四話、閻魔様の御成④
まだ歩き始めて半日も経たないというのに、なにやら足腰がガクガクと悲鳴を上げ始めていた。
疲労などとは無縁だったこれ迄の俺だが、流石に生身の人間、ましてや子供の身体にはこれくらいの事でも割とかったるい様だ。
「身軽だが、すぐに疲労が溜まるな……」
そう呟きながら、俺はその辺りに転がっていた手頃な岩に腰を下ろす。
悠長に休んでいる暇ではないが、正直このまま歩き続けるのは酷なところもある。まさかこんな形で疲労というものを経験する事になるとは……
「――私が空から偵察して参ります。閻魔様は、ここでお休みになられてください」
「いいのか?」
「お任せを」
そう言って何処かに飛んでいく司禄を見送る。
どれだけ歩き進んだかは分からないが、未だに何も見えてこない。現世には、こんな何も無い場所もあるんだな。
「俺も、空が飛べたらな……」
雲一つなく太陽が照らす青空を見上げ、俺は呑気にもそんな事を思う。こんなにもゆっくりとした時を過ごすのは久しぶりだ。気の緩みからか、欠伸さえ出てくる始末。
大っぴらに拳を上げて、俺は思いっきり背伸びをした。
「ぎゃんっ!」
「…………ん?」
背伸びをした。と同時に、伸ばした拳に何かが当たった。
何事かと振り向くと、そこには俺の二、三倍程あろう大きさの真っ黒毛な野犬が顔を押さえながら蹲っていた。
「……?」
「い……ってぇなァ……」
「……」
「モロ顔にくらったじゃねぇかよ……」
俺の顔面パンチの痛みに耐えながらも、野犬はゆっくりと起き上がる。
「悪かった、わざとでは無い。後ろにいるとは気が付かなかった」
「…………お、お前オレの言葉が分かるのか!?」
何メートル跳んだのか、大袈裟に驚いた野犬は俺から距離を取った。
「まあな」
「獣の言葉が分かる人間なんて、初めてだ」
「そうなのか?」
「閻魔様――っ!」
野犬と話していると、頭上から俺の名前を大声で叫ぶ声がする。鴉姿にまだ見慣れておらず、一瞬司禄だと思わなかった。
というか、早いお戻りで。
「え、えんま……!?」
司禄の言葉に反応したのか、俺の正体を知り仰天しまたも大きく飛び跳ねた野犬。というか、驚き方が定番だな。
「何奴だ! 我が冥王から離れろ!」
「閻魔って、あの、冥界王のか……?」
「聞いているのか! 離れろと言っている!」
「ゴチャゴチャうるっせぇなカラス!」
「失敬な! 私は冥王に仕える側近だ! 貴様の様な犬ころとは格が違うのだ」
「ハァ!? ただのカラスだろカラス! つーか、だれが犬ころだコラ! 歴とした狼だ!」
「…………」
突然始まった言い争いに、俺は黙ったまま見ていた。鴉と犬が威嚇し合っている様にしか見えない。
それより、狼だったのか……
「もうその辺にしとけ」
「一体何なのですかこの無礼者は……」
「俺もたった今会ったばかりだ。どうやら、冥王の存在を知っているようだな」
意外だった。信仰心の深い人間ならともかく、冥界での裁きには無関係な獣まで冥王の存在を認知しているとは思わなかった。
人間以外の生き物も死後は冥界へ送られるが、裁きを受ける対象は人間だけだ。獣や動物などは、ある条件に当てはまるもの以外は全てスピリチュアルに吸収され一体化する。
そんな訳で、俺は人間以外とはあまり関わった事はない。
「オレも、ある人間から聞いただけだ。詳しくは知らねぇ」
「閻魔と聞いてすぐに反応した様だったが……」
「……別になんでもねえよ」
「貴様! 冥王に向かってなんたる口の利き方――」
「そう感情的になるな、司禄」
今にも狼に飛び掛かろうとする司禄を制止する。
お喋りな狼なのかと思ったが、案外色々な事情がある様だ。