですね。それもまた、アリだとは思いますが……なにか、資金源に心当たりがおありですか?」
「心当たりはないですが……実は、行商をするにあたって、身を守るための力も身に着けておきたいと思ってまして、今日からしばらくは開業資金集めも兼ねた、武者修行をする予定なんです」
「なるほど。ということは、冒険者ギルドか、傭兵ギルドへ行くおつもりですね。……はっきり言いますが、そのどちらもあまりお勧めはできませんが……」
まぁ、商業ギルドとしては、そういうことならむしろ、護衛を雇った方がいいのではないか、という考え方なのかもしれないが。
護衛ならむしろ、過剰戦力ともいえる三人がついているから、今更なんだよな。
三人が言うように、それでも確実性という意味では万が一、ということもあるから、やはり護身術くらいは身に着けておいた方がいい、という話であって、護衛云々の話ではないのだ。
「大丈夫だと思います。頼れる仲間たちもいますので。ただ、その仲間を疑うわけではないのですが、やはり万が一の時に自分を守れるのは自分だけですので」
「そう……ですか。かしこまりました。それでは、ご無事をお祈りいたします」
「あ、はい……頑張って開業までこぎつけます」
「はい。頑張ってください。何事であれ、命あっての物種なんですから」
リンさんが、今度は心底心配そうな顔で、ため息をついた。
おそらくは、もっと他に手があるだろうに、とも思ってるんだろうなぁ。まぁ、純粋にこの世界で生まれたのならともかくとして、俺は地球の、日本で生まれた人だからな。
命の価値が低い、とまで言われたこの世界で生き残るためには、多少のリスクを背負ってでも、まずは自分一人でも身を守れる強さが必要だ。
そのためには、やはり冒険者というのが一番、何だろうなぁ。正直、不安しかないんだけど。
ちなみに、商業ギルドとしてはこういうケースは稀にだがあるようだ。
正確には、『冒険者稼業からの引退を考えていて、そのあとは商人として身を立てたい』として相談に来るケースらしいが。
とかく、前例がなくもないので、ギルド側としては問題なく筋は通せるらしい。
ただ、この場合は正式加盟ではなく仮加盟となるらしいが。
ただ、商人というのは『機を見るに敏』が求められる。チャンスを逃しては、売れるものも二番煎じになってしまうからだ。
だから、仮加盟であっても、先んじて可能な限りの手続きをやっておくのは十分に理がある話である。
「では、冒険者として活動して資金を貯めるということでしたので、応援のためにこちらの冊子をお渡ししておきます。内容はこの近辺で野営道具や薬などの消耗品を取り扱う商会と、その商会で扱っている用品のリストになりますので、どうかお役立てください」
「ありがとうございます。後ほど、余すことなく拝読させていただきます」
リンさんから渡された冊子を、イブキが受け取って、(いつの間にか手に持っていた)トートバッグにそそくさとしまい込む。
つか、本当にいつの間に準備してたんだ。
そのあとは特にリンさんから質問をされることはなく、あとは商業ギルドの会員証作成と、口座開設の手続きをして終了となった。
会員証については、俺達の魔力の波長が登録されているらしく、商業ギルドの勘会社以外では、俺達しか扱えないようにセキュリティが施されているらしい。
まぁ、仮にもキャッシュカードとクレジットカードを兼ねた貴重品だから、理解できる話ではある。
「流すようにしてしまいましたが、ご希望の業態が行商ということでしたので、本日行える手続きは以上となります。あとは、正式加入の際に、改めてご来訪いただいた際にすることになるかと存じますが、他に何かご希望があれば、引き続き私が対応させていただきます。他に何かご用件がありますでしょうか」
問われて、何かあったかと考えて。
ふと、道中でのフタバとの会話を思い出す。
――そういえば、結局預金を勧められたりなんかはしなかったな。
まぁ、だからといってどうということもないんだろうけど。
ただ、先ほどのあれはさすがに考え直さざるを得なかったけどな。
考えてもみれば、俺は戦いに関してはまるっきりのド素人なわけで。
そんな俺が、見るからにヤバそうな海竜を、解体済みとはいえそのでかい図体を出したとなれば、先ほどの話と見事に食い違ってしまう。
それをやったのがこの三人だったとしても、じゃあこの三人はいったい何者なんだという話に発展してしまうし、こんなのを倒せる三人がいるのならなぜ護身術など、という話も上がってしまうだろう。
「いえ。大丈夫です」
「左様ですか。それでは、本日はお越しいただき、誠にありがとうございました。イツキ様達と再びお会いできる日が来ることを、私ども一同、心よりお待ちしております」
リンさんは、俺の表情から、何か思いついたことを察したようだったが、結局俺が何も言わずに引き下がったことに特に疑問を呈することなく、そのまま見送ってくれた。
商業ギルドから出ると、朝の空気は抜けており、人々は忙しそうにそれぞれの仕事にいそしんでいた。
中には休日なのだろう、ゆったりとした足取りで、店先に並べられた商品を眺めながら大通りを闊歩する人も見受けられるが、目につく人の大半は忙しそうに早歩きをしている。
まるで東京の人ごみの中を歩くように、それらの人々の合間を縫いながら歩いていると、不意にフタバが話しかけてきた。
「マスター、良く思いとどまりましたね。さすがです」
「うん? やっぱり、あれは冗句だったんだな」
「半分は、そうでした」
「もう半分が気にかかるところだが……ま、話の流れからして、あそこであのまま海竜を売ったのだとすれば、大きな食い違いが発生して、結局相手に不信感与えるきっかけになってただろうからな」
「でも、昨日の時点でそれは狩猟ギルドですでに……あぁ、そこは道中でたまたま頼れる仲間たちに頼ったということにするわけですね」
「うんにゃ? マスターはそこまで考えてないよ。ですよね、マスター」
「身も蓋もない話だがな。特に深くストーリーを考えてなかった」
「でしょ? まぁ、でも一頭くらいなら、ねぇ」
「だよなぁ。一頭くらいならな」
ちなみに、海竜というからには沖合に出なければ遭遇しない生物なんだろうが――
「海竜は、たまに沿岸部に迷い込んだり、営巣することもありますからね。ちなみに、私達とマスターとの関係を聞かれた時は、私達はマスターの親族の知り合いで、そのよしみで護衛を引き受けたことにしようかと思ってますが、いかがでしょう」
「うん、その方向で行こうかな。俺は……親と馬が合わなくて、家出した青年、といったところかな」
「それがいいと思いますわ。商会の会長とその家族関係者の間では、よくある話ですから、怪しいと思われることもないでしょうし」
それでも調査の手はいずれはいるんだろうが……。
こいつらのことだし、それについても織り込み済みだったとして、何らおかしくはない。
スパコン並みの分析スキル持ってるんだし。
「さて。それじゃあ、昼飯時まで時間があることだし、冒険者ギルドにこのままいくとしようか」
「……この時間であれば、概ね賛成ですわね。昼食時まで時間が押したとしても、冒険者ギルドはそのほとんどが、内部で飲食業を兼ねていることがほとんどのようですから問題はないでしょう」
「加えて、冒険者ギルドの手続きは、商業ギルドのものよりも簡潔ですからね」
その代わり、死んでもそれは自己責任。冒険者ギルドとしては、根無し草の冒険者たちに仕事をあっせんするのが主な仕事だが、極論を言ってしまえばそれくらいしか冒険者と冒険者ギルドの間に繋がりといえるものはない。
商業ギルドのように、加盟者と持ちつ持たれつ、というような間柄ではないのだろう。
もちろん、完全にそうというわけでもないのかもしれないが。
「そういえば、冒険者って荒っぽい人が多いのか?」
「否定はできませんわね。上下の立場関係をはっきりとさせるために、高圧的な態度をとる者も中にはいるようですわ」
「ただ、基本的に冒険者同士の揉め事に関して、冒険者ギルドは基本的に不介入のスタンスを取っていますから、自分の身は自分で守る必要があります。気に留めておいてください」
「わかった」
入るのは楽だけど、何が起きても自己責任。まぁ、わかりやすいといえばわかりやすいルールではあるな。
冒険者ギルドは、商業ギルドから大して離れておらず、物の数分で到着してしまった。
向かい側にはハンマーと金床が描かれたでかい建物があるからおそらくは鍛冶関連のギルドだろうし、その隣にあるのはフラスコのイラストを掲げているから薬品かなんかだろう。
反対隣りには、なんだろうか。釘と、樹木? ……木工かなんかだろうか。とにかく、この一帯は様々なギルドが立ち並ぶ区画であることがうかがえる。
商業ギルドに入る際は、他に考えたりフタバと話したりしていたから気づかなかったことだが、どうりでこのあたりだけ人通りが激しいと思った。
こうしてみてみると、繁忙期は交通がマヒしそうな光景だな。
「確かに、これ見るとうちも少なからず対策は必要なようにも思いますね~。こちら側は車両の進入を禁止していますし、急ぎの人はこの向こう側にある大通りを通行しますから、完全にマヒすることはないでしょうけれどね。各種ギルドとも、あっち側にも出入り口は設けているみたいですし」
「そうなんだ。ここ歩行者天国なんだ……」
「おぉ! なんかよさそうな響きですよそれ!」
というか、反対側にも出入り口あったんだな。
全然見てなかった。
東京の渋谷もかくや、という密度の雑踏をするりとかいくぐりつつ、俺達は冒険者ギルドの内部へと足を踏み入れた。
中に入って真っ先に目に入ったのは、白昼堂々酒を飲み交わしている冒険者たちの姿だった。
まぁ、もとの世界で時たま読んでいた小説でもありがちな展開だったが、実際にこれを目にしてみると――うん。ないわ、これ。昼間から酒ってちょっとNGな気がするぞ。
注文を取るカウンターが入り口から入って左側にあって、右側は壁になっている。
そして、右側の壁が途切れたところで、女性の声で「いらっしゃいませ」という言葉がかけられた。
どうやら、大通りに面した入り口から入ってくると、正面にギルドの受付が設えられているらしく、俺達が入ってきた方からだと死角になっていたようだ。
待合スペース兼飲食スペースは、そういった設計上L字を描くように置かれているようだ。
「あらかじめわかっていたこといたこととはいえ、酒精の匂いがきついですわね」
「昼間っからお酒飲んでてよく飽きないね~。私は絶対いつか飽きが来ると思うなぁ」
「冒険者稼業は荒事がほとんどだしね。こういうものでガス抜きしないとやってられないというのもあるんじゃない?」
などと、イブキ達聖女三人娘がひそひそ話をしているが、これが周囲の冒険者らしき人々に聞かれていないかどうかがすごく気になるところだ。
まぁ、いざこざが起きたとしても、彼女たちなら難なく解決できるだろうけど。
そんなことをつらつらと考えながら、俺は声をかけてきた受付嬢にギルドへの加入手続きをしに来た旨を伝えた。
「ギルドに冒険者として加入したいんだが、どこで受付をしてもらったらいいんでしょうか」
「新規加入ですね。でしたら、僭越ながら私、セリエが担当させていただきます」
「そうですか。では、よろしくお願いします」
「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」
受付嬢のセリエさんは、若干驚いたような表情で俺の顔をまじまじと見つめてきた。
「……えっと、何か顔についています?」
「いえ。申し訳ありませんでした。……では、いくつか質問いたしますので、答えられる範囲でお答えください」
「はい。わかりました」
セリエさんは咳払いをすると、改めて俺達を見定めるように眺めた後、そう前置きをした。
答えられる範囲で、か。
エルメイアさんから聞いた事前知識によれば、冒険者というのには誰でもなれるが、ごくまれに何らかの理由で王侯貴族やその身内などが身分を隠して冒険者になるという事例があるらしい。
この前置きは、その可能性を見越してのことだろうか。
俺達の服装も、冒険者をするにしては、やや身綺麗すぎる。そう判断されたのかもしれない。
「まず、冒険者になる方は……四人全員、でしょうか」
「はい。それでお願いします」
「かしこまりました。では、次ですね」
冒険者ギルドで聞かれたのは名前、年齢、出身地に特技。そして戦闘経験と得意とする戦法などだった。
これらの情報をもとに、冒険者ギルドはギルドに加入している冒険者たちに依頼をあっせんしたり、受注を申し出ている依頼に合致しているかどうかを確かめたりするのだろう。
まぁ、俺の場合堪えられるのは名前と年齢、特技だけなのだが。
戦闘経験など、あるわけないし。
「はい、質問は以上になります。それでは、これからギルドカードを作りますので、その間にあちらの階段から二階に上がり、応接室でセミナーを受けてきてください。作ったギルドカードは、セミナーの終了時にお渡しいたします」
「わかりました」
「はい。本日の次のセミナーは1時間後に開始の予定になっておりますから、それまで少々お待ちください」
便宜上1時間といっているが、こちらの世界の1時間は地球の世界標準時間で1.2時間程度、すなわち1時間12分程度になる、らしいことをエルメイアさんは言っていた。
一日に直すと、地球よりも4時間48分長い計算になり、リブシブルではこの28時間48分を24等分した時間を1時間と定義しているのである。
しかし、どちらにせよずいぶんと時間が空いてしまったことに違いはない。
はてさて、どうするべきか……。
「そうなんですね。なら、そうさせてもらいます。どうも、ありがとうございました」
「いえ、お気になさらず。では、失礼いたします」
そういって、セリエさんは俺達の回答が描かれた書類を持って、いったん奥へ引っ込んでしまった。
「一時間、暇になっちゃいましたね~」
「まぁ、やるべきことはありますが。マスター、DEを使って植物図鑑のようなものを出すことは可能ですか?」
「あぁ、それなら……」
言われたものをショップで検索してみると、いくつかそれらしいのがヒットした。
三人に見てもらうと、代表してイブキから一言。
内容は、『植物大全』と『毒草事典』、そして『薬草全書』をペイしてほしいとのこと。
ついでにフタバから、調合器具も買っておいてもらいたい、と言われた。
薬でも自給自足するつもりなんだろうか。
「こうしたものもDEで交換するのはありですが、やはり自力で採集できる限りは採集していくべきだと思いますからね。うまくいけば、薬品関連の仕入れコストはDEで賄わずとも済むようになりますし」
「それに、この世界でマスターが少しでも長く生き残れるように、いろいろなことを徹底して叩き込む、と三人で話し合いましたから、必要経費です」
「ちなみに、私が魔法以外の戦闘技術を。フタバが魔法を。そして、イブキがもろもろの知識を、それぞれ担当することになっておりますので、頑張って習得なさってくださいね」
マジですか。
まぁ、剣聖ということで、ガチの武闘派っぽいイブキが知識面担当というのは、ある意味では助かったのかもしれないけど。
「えっと……本当に、お手柔らかに頼むな……?」
「ご心配はいりませんわ。マスターの習熟具合を見定めながら、慎重に計画を立てていきますので。とりあえずは、時間ができたことですし、さっそく植物関連の知識から身に着けていきましょうか」
「えぇ……? そ、その……明日からでも、いいんじゃないかなぁ……あはは」
「逃げていては何事も務まりませんよ。さぁ、教材の準備を」
あはは、座学と聞いた時点で忌避感が生じてしまうのはなんでなんだろうな~。
のらりくらりとイブキ達の要求をかわそうとしたものの、結局押し切られて植物関連の本を三冊、購入させられた。
――そして、ほぼ一時間みっちりと、イブキにしごかれる羽目になりました、まる。




