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5.何でもします


 *



 二日後、廂軍の屯所で見知った少女の姿を見つけ、梁晃飛は思わず微笑んでしまった。


 少女は背筋をぴんと伸ばし、忠義ある犬のようにおとなしく門前に立っている。

 犬が待つのはもちろん主人だ。

 その主人というのは――。


 近づいたところで、晃飛の存在に気づいた少女がたたっと駆け寄ってきた。まさに忠犬そのものの素早さで。


「晃飛さん!」

「こんにちは。どうしたの?」


 少女は一寸口ごもり、地面を見つめ、それから決意を秘めた目で晃飛を見上げてきた。


「お願いが……あるんです」



 *



 ここではなんだから。

 そう言って晃飛は少女を近くの茶房へと連れていった。


「ここの団子おいしいんだよ」


 向かい合って座ったものの、少女はそわそわと落ち着きがない。壁に掛けられた木簡、菜譜の値段を見て、うつむき縮こまり、やがて意を決したように言った。


「あの……実は私、お金持っていないんです」

「……あ、そうなんだ」


 大衆のための茶坊、大して高くもない団子。

 だがそれを払う金子を有していないという少女。

 それにしては少女の雰囲気は……。


「いいって。おごるよ」

「でも」

「いいからいいから。俺が食べたくなってここに来たんだ。それにつきあってくれる君におごるのは当然のこと。でしょ?」


 片目をつぶってみせた晃飛に、「では……」とためらいつつも少女はうなずいた。


 団子と茶が運ばれてくるまで、少女は終始無言でうつむいていた。

 晃飛も話をせかすことなく、頬杖をついて少女を検分していた。


 衣服は無難なものだし装飾品は何も身に着けていない。それだけを見れば何の変哲もないただの少女だ。だがこざっぱりとした体からはほんのりと石鹸の香りがする。となると本当はちょっといいところの家の娘なのだろう。


 だが髪形がおかしい。適当なのだ。自分で結わえる程度に結わえた、そういった適当さがある。いいところの娘なら家人に髪を結わえさせるものだ。それに化粧っ気もない。唇に紅すらひいていない。外見を整えることをせず、しかも金を持っていないというのは。


(……家出中か)


 給仕された茶と団子を晃飛が口にする間も、少女は膝の上で握りしめた拳を頑なに見つめていた。


(よっぽど言いにくいことなのかな)


 金の無心をしたいのだろうか。名前しか知らない、一度しか会ったことのない男に懇願するとは、よほど困窮しているのか無知だからだ。


 その二つの推測のどちらにも晃飛は感慨を抱かなかった。他人にくれてやる金などないし、情けを隠れ蓑にして初心な女を抱くような鬼畜でもない。


 だが突き放して去るような、冷淡な態度をとる気にもなれずにいる。


「ほら、食べなよ」


 何度かうながしようやく団子を口に含んだ少女の所作は、やはりいい家の者らしいふるまいだった。団子の刺さる串の扱い方一つとっても、晃飛の知らない世界にこの少女が属しているのだと推測できる。


 晃飛は先に団子を食べ終え、口の中を茶ですすいだ。


「君……名前は?」


 串を持つ少女の手が止まった。

 ややあってひどく言いにくそうに答えた。


「呉……珪亥です」


 名を名乗れば家の者が迎えに来てしまう恐れがあると思っているのか。

 それとも名を名乗ると何か不都合でもあるのか。

 そういったことを簡単に相手に悟らせるような、よく言えば正直者、悪く言えば愚鈍なふるまいだ。


「晃飛さん、あの」


 まだ一つの団子しか口にしていないのに、串を置き、少女が背筋をぴんと伸ばした。姿勢の良さもそこらにたむろする娘とは違う。その真っ直ぐな背を保ったまま、少女が突如頭を下げた。


「お願いします! あ、兄を助けてください!」

「お兄さん? 君の?」

「お願いします。他に頼れる人がいないんです。どうか……どうかお願いします」


 晃飛は少女の後頭部を見ながらしばし考えた。


 この少女には何の恩義も好意もない。木刀の音が好きだと言う、ただその珍しい一点で気まぐれに屯所の中に入れたのが一昨日のことだ。屯所から走って逃げる姿につい追いかけたのも好奇心の一環だ。なぜ稽古する音を聴いていただけで逃げたくなったのか、と。


 押し黙る晃飛に、ゆるゆると顔を上げた少女もその内面を推し量ったようだった。より一層深く頭を下げ、少女が切々と訴えてきた。


「私にできることだったらなんでもします。だから……だから兄を助けてください」

「駄目だよ、女の子がそんなこと言ったら」

「え?」


 顔を上げた少女は本当に自分の発した言葉の意味を分かっていないようだった。


「女の子がなんでもするなんて言ったらだめだよ」

「では……なんて言えばいいんですか」


 あれほど弱々しい雰囲気を発していた少女が、一変して力強いまなざしを晃飛に向けてきた。


「私は本当にそう思っているんです。なんでもします。兄を助けるためだったらなんでもします。他に言い方なんてありません。晃飛さんにだって……晃飛さんにだってきっとそう強く思うことがあるはずです」

「俺? 俺は……」


 ない、と言って一笑に伏せば済むのに――言えなかった。


 晃飛にもある。

 子供じみた発想かもしれないが確かにあるのだ。


 だからこうして少女に食い入るように見つめられ――晃飛は少女の想いにからめとられてしまったのである。



 *



 兄の名は呉隼平。

 そう言った時、自分の名を告げた時のように少女は口ごもった。


 その兄が武官の集団に暴行まがいの稽古をつけられているのを目撃したのだという。


 武官なら実力でやり返せばいいと思わないでもない。だがここの屯所は人手不足ゆえに学がなく力頼みな男たちが大多数を占め、少し腕が立つくらいの人間では敵わないというのも理解できた。新人の稽古ですら自分たちで成しえないほど、武芸そのもの、つまりそれに付随する人道的なことへの理解が足りていないのだ。


 だから無関係の晃飛がこうしてわざわざ週に二回屯所を訪れている。晃飛にしてみれば大した手間なく禄がもらえて願ったりかなったりなのだが、職にあぶれ、または金がなく廂軍へと入った者の多くは武官には不向きで、教育が良い成果をあげているとは言い難いのが現実だった。


 少女の兄は一昨日、隊長だという男を中心にしてやられていたのだという。年や背格好を聞けばどこの隊のしわざかは晃飛には容易に想像がついた。


 廂軍の武官となることは実はとある人種には人気が高い。それは元罪人だ。腕に自信がある彼らには、禁軍のような厳しい規律も鍛練もない廂軍はおあつらえ向きの職場なのだ。また、武官となることで簡単に人並みの収入を得られるようになる点も、他に就く職のない彼らには好まれていた。


 そしてここ零央の廂軍には元罪人が隊長を務める隊があった。軍として最低限の頭数を揃えるためだけにある、ひとたび実戦が起これば使い物にもならない隊が――。


「君の兄さんは運が悪かったね。そこはあの屯所で史上最悪の隊だよ」


 青ざめた顔の少女に「じゃあ行ってくるね」と告げ、女給に茶と団子の支払いをし、晃飛はその足で問題の場所へと向かった。

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