5.心をほぐす
三人の思惑は見事にすれ違い、また思いもよらぬ結果を生んでいる。
晃飛の家に住むようになって半月ほどで一番変わったのは珪己だ。
まず開陽に住んでいた頃からの、良くも悪くもあったお嬢様気質が変わった。日常生活に自ら順応していった結果、家事を覚え、言葉遣いが変わった。仁威のことは兄さん、晃飛のことは晃兄と、二人のことを間違いなく呼べるようになった。まだ敬語を使うのはやめられないでいるが、気安く会話はできている。
武芸の腕にも急速に磨きがかかっていった。開陽を出る直前は、師匠である鄭古亥はほとんど弟子に稽古をつけていなかったが、今は仁威と晃飛によるほぼ休みのない稽古を受けているのだから当然の結果だろう。
珪己に時間があるとき、仁威は隙間時間を見つけては剣術と体術をその都度伝授していった。晃飛のほうでも仁威不在の隙をついてしょっちゅう珪己にかまっている。ただ、晃飛は体術のほうはそれほど得意ではないようで、あれ以来、不届きな行為はすべて未遂に終わっている。
ただ、晃飛も晃飛で、珪己へのちょっかいをやめることなく、それゆえ自然と体術に精通していった。それもそうだ。馬鹿みたいに同じ業をかけられるなど痛いだけだ。もちろんそこには仁威への敵対心もある。心酔する仁威相手だからこそ芽生えた感情だ。
仁威は成長する二人、かりそめの弟と妹を眺め満足しているようだった。晃飛が珪己にかなわないのを見ているので、先日のように晃飛を怒鳴りつけることもない。
それでも、己の内にある言葉にならない想いを仁威がもてあましているのは事実だった。晃飛がちょっとしたことで珪己に触れるたびに、形容しがたい重しのような気持ちが生じるのだ。どうしようもないことと、鬱々とした欲望は誰にも悟られないように気をつけているが、いつまで耐久心がもつか。この国隋一の過酷な軍隊に所属していた本人にもこればかりは分からない。
環屋の楼主・芙蓉とは、毎晩店に行くたびに話をしている。だが身になるような情報は今のところない。
そんな仁威のことを珪己はひたむきに考えている。
この家に移り住み、屯所での仕事を辞め、仁威の大きな負担は減ったはずだった。睡眠時間はたっぷりとあり、栄養のある食事も摂れている。なのに、一日一日、仁威の雰囲気が鋭利なものへと変貌していくのが気になっている。
開陽にいた頃にも一時期そういう時があった。話をしたい、そう思ってからも、珪己は仁威と深い会話をする機会を得ていない。だがそれよりもまずは仁威の固着しつつある心をほぐしてやりたい、最近はそう思うようになっている。
くつろいでもらうためにと、珪己は家事に奮闘した。晃飛に習った手料理を食卓に並べ、茶を入れ、菓子を出してみた。だが仁威はその場では笑みを浮かべてみるものの、気づけば元の影を負う表情になってしまうのだった。
夏の盛り、珪己のほうも過去の一日、八年前の自宅襲撃や母の死を都度思い出してしまい疲れを感じていた。だが自分が疲弊している以上の何かを仁威が抱えているように思えてならなかった。その理由の一つは間違いなく先の見えないこの放浪に由来するものであり、もう一つは珪己を開陽に戻す算段がつかめないことにあるはず、そう珪己は考えた。
この上司にどれほどの恩義があるのか、今の珪己は十分に自覚している。現実を直視できるようになれば、今はもちろん、遡れば初春の女官時代まで、仁威の存在なくして語ることができないほどに。
何か力になれればと思っている。いや、なりたい。力になりたい。仁威のことを手助けしたい。だから珪己は武芸の稽古にはあらん限りの気力で向き合っている。暇な時間には木刀を振って鍛練に励むようにもなった。木刀は少年用の軽いものを晃飛にお願いして中古で買ってきてもらった。
「貸し一つだからね」
そう言って渡された木刀はその日から珪己の手元にいつもある。眠るときも寝台のすぐそばにおいてすぐ手にとれるようにしている。そうやって武芸の業を磨き、自身の身を護れるようになれば、きっと仁威の負担を減らせるはずだ。そう信じて日々を過ごしている。
だが不肖の弟子の成長は仁威を穏やかにするほどの効果はなく……今日も珪己は庭で一人木刀を振るうのだった。
その日は晃飛が屯所へと出かける日だった。晃飛は週に二回、午後から屯所へ出向き、夕方近くに帰宅する。市へ買い物に行く時は一刻もしないうちに戻るが、屯所での稽古の日は二、三刻ほど不在となる。それは仁威と珪己、二人きりの時間が増えるということであり、珪己はその時間が近づくとそわそわとする自分に気がついていた。
この時間、まず珪己はいつも以上に多くの家事をこなす。かまどの中の燃えかすを捨てたり昼餉の片付けをしたり。洗濯掃除の類もきっちりこなす。次に道場で仁威に稽古をつけてもらう。二人きりの稽古は楽しみでもあるが緊張もする。第一隊の隊長を占有してしまっている自分は贅沢だとも思う。こんなに長期間隊を離れていていいのだろうか、気になってもいる。だが訊けずにいる。返答されても珪己にはどうしようもないからだ。いや、訊きたくないのだろう。もしも『隊に一刻も早く戻りたい』と熱く訴えられたら……どうすればいい?
稽古を終えたら自室に戻り、水でしぼった手ぬぐいで簡単に体を拭って汗を拭きとる。稽古のたびにいちいち衣を替えるのはやめた。自分で洗濯をするようになって気づいたのだ、洗うたびに衣が着々と痛んでいくことに。開陽にいた頃はそうなる前に家人が新品に交換していたので、全然気づいていなかったのだ。ちなみに湯場へはこの家に来てから一度も通っていない。
この後はまた一人で木刀を振るったり夕餉の下ごしらえをしたりするのだが、今日は違った。
ふと壁の隅に立てかけたままの琵琶が視界に入ったのだ。
(……そういえば、持ってきたのに全然弾いてないな)
寺での逗留生活のためにいったん自宅に戻り、その際とっさに手に持っていたのがこの琵琶だ。大して重くはないが、珪己の上半身ほどの大きさがあり、移動中、場所をとって邪魔だった。母の形見の品であり、宮城での想い出を形作る琵琶であるというのに――。
手に取り、ぽろんと鳴らしてみると、音程ががたがたに狂っていた。まったく調律していなかったのだから仕方ない。すべての弦が緩んでしまっている。
珪己は弦の張力を調整した。これくらいは慣れているので雑作もない。ぽろんぽろんと音を鳴らしつつ正しい音へと整えていく。音があるべきところに収まっていく過程に、珪己は不思議と己の心が同調していくのを感じた。
(……そうだ、私にとっての琵琶って心を表現するものだったんだ)
母の死後から、珪己にとっての琵琶とはそういうものだった。
心の赴くままに琵琶を弾く。その際、表すものの大抵は負の感情だった。悲しみが大部分、残りはやるせなさや自分自身への怒りだ。誰にも言えないような感情だからこそ琵琶で発散し、それで珪己は負の感情を体内から排出しきっていたのである。
この作業もそれと同じことだった。音を整えることは己が心情を整えていくことと同じだったのである。ばらばらの音がきちんと整列することで、不安定な感情の波が落ちついていくのを感じた。たかが音を整えただけでこれだけの効果があるということに珪己はあらためて驚きをおぼえた。
(……だったら)
珪己は琵琶をかまえると曲を奏で始めた。奏でているのは名もない曲、即興であり、開陽にいた頃によく弾いていたあの曲、『闘笛』ではない。あれは己を鼓舞するための曲で今の心境には激しすぎてそぐわない。それにあの曲は英龍との思い出が強すぎる。たぶんもう二度と弾けない、いや弾かないだろう。
小さく爪弾いているせいだけではなく、穏やかで柔らかな音色は普段の珪己のそれとは真逆のものだ。もしもここに父・玄徳や琵琶の師匠である趙龍顕がいたら、どうしたのかと心配されそうなくらいに豹変した音を出している自覚があった。
だがこの音こそが今の珪己が生み出したいと願う音であり、その日から珪己は暇をみつけては部屋でこっそりと琵琶の練習にあけくれたのであった。
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