第08話 幼馴染みのダークエルフ
「ご、ご主人様、いったい何があったんですか!?」
ぷっくりと腫れた私のこめかみ。それを見て、侍女のアレルが驚きの表情を浮かべていた。
三度目にして、ようやく現れた本物の侍女。貧乏貴族の子女で、主家にご奉公にあがっているという、よくある設定の娘だ。私と同い年だが、丸顔で目が大きいせいか、とても幼く見える。
「そこの乱暴者にやられたんだよ」
「ええっ! ルージュさんがそんなことをするなんて……。ご主人様は、いったい何をしでかしたんですか?」
「私のせい!?」
「ふっ、日頃の行いの差だな」
ルージュから、小馬鹿にした視線が飛んでくる。
「ったく……。つうか、お前は何をしに来たんだよ」
「クランシエラ様の命だ。ベルティア相手にどう戦うのか、一緒に考えてこいとな」
「ふうん、お前は戦術の心得があるのか?」
「ない」
「じゃあ、帰っていいぞ」
「それなら、貴様も帰らないとな」
「何でだよ」
「貴様も戦術の心得はないだろ」
「……」
まさかの舌戦二連敗。この雪辱、晴らさでおくべきか。
「ところで、この屋敷では、客人に茶も出ないのか?」
「す、すみません!」
アレルが大急ぎで、紅茶を入れ始めた。
それを見るでもなく、ルージュは近くの壁に背を預けた。そして目を瞑り、ゆっくりと問うた。
「勝ち目はあるのか?」
「ない」
「戦争を回避する方法は?」
「ない」
ルージュが目を開けた。
「……そうか、長くも短くもない付き合いだったが、胴体は手厚く葬ってやるぞ」
「首は無い前提かよ!」
三度も首を置いて来ているので、反論し辛いけれども……。
それからしばらくの間、無言の時が流れた。軽口を叩き合ってはいるが、事態が深刻であることは、お互いに承知している。気安いからこそ、重要な話には移りづらい。そんな雰囲気であった。
「紅茶ができましたあ!」
アレルの元気な声が響き渡った。話を変えるには、ちょうど良いタイミングだ。私は真面目な顔をして、ルージュの方を見た。
「この首を守るために、ボリスと作戦を考えるところだったのさ」
「……そうか。ならば、ちょうど良かったな」
ルージュも私を見つめ返したが、心なしか、その瞳は揺れているように感じられた。
***
十歳の頃、父に連れられて、クランシエラの集落を訪れたことがあった。ルージュと初めて会ったのは、その時のことだ。
「君の肌は、何で黒いの?」
「……」
私の第一声は、これだったそうだ。不躾で失礼で差別的。ポリティカル・コレクトネスに反すると、意識高い系の文化人に糾弾されそうだが、子供の言ったことだから許して欲しい。
思ったことをそのまま口に出せるのは、子供の特権だ。相手を傷つけたり、痛い目に遭ったりして、少しずつ言って良いことと悪いことの判断がつくようになっていくのだ。
「うっ……ぐす……」
「ど、どうして――」
この時の私は、すぐに気付かされた。
「泣いているの?」
彼女を傷つけてしまったことに……。
精人との戦争に破れ、黒精人の国は、遥か昔に滅んだと言われている。そのため、この世界における黒精人は、希少種と言って良い存在になっていた。前世の価値観なら、絶滅危惧種として保護されていたかもしれないほどである。
だが、この世界では、精人のプロパガンダによって、黒精人は邪悪な存在だと世間に認知されている。そのせいで、黒精人は、傭兵か奴隷になるしか道がなかった。
ルージュの両親は傭兵だったらしいが、雇い主が戦争でひどい負け方をして、二人とも戦死。彼女は突如として、孤児になってしまった。
黒精人の孤児とは、即ち奴隷のことだ。ルージュもご多分に漏れず、とある貴族に買われたそうだ。ただし、ルージュが少女であったことと、買主が性的嗜好においては常識人だったことで、薄い本が厚くなるようなことはなかった。
とはいえ、黒精人の奴隷は目立つ。しかも、この買主はルージュを贔屓した。彼女が立派な身体に成長できるよう、栄養価の高い食事を与えたのだ。
もちろん、この買主が、人道的精神に目覚めた訳ではない。数年後には、それが立証されただろうが、そんな未来の不幸を忖度して、現在の鬱憤を我慢するような者が、奴隷たちの中にいるはずがなかった。
「質の低い悪口さ。肌の色の違いには馬鹿であっても気づく。目が見えるだけで良いんだからな」
成長したルージュは、淡々と当時のことを振り返っていた。その表情からは、何も読み取れなかったが、辛くなかったはずはない。肌のことを訊かれただけで、すぐに泣いてしまったことが、その証左だろう。
その一方で、泣かしてしまった少年セリウスの方は、慌てに慌てた。『女の子を泣かすようなことはするな』と、父にも母にも厳しく言われていたからだ。
このときの私は、両親の叱責を恐れて、この少女に泣き止んでもらおうと必死だった。
「ごめんなさい」
「うっ……うう……」
「これあげる!」
「ひっ……」
「ど、どうしたの?」
「い……いらない……です……」
謝ってもダメ。お菓子をあげようとしたら、断られるどころか、怖がられる始末だった。
「泣かないでよう……」
どうすれば良いのかわからない。でもこのままでは、女の子を泣かしたことが父にバレてしまう。だから私は――
「あ、遊びに行こう!」
「えっ……」
ルージュの手をとって、駆け出した。
とにかく今は、父上に見つからないようにしないと……。
「う……あの……」
しばらく走ってから、ルージュがか細い声を出した。声を発すること自体を恐れているような、そんな話し方だった。
「なに?」
「……さわっても……良いの……」
「え? どういう意味?」
少年セリウスは戸惑った。触って良いかどうかなんて、訊いたことも、訊かれたこともなかったからだ。
「あたし、黒精人だから……」
今なら、この言葉だけで察することができる。しかし、当時は黒精人が、虐げられている人種であることを知らなかったし、精人がばら撒いた醜聞も聞いたことがなかった。
「えっと、さわられるのが嫌ってこと?」
だから、少年のセリウスは、触られるのが嫌なのかと思った。
「ち、ちがう!」
ルージュは否定した。今までにない大きな声で……。
「じゃあ、いいじゃん」
少年セリウスは、手を取ったまま駆け出した。するとルージュの瞳からは涙が消え、その頬は心なしか上気したのであった。
それからというもの、ルージュがクランシエラのお供として、セルデン伯爵家の館に来るようになった。私と一緒に勉強したり、武術の訓練を受けたりして、同じ時間を過ごすことが多くなった。
黒精人は、戦闘能力の高い人種だ。父もクランシエラも、将来のことを見越して、私との繋がりを強めたのだろう。
某奥州筆頭における片倉小十郎や、某初代皇帝におけるアグリッパなど、君主には信頼の置ける右腕的存在が必要だ。それを黒精人のルージュに求めたのは、父が私の不才を危ぶみ、能力重視で選んだ結果に違いない。
父の配慮を思うと、ありがたいような悲しいような複雑な感情を覚える。とはいえ、ベルティアの侵攻という最凶の難事に際し、ルージュの存在は、とても心強かった。




