三話、閻魔様の御成③
「……………ご、ご冗談を」
俺の言葉を聞き、暫く間を開けたあと絞り出したかの様にその一言だけぽつりと呟いた司禄。。
体内に秘めた大きな力を感じなくなっていた。現世だからか姿が変わったからか定かでは無いが、何度試そうと簡単な魔法すら全く扱う事が出来ない。
「そんな冗談を言って、俺に何か得でもあるのか?」
「…………で、では、誠に……?」
「ああ。力を全く感じ取れない」
「い、一大事ではありませんか――!!!」
耳に響く甲高い声。鴉の鳴き声というものは、こんなにも煩いのか。
「そういう司禄はどうなんだ? 姿以外に何も変わってないのか?」
「……その様です。そもそも、私は裁判の補佐をする為に存在しておりますので、元々魔法の使用等は出来ませんので……」
「姿形が変わったのは、転生したからという事はないのか?」
「前代未聞ですので何とも申し上げられませんが、冥王である以上その責務を果たすまで転生など有り得ません」
「そんな上手い話はないか」
「……しかしながら、冥王を狙うなど不届き千万です。反逆者は、必ず捕らえなくてはなりません」
「ああ。だが今は冥界へ戻る事が先決だ」
「方法が分かり次第、すぐに帰還いたしましょう」
「そうだな」
司禄、そして司命の二人は代々冥王に仕えている側近だ。俺と一緒に現世に落ちてきた司禄はしっかり者だが口煩く、まるでお目付役だった。一方、司命の方はマイペースな性格。いつものんびり屋だが、時間はかかれど仕事はきっちりとこなす。
俺と司禄が冥界から消えたとなると、今は司命一人だけ。冥王が消えたというとんでもない状況に、普段自由奔放な司命もお手上げ状態だろう。
「閻魔様、何処へ向かっておられるのですか?」
ただ淡々と歩き始める俺の頭上を飛びながら、司禄は言う。何処へと言われても、冥界から出た事のない俺には答えられそうもない。
「見渡す限りこの辺りは何も無い。此処で立ち往生していても仕方ないだろう? それに此処が現世なら人間がいる筈だ」
「そんな闇雲で宜しいのですか? と申しますか、人間に接触するのは危険ではないでしょうか?」
「なぜだ?」
「冥界へ来る死者を裁いていれば、人間はどの様な性質が多いのか理解されている筈です。己の欲を満たす為なら平気で罪を犯す者が大半で、人間など信頼に値しない生き物です」
「確かに、貪欲で、非情で、自己顕示欲の強い人間は多い。それは否めない。でも、それが全てではないのも事実だろ? 慈愛に満ち溢れた人間だってたくさん見てきた」
「……確かにそうですが、もし閻魔様の身に何かあれば――」
「その時は、また新しい冥王が誕生するだけだろ? というか、既にもう代役が立っていたりしてな」
「…………」
俺の言葉に、司禄は黙り込む。
軽めな冗談のつもりだったが、それが通じる相手ではなかった。
ころころと替わる冥王とは違い、側近である司禄や司命は本人達も覚えていない程遥か昔から冥王に仕えているらしい。幾度となく代替わりする閻魔大王を見送り、そして迎えてきたと言っていた。
冥王になる前の記憶を俺は全く覚えていない。司禄によれば、俺にも人間として生きた前世はあるらしい。ただ他者を裁く冥王にとって、生前の記憶は障害にもなり得る。記憶など不要だと判断され、冥王となると同時に記憶も抹消される。
冥王の存在は、その人間の死後の延長線上にある。だがそれまでの記憶が無いため、冥界の王として生まれたのだと思っていた。
本来裁かれる筈の俺が、なぜ冥王として歩み始める事になったか、未だに思い出せない――