危機一髪
※
「……そ、そうですね! 千葉先輩とは昨日会ったばっかりの初対面ですから! 霜二川先輩が思っているような関係はじゃないです!」
「え? ああ、うん、そうね? ごめんなさいね。変な勘ぐりしちゃって……」
「いえ。それでは私、お昼まだですので失礼します!」
さくらは、そう言って怒ったようすで踵を返して、どこかに行ってしまった。
俺はそんなさくらの後ろ姿を見つめながら、「ぐはっ」と内心で吐血。痛む胸を抑えた。
昨日会ったばっかりで、初対面と言われた……それってつまり、さくらは俺のことを覚えていないということにならないだろうか……。
「誰にでも優しい清水さんが怒るなんて珍しいわね……君、清水さんになにかやった……?」
と、霜二川さんが俺に疑いの目を向けてくるが、心当たりなんてなく、首を横に振った。
俺は先ほど、霜二川さんにさくらとの関係を問われて、答えあぐねてしまった。
端的に言えば、幼馴染なわけだけれど……さくらのようすを見る限り、俺のことを忘れている可能性もあったし、霜二川さんに変な誤解をされると、さくらが困るだろうと「昨日偶然会った」と、お茶を濁した。
しかし、それが裏目に出た。
さっきのさくらの発言で、さくらが俺を覚えていないことが確定してしまったのだ。
なんというか……知りたくない真実だった。
俺は、昔さくらと交わした約束を覚えているというのに、俺しか覚えていないなんてあんまりだ。
しかも、霜二川さん曰く、誰にでも優しいらしいさくらが俺に怒っていたというのだから、二重でへこむ。
「はあ……」
「えっと……とりあえず、案内を続けましょうか……?」
霜二川さんは落ち込む俺を気遣ってか、校内案内の続きを提案してくれた。今は、その優しさが胸に染みる……。
「ごめん。じゃあ、お願いするよ」
「ええ……それじゃあ、気を取り直して、次は体育館に行きましょうか!」
「体育館か」
「うちの高校、田舎のところにあるから敷地だけは広くてね。体育館とか、けっこう大きいのよ?」
「へえ」
そういえば、ちょこっと華咲学園のことを調べたところ、スポーツでなかなかの成績を収めていた気がする。
俺と霜二川さんは体育館に向かって並んで歩き出す。
「ちなみに、千葉くんってスポーツとか得意なの?」
「いや、人並みくらいかな。霜二川さんは?」
「あたし、部活はやってないけど、町の小さなクラブに入ってるから、体を動かすのは好きね」
「へえ。なにやってるんだ?」
「ボクシングよ!」
こわっ……。
「ちょ……あからさまに怯えないでよ……。男でしょ?」
「俺、殴られたりとかしないかな」
「あたしをなんだと思ってるのよ……。あたしに逆らったり、楯突かなければなにもしないわよ?」
恐怖!
さっき、やけにクラスメイトが大人しく霜二川さんの言うことを聞いたなと思ったら――なるほど。
「これがリアル恐怖政治か」
「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい」
「失敬。失敬。でも、なんでボクシングを?」
そう尋ねると、霜二川さんは肩を竦めて答えた。
「うち、ボクシングジムだから。小さいころからやらされててね」
「やっぱり、怖いなぁ……霜二川さん」
「……さっきから気になってたんだけど、なんで『さん』づけ? なんだか壁を感じるんだけど……」
「壁なんてないですよ委員長」
「さっきよりも壁ができてる!」
いやだなぁ……怖くなんてないですよ。もちろん。
俺は内心で半笑いしながら、霜二川さんの後に続いて校内を歩き回った。
※
午後の授業が終わって放課後になると、クラスメイトに親睦会と俺の歓迎会を兼ねて、「カラオケに行こう!」と誘われたのだが……断った。
「ごめん。まだ荷解き終わってないんだ」
「そっか~じゃあ、また今度な!」
そんなこんなで、転校初日は終了。
クラスの人たち、いい人そうでよかった……なんてことを考えながら、華咲学園の正門を通って帰路に立つ。
そのままテレテレと歩き、例の歩道橋まで来ると……さくらのことが脳裏に過った。
「はあ……さくら、なんで怒ってたんだ……」
謝ろうにも、どうして怒っていたのか分からないのでは、謝りようもない。理由も知らずに謝るなんて不誠実なことはしたくない。
しかし、個人的には今すぐにでもさくらと仲直りして、昔の話を――。
「はあ……」
と、俺が歩道橋を渡りきった時のこと。
「ぐぬぬぬ! ぐぬぬ!」
俺は聞き覚えのある声の方向に首を回すと、ちょうど俺が下っている歩道橋の階段――その下で、大きな荷物を両手に持ったさくらの姿があった。
その後ろには、昨日会ったお婆さんが立っていて、傍らに手押し車を置いて、心配そうにさくらを見ていた。
「さくらちゃん……無理はしなくても……信号で向こうに渡れるわよ?」
「いえ! ここから信号のある交差点まで、かなり歩きますから! 歩道橋を渡った方がはやいです!」
「でも……それ、重いでしょう? 大丈夫?」
「だ、大丈夫です! ぐぬぬ!」
さくらはお婆さんにそう言うが、まったく大丈夫ではなさそうだ。
俺はこのまま見て見ぬふりもできず、苦笑いを浮かべながら二人に声をかけた。
「また買いすぎちゃったんですか。お婆さん」
「あら……あなたは昨日の……」
「む……!」
声をかけると、お婆さんとさくらが俺に気づいたのだが……会って早々、さくらに睨まれた。
「えっと……よかったら俺も手伝いますよ」
「あらあら……いいのかしら? 昨日の今日で悪いわねぇ。助かるわぁ。ねえ、さくらちゃん。いい彼氏さんね?」
お婆さんが、「うふふ」と笑いながら言ったので、俺は慌てて否定しようと口を開きかけて――。
「か、彼氏じゃないですから! こ、こんな人の手を借りなくても、私一人でこの荷物を向こう側に運んでみせますとも!」
さくらは語気を荒げ、お婆さんの荷物を抱えて「よっこらせ」と一段一段、階段をのぼり始める。
「あら……喧嘩でもしたの?」
「いえ……そういうわけじゃないはずなんですけど……」
しかし、さくらは確実に怒っている……な、なぜだ……?
などと、さくらが怒っている理由を考えていた折――「あ」と階段の上から小さな悲鳴が聞こえた。
反射的にさくらの方を見ると、さくらが荷物の重さにバランスを崩して、今にも階段から転げ落ちてしまいそうになっていた。
「……さくら!」
俺は咄嗟に、さくらの方へ手を伸ばした。
そして――。
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