第04話 女神イシュタリア
真っ白で何も存在しない空間が、延々と広がっているように見える。音も色も存在しない、謎の空間。これこそが、私を異世界へと誘った『転生の間』だ。
『無』とは、こういう空間のことを言うのかもしれない。『無』を求めて、『無』に飲まれてしまった『死を超越したもの』が、この場所を知ったら、『ファファファ』と独特な笑声で喜ぶに違いない。
そんな異空間の中で、ぽつねんと、私は椅子に座っている。『転生の間』に来るのは、これで三度目になるが、どうにも落ち着かない。この不思議な空間もそうだが、目の前に鎮座している、女神イシュタリアの存在も要因の一つだろう。
絶世の美女。私の少ない語彙では、イシュタリアの美しさは表現しきれない。しかも、半透明な薄衣しかまとっておらず、その豊満な身体のほとんどが露出している。
前世では、ついぞ女との縁がなかった私には、神でなくとも眩しすぎる存在。そんな美しすぎる女神が、困った顔をしながら、ゆっくりと口を開いた。
「後ろから不意打ちしておきながら、あっさり返り討ちにされるなんて、君主として恥ずかしくないの?」
イシュタリアの見下しきった冷徹な声。二周目の惨めな失敗を咎められて、私はあまりの恥ずかしさに赤面してしまったが、それでも反論を試みた。
「君主が死んだら、国家の敗北だ。手段を選んでいる余裕なんて無かった」
「ええ、それはわかっているわ。私が言いたいのは、卑怯な手段を選んだこと自体ではなく、それでも呆気なく無様に死んだことよ」
「そ、それは……ジェイラスが強すぎるから……」
私が弱かったのではない。相手が強すぎたんだ。
「そんなことは知っていたでしょ? それとも君主なのに自殺したかったのかしら?」
イシュタリアの辛辣な言葉の刃が、私の心を縦横に切り刻む。
とある業界であれば、『ご褒美です』と歓喜で迎えられそうなシチュエーションだが、あいにくと私には、そんな特異な性癖は無かった。
「この様じゃ、人生の勝者になるなんて、夢のまた夢よね。この世を何周することになるのか、気が遠くなるわ」
「……だったら、転生先を変えてくれませんか?」
「却下。あなたのような負け犬は、最低最悪の環境から勝者にならないと、矯正されないもの」
人生の敗者。私の前世は、そう言って間違いのないものだった。
大学受験に失敗し、二流大学に進学。新卒の就活にも失敗し、派遣会社に就職。契約社員になったり、雇い止めなる無慈悲な制度で、個人事業主にさせられたりしながら、不惑の年を迎える。
惑わないどころか、職場さえも転々とする底辺男が、結婚できるはずもなく、独身のまま四十六歳で孤独死した。
就職氷河期。ロストジェネレーション。そう呼ばれる不遇の世代で、他と比べたら人生の勝者になれる者が、少なかったことは事実だ。生まれた時代が悪かったと、そう自分を慰めることはできたが、惨めな敗者であることに変わりはなかった。
そんな私が転生したのは、前世で好きだったとあるゲームの世界。これが異世界転生かと、当初は喜んだのだが……。
「ここは地獄なのよ。あなたの好きだったゲームの世界に模してはいるけれど、そこのところは忘れないように」
人生の敗者は、地獄に落とされる。そして、地獄の世界で勝者になるまで、延々と同じ人物に転生させられるのだ。
良く言えば、成功体験を味あわせるため。悪く言えば、負け犬根性を叩き直すためといったところか。
敗者のトレーニング場と化した地獄が、好きなゲームに模されているのは、女神イシュタリアのせめてもの慈悲なのかもしれない。
「まあでも、ちょっとばかり難しすぎるかもしれないから、次からはサポートをつけてあげるわ」
「サポート?」
「ええ、どういうものかは、転生すればわかるから」
「……わかりました」
このサポートが、『蜘蛛の糸』のような咎人を試す代物ではないと願いたい。
「あなたは敗北者なんだから、ここで死にながら修養しなさい。そして、来世こそは勝者になるのよ」
こうして私は、セルデン伯爵セリウスとして、四度目の転生を果たすことになった。
女神暦七七五年五月一日。この年で二十歳になるセリウスが、ベルティアの侵攻という、最悪の事態に見舞われる直前の月。そこから人生がスタートし、勝者になるまでリトライしなければならない。
ちなみに、一周目も二周目も三周目も、ほとんど同じような一ヶ月を過ごし、ほとんど同じ死に方をした。同じことをしたら、同じ結果になる。分かっているのに変えられないのは、私の悪い癖だ。
この世界の基になっている、地域制圧型シミュレーションロールプレイングゲーム『アストレア大陸戦記』では、セルデン伯国は、真っ先に滅亡する国家として有名だった。ゲーム開始の翌月には、必ず滅亡するので、『時報』などと揶揄されていたほどだ。
そんな無理ゲーの国家でプレイしたことは、一度もなかったが、プレイ動画を見たことはあった。セルデン伯国の攻略には、狂人的な試行回数か、乱数調整が必要だったはずだ。どちらにせよ、普通にはクリアできない最難関の国家だった。
どうやって、最初の一月を乗り切っていたのか――。前世の記憶を手繰り寄せながら、四度目の転生に向かって、私の意識は光に飲まれていった。




