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3.直視できない太陽

 日がだいぶ昇ってから仁威が起床すると、庭の方、満員御礼状態の蝉以上に騒がしい声が聞こえた。


「もういい加減にしてくださいっ!」

「だめだめ。ちゃんと罰は受けてもらわないとね」


 さんさんと降り注ぐ陽の光の下、庭では珪己が晃飛に追いかけられていた。


 珪己は元から俊敏だが、日々の糧を武芸の腕で得ているだけあって晃飛のほうが素早い。子供同士ではありえないほどの素早さで繰り広げられる本気の追いかけっこは、晃飛が背後から珪己におぶさることで決着がついた。軒下に仁威が現れて二人の様子を見ていることにも気づいていないようだ。


「罰なら他のことにしてって言ってるじゃないですか……!」


 振りほどこうとする珪己は全力だ。

 しかし自分よりも体の大きな晃飛にかなうわけがない。


「君が嫌がることをしないと罰にならないだろ?」


 晃飛はにやにやとした顔を崩すことなく顔を近づけていき、強引にその唇で頬に触れた。


「うぎゃああっ」


 乙女らしからぬ野太い声をあげた珪己に晃飛はいまだしがみついている。


「うん、いい具合に罰が効いてるね。よし、もう一回」

「ほんともうやめてください! ちゃんと気をつけますから!」

「だめだよ。罰は罰。ちゃんと自分の罪を悔いてもらう必要があるからね」


 そう言ってもう一度珪己の頬に唇を寄せようとした時。


「…………晃飛っ!」


 家の中だけではなく近所にまで響き渡るほどの声量があがった。


 声には明らかな怒気が含まれており、生き物の性か、あれほどうるさく鳴いていた蝉が束の間黙り込んでしまったほどだった。一拍遅れて、呪縛から解放されたかのようにじーじーと一匹の蝉が鳴き出した。同胞の勇気ある行動につられて、残る仲間たちも夏の風物詩である大合唱を再開した。


 庭で騒いでいた張本人である二人が声の主のほうを見た。珪己はうっと唇を噛み締め、晃飛は軽く目を見開いたのち意味ありげに目を細めた。


「おはよう仁兄。ところでどうしてそんなに怒ってるの?」


 のんきな声は明らかに場違いだ。

 挑発していると勘違いされてもおかしくはない。


 その勘違いを珪己はしてしまい、晃飛の腕の中でじたばたと暴れた。


「隊長、すみません! 眠っていたのにうるさかったですよね。晃兄はもう離れて!」

「あー、隊長って言った。じゃあもう一個罰を追加だ」

「ひっ」


 さっと青ざめた珪己を見るや、仁威は裸足のまま庭へ降りると、大きな歩幅でずかずかと二人に近づいた。そして珪己の首に回されている晃飛の片方の手を取り――そのまま親指をぎりりとねじ込んだ。


「あわわわわ」


 関節が曲がらないほうに正確にねじ込まれ、晃飛はあっけなく珪己を解放した。耐えていれば指が折れる。親指が離れれば物を掴むことができなくなる。だが仁威はそこからさらにねじりを加えていき、摂理に従い晃飛の腰が落ち膝が土に付いた。


「……さすが」


 こんな時だというのに業のうまさに感心するのは珪己らしい。

 だが業をかけられている晃飛のほうはたまったものではない。


 膝がついているというのにいまだ力を抜こうとしない仁威は、普段見せない怒りの感情を昇華するために晃飛を屈服させようとしているかのようだった。


「楊珪己!」

「は、はい」

「お前はしばらく家に入っていろ!」

「え……でも」

「俺はこいつと話がある」


 常にないほど低い声に、珪己はためらいながらもその場を離れていった。


 珪己の足音が完全に消えるまで待ち、それからようやく仁威は晃飛から手を離した。


「うおっ、すんげえいてえ」


 晃飛は地面にあぐらをかき、業をかけられていた手にふーふーと息を吹きかけている。


「仁兄、もう少し加減してっていつも言ってるだろ」

「……どういうつもりかはっきり言ってもらおうか」


 晃飛が見上げた仁威はちょうど昇りゆく太陽を背にしており、眩しさは直視できないほどだ。だが立ち上がっても仁威のねめつける目力は強く、晃飛は困ったように視線をそらした。


「どういうつもり、なんだろうね」

「おいっ……!」


 怒鳴りかけたが、仁威は理性でもって呼吸を整え怒りを抑え、それから努めてゆっくりと言った。


「あいつに恋愛感情を持つな、そうお前は言ったな。だがあれはなんだ。お前はああやって俺を試したつもりだろうが」

「試すって何?」


 仁威の言葉は晃飛に遮られた。


「試されるような何かがあるの?」


 見透かすような視線を受け、仁威の眉がぴくりと動いた。


「もしも仁兄があの子のことで怒っているなら、なんで透威のことでは俺を怒らないの?」

「……なんだと?」


 昨夜、晃飛は珪己に言っていないことがある。


 昔、真白は晃飛と透威をかばって死んだと言った。だがそれは正確には違う。真白は透威一人をかばって死んだのだ。


 透威に対して振り抜かれた剣に、晃飛は絶叫した。命が消え去る瞬間を目撃することへの恐怖に叫ばずにはいられなかったのだ。それに反応してしまったのがあわれな真白だ。まるでそう命じられたといわんばかりに、真白は道場に駆け込むや剣と透威の間に飛び出した。


 斬られた真白に、晃飛は我を忘れて駆け寄りすがった。だがならず者は千鳥足で長剣を振り回し続けていた。気配を察し晃飛が振り返った時にはすでに遅く、男は晃飛の頭上めがけて長剣を振り下ろしていた。


 やられる、そう覚悟した瞬間、晃飛は真白の亡骸を抱きしめ目をつぶっていた。


 続けて感じたのは、額に生じた焼けるような痛みと、やや遅れて全身を覆った重みだった。


 目を開けると、ぱっと鮮血が飛び散る瞬間を捉えた。


 男の剣筋は晃飛の額の中央をかすめ――そのまま一直線に晃飛に抱きついた透威の背、右肩から左の脇まで斜めに走っていた。


 もう一度、より一層大きく長剣を振りかぶった男を視界にとらえ、晃飛は暴れた。


『透威、俺から離れろ! 離れるんだ!』


 だが自分と同い年、同じような体格の透威は、背に大きな傷を負っているにも関わらず晃飛から離れなかった。それどころか、細い腕でぎゅっと晃飛のことを強く抱きしめてきた。


 ――そこに現れたのが仁威だった。


 当時十二歳であった仁威は木刀で男の肩をためらいなく砕いた。その痛み一つで男は剣を落とし正気を取り戻し、這う這うの体で逃げていったのである。


 仁威は斬撃の瞬間を見ていない。だが晃飛は包み隠さず打ち明けている。自分をかばって透威は怪我を負ったのだ、と。


 だが仁威は晃飛を責めることはしなかった。


 そんな仁威にほっとし、しかし晃飛は真白を失った悲しみと恨みを透威の実の兄である仁威にぶつけるようになった。道場の兄弟子の中でもひときわ目立つ仁威に、晃飛は以前から憧れていたのだが……この事件をきっかけに願望は表出しされるようになった。頼り、甘え、からかい、泣きつき、奪い、怒り。真白にのみ見せてきた自分のすべてを仁威に対して解放するようになった。


 真白の代替品を求めているだけなのか。

 いや、それだけではない。であれば共にいてこれほどまでに心地よくなれるわけがない。


 であれば袁仁威という男を今も純粋に慕っているのか。

 いや、そうであれば仁威の幸福を踏みつぶしたくなるこの醜悪な心はいったいどう説明すればいい?


 確かに晃飛は同世代で地元一の腕前をもつ仁威に昔から憧れていた。

 だが今はそんな単純なことではなくなっている。


 久方ぶりの仁威との対面は、生まれ育った土地を離れて孤独に生きてきた晃飛の、様々な感情と記憶を揺り動かしている。


「透威は俺のせいで怪我を負ったのに、なんで仁兄はそのことで俺を怒らないの? 忠義のためには怒るけど家族のためには怒らないっておかしくない?」


 一瞬にして仁威の視線が鋭くなった。


「お前っ……!」

「それとも忠義ではない感情をあの子に持っているの?」


 黙り込んだ仁威に晃飛はくるりと背を向けた。


「俺は仁兄のためにあの子の言葉遣いを直しているだけだから。悪いのはあの子だから」


 やがてため息とともに仁威が言った。


「……そうか。分かった」


 去っていく仁威の気配を、晃飛は背で感じながら空を見上げたのであった。


「ああ、くそっ」


 太陽はやはりまぶしくて直視できなかった。

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