世界を描く物は何か
世界をどの様にすれば上手く表現する事ができるのだろうか。
世界に住み着きながら、我々はそれを知らない。
人間の歴史は長い。これまでの長い歴史の中で、様々な人物が「世界を表現する」というテーマに挑戦してきました。
歴史的に有名で、教科書に載るほどのアーティスト、今にも不人気で連載を打ち切られそうな作家、大なり小なり少なく見積もっても両手の指では数えきれないくらいは存在する。
では何故それだけの人間がそれこそ星の数ほどあるテーマの中からそれを選び、実行してきたのか。
そもそも世界はどの様にして描けるのでしょうか。
世界を絵で表すとしましょう。
絵には色んなツールがあります。
色を付ける事一つとっても、水性絵の具、油性絵の具、チョーク、鉛筆、新しい物ではデジタル化され、ツールはほぼ無限まで増えた。
水性絵の具は花の新鮮な花弁やみずみずしい茎などをまるで呼吸しているかの様に生き生きと描ける。
油性絵の具は濃く、硬いレンガなどのどっしりとそこに構え、何かを長い間守り続ける重厚感を表現できる。
チョークは濃淡をつければ、雲や霧、夢幻などの儚く、美しい物をそこにあるかのように描ける。
鉛筆は、白い紙とは対照的にシンプルでも描き手の腕次第で繊細に、力強く、例え色がなくとも鮮やかに表現できる。
ならば、これらで世界は表現できるのだろうか。
そう問われれば、否定するしかあるまい。
どれほどまでに絵の腕を上げようと、それが理解されるかは別の話である。
世界的に有名な画家パブロ・ピカソの代表作の一つである「ゲルニカ」は、世間的にピカソが戦争の残酷さを嘆き、描いた物だという事しか知らない。具体的にその絵に写り込んでいる小道具の様な物は一体何なのか、描いた本人以外は誰も知らない。
同じく世界的な天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼の遺したモナ・リザは数世紀掛けて専門の研究者達が専門の研究所を建てて、彼に関する様々な資料を漁っては研究して、数世紀経った今でも、その謎は解き明かされていない。
以上から絵で描ける世界には限界がある事が分かる。
では、文字の方はどうか。
歴史上、世界を描こうとした哲学者、小説家は数えきれない。
それらの作品には洗練された物も多く、数世紀経った今でも教訓とできる作品も多い。
ここだけ見ると、文字は先程提起した絵よりも上手く世界を表せていると言えるのではないでしょうか。
しかし、問題が無い訳でもありません。
あなたが会社に勤めている会社員だと仮定します。
今月の収益は10でした。来月は史上最高記録を塗り替える15になりました。そして再来月は少し減って13になりました。
そうすると、管理職の人間は文句を言って来るでしょう。そりゃ、実績が落ちて、自分の評価が下がれば、誰だって文句の一つや二つも言いたくなる。
しかしその文句の動機には、何故その月に史上最高記録を更新できたのかを知らないという物がある。
それは偶然かもしれない、何らかの事情で労働者全員が一致団結した成果かもしれない、更に言えばそのデータそのものが関係者の偽造かもしれない。
それらを知らずに、管理職の人物は文句を口にし、大なり小なり労働者達を傷付けるだろう。そして傷付いた労働者達もその管理職の人物の下で努力する事を拒む様になるだろう。
かといって、職員の行動一つ一つをメモにする訳にも行かないし、したとしても、それをいちいち確認する事も非現実的である。
本当はどちらも会社のため、自分のため、努力しようとしていた。だが、たった数文字の数字によって一つの目標を見つめていた視線にはいつの間にかお互いが仲間ではなく醜く、おぞましい何かへと変わり果てた。
よって文字でも世界を完全に表現する事はできない。
では一体どの様にすれば完全に世界を表現できるのか。
この問いに対しての答えは今はまだ存在しません。
いつか更に研究が進めば、いつか適切に表現できる日が来るかもしれない。
しかし今はまだそれは出来ない。
どこまで行っても、どんなに技術身に付けても、それは一人の人間が見る世界の億分の一にも満たない小さな切り口でしかない。
一人の人間の脳が理解できる限界の何倍も人間社会は複雑に出来ている。世界はそれを更に拡張した解析不可能な領域に定義付けられる。
だからこそ世界を表現しようと沢山の人間が挑戦し、十人十色の答えにたどり着いた。
世界とは、何かしらの手段で表現できる物ではなく、そこに住まう動物、植物、鉱物、世界を定義付けようとする人間も含めてそれら全てが同時に存在して初めて完成する一つの概念である。
今日数千万の命が生まれ、数千万の命が失われた。明日も似たことが起きる。明後日も明明後日も、そのずぅっと先も。
世界は止まらず変化を続ける。
それに伴い、その定義も変わって行く。
だからこそ先が見えない。
だからこそ不可能である。
だからこそ挑戦する。
だからこそ世界は美しい。
昨日どこかで誰かが挫けた。
今日どこかで誰かが何かを努力している。
明日どこかで誰かが成功するかもしれない。
そうして世界はどこまでも続いて行く。
世界の変化には追い付け無いが、それでも先へ進む為に、今日、今、僕は、ペンを取り、自分の世界を描いて行く。




